第9話

 次の日、真は仲間達よりひと足早く、ETSの支社に出向いていた。

 彼が、遅刻せずに会社に来るのは珍しい事だ。ましてや、仲間より早く来るなど、普段ではあり得ない事だった。

 もちろん、それには理由があったのだが・・・。


 日勤の社員達が全て会社から吐き出される頃、香織は支社に足を踏み入れる。

 それは、夜勤の社員が出勤してくる30分ほど前だと、前に祐介から聞いていた。

 彼は、たまたま、早出をした時に見かけたと言っていたが・・・。

 今日もそうだとは限らないが、もしそれが本当ならば香織が一人きりになる唯一の時間。

 真は、それを狙ってやって来たのである。


 何時も通り、自動ドアのくぐって薄暗いロビーに入る。

 誰もいない受付を足場やに通り過ぎ、エレベーターへと向かった。

 見ると、偶然にも丁度香織がエレベータに乗り込もうとしている所だった。

 しめたとばかりに、今にも閉まりそうな自動ドアの隙間に、無理やり体を入れて乗り込む。

 それから、ちょっと驚いたように自分を見ている香織を、意地の悪い表情で見つめ返した。


 「なんだよ」

 「いえ、随分早いですね。どうしたのですか?」

 「俺が、早く来ちゃ悪いか?」

 にやりと笑って、香織に触れるほど近くに並ぶ。

 香織は、身を引くような事はしなかったが、すぐに冷静な表情に戻って、

 「珍しいと思ったので」

 とだけ言った。



 古ぼけたエレベーターの扉が、ガタンと音をたてて閉まった。

 少しの間、沈黙が落ちる。

 「何か、私に用事ですか?」

 香織が、沈黙の後に言った。

 真は、更に沈黙で答えた。


 「沖田の言葉が、引っかかるのですね?彼は、私の教官でした。彼に、私は仕事のノウハウを教わりました。身内に処理をさせるのが、社のやり方です。それが、裏切りを抑える効果があるのです」

 「別に、沖田の事はどうでもいい」

 珍しく、自分から喋りはじめた彼女に向かって、真は素っ気なく言った。

 それでも、香織話を続ける。

 まるで、沈黙を嫌っているようだった。


 「彼は、私をベッドハンティングに来たのです。それを匂わせて、あの場所におびき寄せたので」

 「DMは、あんたを欲しがっている、って事か…。あんた、何者だ?」


 ただのピジョンではない。

 真は、直感的にそう感じていた。

 沖田の言葉や態度は、どうみても、部下に対するものではない。

 香織の教官であるなら、尚更だ。

 それはつまり、香織の方が上の立場にあると言う事。


 高校三年の、小娘がだ。

 普通なら、ありえない。

 だが、真は香織とデュオ(同調)して、彼女の力が並ではない事に気付いた。


 意識レベルが全く違う。

 天才の部類、か。

 それが、無性に腹立たしかった。


 「私は…、あなた達のピジョンです。今は、それ以上でも、それ以下でもありません」

 「ちっ」

 真は、小さく舌打ちした。

 それから、また沈黙が落ちる。



 「そう言えば・・・」

 沈黙を破るように香織が何かいいかけた時、真はいきなり彼女を引き寄せてキスをした。

 イライラが、頂点に達したのだ。

 いつまでも、こんなままごとみたいなやりとりを、続けるつもりはなかった。


 こんないきなりで、絶対に抵抗するだろうと思ったが、意外な事に、香織はただされるままにしていた。

 「なんだ、抵抗しないんだな」

 真は、顔を離して言った。

 予想外の事に、拍子抜けする。

 まるで、人形みたいだな。そう思うと、益々ムカムカしてきた。


 「あんた、俺の事好きなんだろ?」

昨日、同調した時に僅かに感じた事を、確認する為に口にする。

 もう少しマシな聞き方があるだろうが、真は回りくどい言葉には慣れていなかった。


 ただ、思った事を口にする。

 それで、相手を傷つけるかどうかさえも考えない。

 そういう男なのだ。

 そのせいで、何時も彼と付き合う女は泣く事が多かった。


 香織は、黙ったままだった。

 返事がないので、真は更に香織をつついてみた。

 バンっと、乱暴に香織の顔の横の壁に手をついて、整っているが妙に人間味の薄い顔に、自分の意地の悪い顔を近づける。



 「あんた、俺が好きだろ?昨日助けてくれたのは、そうだからなんだろ?俺の、こういうとこが好きなんだって感じたぜ。同調したから、バレバレなんだよ。あんた、マゾ?乱暴にされたり、冷たくされるのが好きなのか?」

