第8話

 「青山さん、もう時間がありません」


 「うるせぇ、黙ってろ。見てな、一発で決めてやるさ」

 香織に向かって、にっと口許を引き上げた後、真は時計に目を走らせた。

 驚いた事に、何時間もそうしていたような気がしていたが、経過した時間は僅か数秒程であったのだ。

 内心、香織の持つ能力の深さに舌を巻く。


 なるほど、流石にピジョンなだけある。

 きっと、スクリ-ンとしてはトップクラスのレベルなのだろう。


 へっ。

 それなら、いいさ。

 自分から貸してくれるんだ、借りといてやるぜ。

 真は香織に触れていない方の手に、気を集中し始めた。


 ・・・・・だが、今に見てろ、俺は絶対トップクラスのエンジニアになってやる。

 その時、借りは幾らでも返してやるさ。

 お前が、俺を必要だと縋る程にな。


 香織の能力で沖田を探しながら、まるで宣言するように、強く香織の意識へと呼びかけた。

 返事は無かったが、相手の納まらぬ動揺を感じて満足する。


 簡単な事だ。


 そう、考えてみれば、簡単な事だった。

 訳の分からぬ苛立ちも、ぶっ潰したくなる衝動も、焦りも、やり場のない不満も、全て原因は一つ。


 会社じゃない、俺はただ、香織に認めて貰いたかっただけだったのだ。

 それなら、答えも簡単だ。

 絶対に、認めさせてやる。


 その決意は、ある意味で宣戦布告のようなものだった。

 生まれて初めて、何が何でも欲しいものに出会った。

 絶対に、腕ずくでも、欲しいものは手に入れてやる。


 ピン。

 沖田の波動が、弦に触れるように意識に触れる。

 ピン、ピン、ピン。

 「それを辿った先が、方向です」

 「うるせぇってんだろ!」

 真は香織の助言を撥ねつけると、感じた方向に向かって掌を突き出した。


 今まで以上に、強い気が漲っているのを感じる。

 ・・・・・こいつを受ければ、奴だって一溜まりもねぇだろ。

 狙っていた場所に、僅かな歪みが生じた。 「食らえ!」

 そこに向かって、ありったけの気を投げつける。

 歪みから現れた沖田が、驚いた顔のまま、放たれた気と共に後方へ吹き飛ばされた。



 凄まじい衝撃音、気は空きビルのコンクリ-トの壁に奴を叩きつけ、光と共に砕け散った。

振動が収まり、辺りを覆う砂煙が晴れると、闇の中に崩れ落ちたコンクリ-トの山が浮かび上がる。


 沖田の姿は、瓦礫の下に埋もれて見えなかった。

 「当たりましたね」

 真の腕から素早く手を引くと、香織は愛想も糞もない声で言った。


 しばらく無言で香織を見つめた後、埃が静まるのを待って、真は重い体をゆっくりと起こした。

 足を引きずりながら、沖田が埋もれている場所へと歩み寄る。


 その隣に、頼りない足取りの影が並んだ。


 「・・・・やったんか?」

 真は、ちらりとそちらを見た後、気まずそうに視線を外した。

 さっきまで倒れていた筈の誠也が、どうにか力を振り絞ってやって来たのだ。

 苦しそうに息を切らし、額から流れる血で片目が塞がっていた。

 眼鏡も飛ばされ、綺麗な顔には血がこびりついている。

 腕の出血は止まっていたが、袖を汚す血の量は相当なものだ。青白い顔が、更に血の気

を失って真っ白になっていた。


 かなりの重症の筈なのに、凄い精神力だ。


 ・・・・それぐらいじゃなけりゃ、やって行けるとこじゃねぇ、か。

 今回の仕事を経験して、真は会社の底深さを知った。


 そうだ、ETSのエンジニアは、そうでなくては続けられない。

 きっと、倒れれば、その瞬間に全てが終わるのだろう。



 「・・・まだ、分からない」

 真は、努めて感情を表さず、素っ気なく言った。

 それから、沖田が埋もれているだろう場所の瓦礫を、気で軽く動かした。

