風の始まり
蘭桐生
世界に嵐を巻き起こしたいおっさん
ある夏の日のことだ。
私は親戚の家に遊びに来たついでに、都会と違い自然豊かな田舎の町を散策していた。
山間にあるその町では蝉が頻りに鳴き散らし、真夏の太陽に負けないくらいに短い命を燃やしている。
その日は例年以上に酷暑だったようで早くも散策に出たことを後悔していた。
殺人的な日差しから逃れるため、他人の家の軒下に逃げ込み僅かな涼を取る。
家の者からすれば迷惑な不審者だが、緊急避難ということで許してもらいたい。
少し休んだら親戚の家に戻ろうかと考えていると、向かいの家の軒下が目に入る。
そこでは短く刈り込んだ坊主頭にランニングシャツ、下はトランクス一丁の小太りなおっさんが滝のような汗を流しながら必死に団扇で外を扇いでいた。
なぜ外へ向けて扇いでいるんだろう?
暑さに頭をやられたのか?
自分では無く外を扇いでいる男に興味が湧いてしまった。
普段であればそんなおかしな人物には関わろうとも思わないのだが、他人の軒下で涼んでいる今の自分も一応不審者仲間ではある。
旅先で二度と関わらないであろう相手だからと好奇心が勝ってしまった。
今思えば暑さに頭をやられていたのは私の方だったようだ。
私は日陰から出て扇ぐおっさんに声を掛けた。
「こんにちはー。何を扇いでいるんですか?」
「おう。世界中に嵐を巻き起こしてやるんだべ」
? 意味が分からない。
やはり暑さに頭をやられたのだろうか。
「団扇で扇ぐだけで嵐が起きるんですか?」
「おめえ知らねえのか? ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすんだべ」
なんだったか。聞いたことがある。
ああ、あれかバタフライ効果というやつだ。
ちょっとしたことでも大きなことに繋がるかもしれないという因果律の理論。
まさか田舎の汗だくのおっさんの口からそんな話が出て来るとは思わなかった。
更に興味を惹かれてしまった私はついつい質問を続ける。
「それで? どうして嵐を起こすのですか?」
「そりゃおめえ、こんな腐った世界をぶっ壊した方が良いからに決まってるべ」
恐ろしいことを口にしてニヤリと嗤ったおっさんに狂気を感じ、炎天下の往来だというのに背筋が寒くなる。
しかし、この時の私は逃げ出すのではなく何故か質問を続けていた。
「どうして嵐なんですか? 壊すだけなら銃や爆弾なんかの方が手っ取り早いのでは?」
「そんなもん捕まりたくないからに決まってるべ? 手を下すのはあくまで自然現象。完全犯罪の成立だべよ」
たしかに例えどこかで壊滅的な嵐が起きたとして、外で団扇をバタバタしているおっさんが起こした風には結びつかないだろう。
しかしあまりに荒唐無稽。不確実であり迂遠だ。
だが、このおっさんの目は嵐が起こせると信じている。
それが一番不気味であり怖い。
人間の狂気を目の当りにした私は、その場から早足で立ち去り親戚の家を目指す。
いつの間にか汗はひき、鳥肌が立っていた。
この日以降、私はニュースなどで嵐の災害を目にする度に、あの炎天下に必死になって団扇を扇いでいたおっさんの狂気に満ちた目を思い出してしまう。
風の始まり 蘭桐生 @ran_ki_ryu
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