 香織は、少し困ったような表情をしていたが、ため息を吐いて長いまつ毛を伏せた。


 「勿論、好きですよ。あなたの力は、魅力的です。ピジョンとして、当然の好意です」

 「なるほど、俺の力に惚れてる訳?あんたにはない、PKに?そりゃ、いい」

 低い声で呟いて、真は再び香織を引き寄せた。乱暴に、香織の唇に自分の唇を重ねる。


 ガタン、音をたててエレベーターが止まった。

 そのまま、扉が開く。

 けれど、真は香織を離さなかった。

 ガタン、再び、音をたてて扉が閉まった。


 香織は、やはり抵抗はしなかった。

 けれど、真の腕を掴んでいた指が、ぎゅっと強く握られる。

 それで、彼女が何も感じていない訳ではない事を知った。


 「好きなんだろ、俺を?」

 同調したのは僅かだったが、その時に真は一瞬で香織の全てを知った。

 同時に、香織も真の全てを知った。僅か3秒の間に、互いの気持ちが交差した。


 どんなに隠し立てしても、無駄な事だった。

 沖田の話しなど、付属に過ぎなかった。

 それを、確かなものにする為に、真はここに来たのだと、彼は気付いた。



 「・・・・人が、来ますよ」

 香織は、唇を離した後も、何の反応も返さず、やはり困ったように言っだけだった。

 「うるさい」

 威圧的に言って、香織の言葉を遮る。

 本当は、優しくしてやりたいと思っていたのに。

 あの同調した時の寂しさから、彼女を救い出してやりたいと。


 なのに、どこまでも、自分の感情を見せない彼女を前にすると、傷つけてやりたくなる。

 そんな自分に、益々苛立ちが募った。


 香織の肩を掴んでエレベータの鏡に押し付け、苛立ちをぶつけるように、香織の耳元に叫んだ。

 「そんな事はどうでもいいんだよ。今すぐ、俺を好きだと言え!」


 真の強引さに負けたのか、香織は、ようやく真の方に瞳を向けた。

 透明な視線が、真っ直ぐ真を見つめる。

 表情のない顔の中で、瞳だけが僅かに煌めき、揺れていた。


 「俺を、好きだと言え」

 真は、再び同じ言葉を繰り返した。

 「そうしたら、離してやる」

 ガタン、音をたててエレベータが動き出す。

誰かが、下のボタンを押したのだ。


 しばらく見つめあった後、初めて香織の表情が崩れた。

 苦しそうに一度顔をしかめ、疲れたような声で呟く。

 「あなたが、好きです・・・」

 聞こえるか聞こえないか、それくらい小さな声が聞こえたと同時に、ガタンとエレベーターが止まった。


 扉が開き、やけに間延びしたような、祐介の顔が現れる。

 彼は、真と香織を見比べて、ちょっと驚いたように目を見開いた。

 「もう来てたのか?随分早いな」


 「昨日の件で、注意事項があったので、青山さんには早めに来て頂きました。私はこれから用事があるので、少し失礼します。岡村さんにも、今日のミーティングは30分ほど遅れるとお伝え下さい」

 まるで何事もなかったように、香織。

 見ると、香織はもう何時もの表情に戻っていた。さっきの言葉さえも、幻かと思うほどに。

 「ちっ!」

 思わず、真は舌打ちした。


 流れるような動きで、香織がエレベーターを降りる。

 代わりに、雄介が乗り込んで来た。

 「何か、言われたのか?」

 「別に・・・」

 祐介は心配そうな顔をしていたが、真はぶっきらぼうに言っただけだった。


 あの女…。

 あんなに平然と、嘘をつきやがった。

 まるで、何もなかったように。


 ムカムカと、またしても腹立ちが募る。

 ピジョンが、部下と恋愛する事は禁止されている。

 それも、会社のルールだ。

 ばれたら、規則通りの処罰がある。

 だから、香織も平静なフリをしていたのかもしれない。


 だが、僅かな指の動きが、瞳の揺れが、平静ではない事を彼に教えてくれていた。

 彼の、型破りな性格を、何も恐れないふてぶてしさを、傲慢な態度さえ、何故か香織が密かに羨んでいるらしい事を、既に彼は知っていた。


 同調した、その瞬間から。


 ・・・まあいいさ、時間はある。


 あの女が、ピジョンんだろうと、知った事じゃねぇ。

 上司だろうが…。

 立場なんかどうでもいい。

 ただ、好きな女をものにするだけだ。



 あの女がいい。

 あの女じゃなければ、駄目だ。

 自分の、香織への気持ちに気付いてから、まるで駄々っ子のように、抑えきれない思いが込み上げてくる。

 真にとっても、こんな気持ちは初めてだった。


 しかし…。

 二人は知らない。

 お互いに出会ってしまった事が、歯車を狂わせていく事を。

 そして、この先の二人の運命を大きく変えていく事も、まだ誰も知らなかった。



                 END




※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等は、全て架空の物語です

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Night Walker 〜DUO外伝 しょうりん @shyorin

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