後ろ指をさされた遅いスタート

日乃本 出(ひのもと いずる)

後ろ指をさされた遅いスタート


「何を考えているんだ。そんなことができるわけがないだろう。寝言は寝てから言え」


 これが、自分が小説を書いてみたいと、周囲に相談した時の周囲の反応だった。


 まあ確かに当然というべき反応かもしれない。


 なぜなら、その時の自分の年齢が三十一歳という年齢だったからだ。


 さらに言えば、今まで自分は小説を見たことはあっても書いたことなど一度もなかった。むしろ、子供のころから作文すら書くことも嫌がっていたほどに、文章や活字と自分は疎遠な仲だったのだ。


 そんな自分が、なぜ急に小説を書いてみたいと思い立つようになったのか。


 そして、どうしてそんな無謀なことを言い出したのか、そのことについて書きたいと思う。


 自分は元々、昔からの夢だった、都心のとあるゲーム会社に勤めていた。


 その会社に勤めだして一年ほどが経過したある日、母から一本の電話がかかってきた。


 いつもの世間話だろうと、その時は軽く考えて電話をとったのだが、そんな自分の考えは、母の神妙な声によって吹き飛ばされた。


「あのね……。私、癌になったの……」


 まさか、だった。


 突然の母からの告白。


 乳がんだった。


 命には別条はないとは思うが、乳房を切除しなくてはいけなくなったという。


 そして当然ながら、そうなると入院しなくてはならない。


 だが、母にはそう簡単に入院できない事情があったのだ。


 それは、祖父と祖母の介護をしていたということ。


 だから、母からの一報を受けた時、自分が母に返した言葉は、


「じいちゃんたちは、どうなるん?」


 というものだった。本当は、母に対しての慰めの言葉をかけるのが普通なのかもしれないが、その時はそっちのほうが気がかりだった。


 なぜなら、母からの答えによっては、最悪の事態を想定しなければならかったからだ。それだけは、考えたくはなかった。


 だが、現実は非情だった。


「誰も看る人がおらんのよ……。やからさ、その、言いにくいんやけど、あんたに助けてもらいたくて、こうして電話をかけたんよ……」


 言葉を失うとは、こういう瞬間のことをいうのだろう。


 想像していた最悪の事態が、現実のものとなってしまったのだ。


 何も言えないでいる自分に、母が涙声になって訴えてくる。


「せっかく夢を叶えたあんたに、こんなお願いをするのは酷だと思うのは重々承知してる。でも、もう頼れるのはあんたしかおらんのよ……」


 兄は、と口にしかけたところで、言葉を引っ込めた。


 兄は結婚し、子供が二人いる。そしてその子供はまだ小学生にすらなっていない。とてもではないが、祖父と祖母の介護を頼むことなんてできないだろう。


 それにひきかえ、自分は結婚はしていないし、恋人もいなかった。そして、祖父と祖母の容体のことをよく知っているのも自分の方だ。


 祖父と祖母には、小さなころからよくしてもらっている。可能ならば手助けはしてあげたい。


 しかしそれには、自分が子供のころから夢見ていた仕事を捨てなければならなかった。


 そしてそれは、自分にとってとてもではないが簡単に捨てることのできないものだった。


 子供のころから想い続けてきた夢。それを長い苦難の末、ようやく手にすることができたのだ。


 毎日が充実し、毎日が楽しくてたまらなかった。


 そんな毎日を、簡単に捨てれるわけがない。


 だが、もしここで自分が断ったら、果たしてどうなるのか?


