スタートが切れない

古博かん

テンプレ詰め込もうとしたら案の定クリアハードルが高すぎて最初から無理が過ぎたと再認識した諸々

 人生に絶望するのは簡単だ。

 このまま死んで、ラノベ市場を席巻した異世界で一発当てて大逆転人生を歩めたら、どんなにか良いだろう。


「できるけど?」


 スマホ画面の明かりだけが顔を照らす深夜。

 部屋の暗がりの片隅で、ただただ無機質に指を動かして画面をスクロールしていた時に、不意に聞こえてきた軽快な声。耳障りだけは異様に良いその声に驚いて顔を上げた瞬間、こわばった両手からスマホがこぼれ落ちて床に跳ねた。


「だ、誰だ!」


「別に、誰だっていいでしょ、そんなこと。まあ、あえて言うなら? カミサマ的な?」


 自分以外に、誰もいるはずのない四畳半の部屋。

 その半分をマットのへたれたベッドが占め、四分の一と半はパソコンデスクと椅子が占める。

 残りは縦に細長いクローゼットと室内扉の開閉に必要なスペースがあるだけで、物音もさせずに人が出入りするなど不可能だ。


 なのに、その扉を背もたれに、見たこともない美女が部屋にいる。


 随分とエキゾチックな装身具と、やたら大きな布をぐるぐるしているだけの民族衣装(多分)を、床に落ちたスマホが青白く照らしている光景は、現実ではあり得ない。

 布を巻いたくらいじゃ覆い隠しきれない不審な美女のダイナマイトバディも現実的にはあり得ない。

 無意識に、自分の頬をつねる。爪が食い込んで痛い。


「え? は? 何?」


「それはこっちのセリフだわよ。できるっつってんだから、さっさと要否を答えなさいよ。ほら、可及的速やかに!」


「へあ? え、何が? 異世界転生が?」

「他に何があんのよ」

「え? まじで? え、いや、え、ええ?」


 普通、異世界転生より他に思いつく何かがある気がするのだが、スマホ画面すらブラックアウトした暗がりの狭い部屋で、謎の美女はスマホの発するブルーライトで照らすよりも、余程全身が輝いて見えた。

 そもそも、なんで人間(?)の体が物理的に発光してるんだという疑問をちょっと置いておくスペースすら、この部屋にはない。


「三秒数える間に答えなさい、グズに用はないのよ」


 形の良い唇から発せられる言葉がちょいちょい殺傷力高めなのだが、それこそ傷付く間すら与えられず、あわあわしながら条件反射で片手を挙げた。


「あ、えっと、え、はい、転生できるなら……してみたい、です」


 若干タイムオーバーした気はするが、毒舌美女が言及しないから多分ギリセーフの判定でいいのだろう、分からんが。

 狭い部屋で微妙に発光している結局何者か分からない美女は、大層に両腕を一度組み直してから、おもむろに「よし!」と頷いた。


「じゃ、さっさと行くわよ!」

「どこに?」


「熊野町交差点」


 それは、恒常的な渋滞を生む交通量と高速道路の支柱が妨げとなる視認性の悪さから、日本一危険と評される全国ワースト一位の交通事故多発地帯として悪名を馳せる四差路交差点(東京都板橋区)ではないか。


「さあ、トラックに撥ねられるために横断歩道を渡りなさい! 赤信号なら、なおのこと良しよ!」


「担い手の少ない深夜運行のトラック運転手を犯罪者にするのは、いかがなものかと思いますが……?」


 片手を挙げたまま懸念事項を申し述べれば、美女は柳眉をくの字に釣り上げて睨みつけてくる。

 そもそも、赤信号では立ち止まるのが基本だ、みんなで渡っても危険なものは危険でしかない。


「じゃあ、川にでも飛び込んで潔く溺れなさい。道頓堀に行くわよ!」


「たとえ阪神が優勝しても、飛び込んだらアカンやつですね」


 ちなみに、道頓堀川は木津川と東横堀川を結ぶ延長二・七キロメートル、大阪ミナミの繁華街ど真ん中を流れて東西地域を分ける一級河川である。過去には実際に死亡事故も起きている危険な川だ。