 祖父と祖母二人を施設にいれるお金など、うちにはない。


 それに祖父と祖母はかねてより口癖のように言っていた。


 死ぬときは、自分の家の畳の上で夫婦そろって死にたい、と。


 どうすればいいか、すぐに答えなど出そうになかった。


 いったんその場は、考えさせてほしいと母に告げ、電話を切った。


 そして悩みに悩み、自分は仕事を辞めて、帰る決断をした。その時、自分の年齢は二十六歳である。


 地元に帰り、祖父と祖母の介護の日々がスタートした。


 それから、自分にとって、長い苦痛と無気力の日々が続くことになる。


 好きなことを仕事にしていた分、その喪失感は尋常ではなかった。やりたいことができない日々。遊びに行くこともできない日々。働くことすらできない日々。


 フラストレーションはたまっていき、一年・二年・三年と月日が過ぎていくほど、社会に戻れないのではないかという危機感と焦燥感が自分を飲み込んでいった。


 そして地元に帰ってから四年が過ぎたころ、自分の心はもう、限界に近づいていた。


 何度も何度も、死という単語がちらつくようになっていた。


 年齢はもう三十歳になっており、長い終わりの見えない介護生活によって、未来への希望も生きる気力も完全に失っていた。


 そんな中、自分に運命の出会いが訪れる。


 それは自分が祖父の書斎で何気なく、ぼぉ~~っとしていた時だ。


 書斎の棚の中にある、一冊の本が目についた。


 その本は、分厚い論文やお堅い政治系の本ばかりしか読まなかった祖父の棚の中で、小さめなサイズと背表紙の題名であふれんばかりの異彩と存在感を誇っていた。


 その本の題名は『ボッコちゃん』。


 星新一氏の著作であるショートショート集である。


 本に興味など一切なかった自分だったが、その時はなぜかその本が気になってしょうがなかった。


 思わずボッコちゃんを手に取り、そのまま書斎の椅子に座ってボッコちゃんを開いてみた。


 そして――――衝撃を受けた。


 こんな面白い物語が、この世に存在していたのか。


 こんな読みやすい本が、この世に存在していたのか。


 それからというもの、自分は星新一氏の著作を片っ端から買い集め、ひたすらに読んでいった。


 ショートショートというジャンルの面白さと奥深さに、どんどんどんどんと傾倒していっていく。


 そんな折、ある想いが自分の中で芽生え始めるのを感じていた。


 ――――これなら、自分でも書けるんじゃないだろうか?


 今考えるとまったくもってふざけたことだが、しかしそう思わせてしまうのも星新一氏の優れた文章力の業である。


 思い立ったらなんとやら、それからは星新一氏の文章を手で書いてコピーすることから始め、なんとなく頭に浮かんだことを殴り書きする日々を送った。


 そんなことを続けて三か月、ついにショートショートを一編書き上げることに成功したのである。


 出来栄えは正直目も当てられなかったが、それが自分の妙な自信となり、何もできなかった自分に唯一のできることなんじゃないかという光がさしたようだった。


 その時がちょうど三十一歳を迎えた日。奇しくも、自分の人生最初の一編は、自分の誕生日に完成したのである。


 そしてその誕生日に、自分は周囲に初めて漏らしたのだ。


「小説家を――目指してみたいんだ」


 もちろん周囲は大反対。今までそんなことをやったこともない人間が、できるわけがないだろう。第一、年齢を考えてみろ。勉強するにも遅すぎるだろう。


 そんな言葉をぶつけられ、そうだよな、やっぱり無理だよな……と、あきらめようとした自分の背中を押してくれたのは、まさかの祖父だった。


「僕は昔、小説家になるのが夢だった。でも僕は、それを叶えることができなんだ、だがお前がそれを目指してくれるなんて言ってくれるとは夢にも思わなかった。やれ! お前の夢は、僕の夢だ! やれ! やれ! 周りがなんち言おうとやってみれ!」


 そうやって檄を飛ばしてくれたのを、今でも自分は思い出す。


 そしてその日から自分は小説というものに向き合い始め、今ではもう七年が過ぎた。つまり、自分は今三十八歳だ。


 介護をしていた祖父と祖母はもう亡くなってしまったが、母の癌は経過は順調で、再発の危険性もほぼなく、笑顔の戻った日々を送っている。


 自分はその時の経験を活かして介護職員となり、結婚もし、一児の父親にもなっている。


 それなりに小説や文章もこなすことができるようなり、今までバカにしていた人たちも、今では何も言ってこなくなり、ひいてはたまに自分にスピーチ原稿を頼んできたりもするようになった。


 まったくのゼロから始め、七年という歳月をかけながらも、独学で一歩一歩すすみ、時にはやはり無理なんだと絶望し、匙を投げかけたこともあった。


 だが、そのたびに祖父の言葉を思い出し、ただがむしゃらに書き続けてきたからこそ、自分の今があるのだと思う。


 そんな自分だからこそ、胸を張って言えることがある。


 それは『どうすれば小説が書けるようになりますか?』という問いに対する答えだ。


 自分はたまに聞かれるが、必ずこの言葉を返すようにしている。


「小説は才能とかじゃありません。慣れです。毎日少しでもいいから書くことで、誰でもかけるようになります。例えば毎日日記をつけてごらんなさい。それは見方によっては、毎日私小説を書いているのと同じことなのだから。慣れと研鑽。それが小説を書くコツです」


 もし、この文章を見ている方で、小説を書くことを迷っている方がいらっしゃれば、今日この瞬間からなんでもいいから一行でもいいので文章を書くようにしてほしい。


 その積み重ねが、やがて大きな自信となり、それがやがてきっと花開くこと時がくるのだから。


 ちなみに自分は小説家になれましたか? と聞かれたら、自信をもって、なれていますと答えます。


 小説を書くことで金銭を受け取ってはいませんが、自分が小説を書くことで自分を救うことができ、そして新たな色んな夢を描くことが出来るようになりました。小説家というものは、人を感動させることが仕事だと思っています。そして自分は小説を書くことで、自分を感動させることができています。だからこそ、自分は小説家であると確信しています。


 年齢や、学歴なんか関係ありません。


 自分のように、遅いスタートを切ったとしても、文章を書くことで、小説を書くことで、きっとあなたは感動することが出来るはず。


 そしてそれこそが――――小説家としての、スタートなのではないだろうか。

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