 一応指摘しておくと、美女は歯を食いしばってだ。

 細い撫で肩を怒らせながら憤慨するたびに、発光するけしからん胸部バストが存在感を主張しているが、なぜだろう、心持ち残念な気分になるのは。


「逐一ごちゃごちゃ、うっさいわね。とにかく、さっさと死になさいったら死になさい! 話はそれからよ!」


「は? いやいやいや……はあ !?」


「はあ !? じゃないのよ、異世界転生の冒頭に忠実な流れでしょうが! さっさとしなさいよ、グズに用はないって言ったでしょ!」


 唖然……だ。

 この美女、アタマおかしい。


 突然どこからともなく現れて、自殺強要とか完全にイカれている。

 ここで「はい、わかりました」と言えるほど、自分の頭のネジはぶっ飛んでいなかったことをじんわりと理解して、そして今、全身に冷や汗が吹き出している。


 オッケーぐーぐる、ヤバいやつと狭い空間でサシになった時の対処法を教えて——と乞いたいが、スマホは美女の足元の床でブラックアウトしたままだ、万事休す。


「あんた、ほんっとに手間かかるわね。ちょっと、そこの窓開けてヒョイっと一発飛びなさいよ」


 いくら築四十年のボロ団地とはいえ、RC造五階建ての四階から飛び降りて無事で済むわけがない。

 いくら見た目至上ルッキズム主義でも、もはや恐怖しか覚えない美女が踊るような足取りで一歩踏み出し、パソコンデスクの向こうにある窓をパーンと開け放つ。刹那、額を刺すような冷たい夜風が吹き込んできて、一層アタマが冴え冴えに冴えた。


「転生できるなら、してみたいって言ったのあんたでしょうが! 自分の発言には責任持ちなさいよ!」


 一聞、正論なようで無茶を言う美女に、よれたトレーナーの襟首を引っ掴まれたが、全力の抵抗で腹筋と下半身(の筋肉)が今年最初の大仕事を果たした。

 たとえ襟を取られようが、ここからが背負い投げの大事な間合いだ(やったことないけど)。


「絶っ対、イヤですぅぅぅぅ! 自殺幇助は犯罪ですぅぅぅぅ!」


 四畳半で一本背負いをすることも無謀だが、体幹もない鈍った体で無茶をすると自分の腰に大ダメージを負う。

 バランスを大きく崩しながら横回転になったが、それでも何とか美女を転がせたのは、体格差によるギリギリのハンデがあったからだろう、きっと。


「ふっざけんじゃないわよ、このクズ——っ!」


 パソコンデスクの高さが美女の体勢を崩すのにちょうど良かったのか、けしからんダイナマイトバディはデスクトップ画面を巻き込みながら、窓の外に転がり飛び出していった。

 普通の人間なら、そのまま落下して大惨事になるところだが、自称カミサマ的な発光美女はゴロゴロと四階の高さの空中をもんどりうって回っている。

 布ぐるぐるの民族衣装が悲惨な状態になっているが、そんなことに鼻の下を伸ばしていたら確実に寿命が縮む。


 咄嗟に窓を閉め直してクレセント錠をかけて、ついでにセーフティーロックもオンにする。

 美女の罵詈雑言は遠くなったが、ガラス越しのカミサマ的なアレは、こちらに向かって中指を立てながら暗闇に溶けていった。

 絶対、まともに関わっちゃダメなやつだ、アレは。


 床に落ちているはずのスマホを手探りで引き当てる。

 拾い上げて待受が反応すると、照らされた画面はバッキバキにヒビ割れていた。


 そもそも、異世界転生する最初のハードルが高すぎる。

 どれほど人生に絶望しても、自分には一生足を踏み入れることができない世界……きっと、それが異世界なんだ。



—— スタートが切れない —— 完

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