 しばらくして、ボロボロになったコンクリ-トの鉄骨の下に、倒れていた沖田を見つけた。


 思わず、感嘆のため息を漏らす。


 「まだ、生きてやがる・・・・」

 渾身の思いで放った気を、彼はまともに受けたのだ。

 即死しなかったのが、不思議なくらいである。



 真が足で沖田をつつくと、彼は微かな息を漏らした。それから、焦点の合わない目を、はるかか虚空へと向ける。

 そこに向かって、沖田は小さく呟いた。


 「全く…、野本清次郎は…趣味が悪い…」


 こいつ、まだ喋れるのか?

 その事に、真は更に驚いた。


 「…まさか…あなが…それ…が、…どういう…意味かしっ…ている…のですか?」

 彷徨う沖田の視線が、誰かを探すように動く。

 「勿論です」

 息絶え絶えの呟きに答えたのは、香織だった。


 どう言う意味だ?

 怪訝に思いながら、沖田と香織のやり取りを聞く。

 「貴方は、私ならル-ルを乱さないと判断しました。多分、私と、私の立場を知っていたからでしょうね。でも、それが敗因です。私は、必要なら何でもします。そして、全てうまく処理する事が出来るのです」

 沖田は、無言のまま目を閉じた。

 まるで、自分の敗北を認めたように。



 「これは計算されていた事です。全ては闇の中に沈められ、私たちを除いて貴方以外は誰も知る者はないでしょう。私が今、ここに居る事さえも」

 沖田は、香織の言葉に対して、僅かに口許に皮肉な笑みを浮かべた。


 「……なるほど。では…、私がここに来た意味もご存知ですか…?」

 「はい」

 「そうですか……」

 「残念ながら、私の居場所は、ETSだけです」

 「即答…ですね。あの男に…その価値が…ありますか?」


 香織は、無言だった。


 「あの男を凌ぐカリスマを…あなたは持っている…かもしれないのに?」

 香織は、やはり無言だった。

 「それが…答えですか。全く…愚かだ。そして…哀れ…ですね。あなたも…、そして私も…そこの坊や達も…」

 「哀れ、ですか?哀れでない人間など、果たしてこの世に存在するのでしょうか?」

 香織は、少し目を細めて言った。

 真は、何故かその表情にざわめきを感じる。


 同調を解いた今は、香織の感情は全く伝わって来ない。

 しかし、何時もと同じ表情の中に、何故か香織の内側を見たような気がしたのだ。


 深い孤独と、哀しみのようなものを。


 何時もは折り目正しい服装の香織が、リボンを乱し、制服も埃に塗れさせている。

 不思議と、彼はその姿に胸が痛んだ。


 「おしゃべりは終わりにしましょう」

 香織が冷たく告げると、沖田は諦めたように再び目を閉じた。


 「・・・どないするんや」

 誠也が、真に向かって尋ねる。

 「やるしかないだろ」

 彼は、香織から視線を外し、感情の籠もらない声で告げた。

 と、沖田の側で空間が歪む。

 今まで押さえられていた祐介が、ようやく開放されたらしい。



 「・・・悪い」

 彼は、姿を表すなり、口許に少し辛そうな笑みを浮かべて言った。

 「祐介、念のためにちょっとこいつ、押さえとけ」

 真は敢えてその事には触れず、やはり素っ気ない調子で言った。


 祐介が頷き、拳を握る。

 彼の力で、沖田の力を抑えるのだ。

 今なら、祐介の方が完全に上回っている。

 これで、沖田が逃げ延びる確率はゼロになった。

 真は鋭い目で沖田を見つめ、低く尋ねた。

 「何か、言い残す事はないか?」

 手を振り上げて、返事を待つ。


 「すべての…可能性を想定するする事…、と…私はあなたのピジョンに…教えたはずですけどね…。残念ですが…、情報はあげませんよ…。君達にも……。」

 「どう言う意味だ?」

 「意味?…そう…、全てが…、想定内と言う事…」


 「想定内?」

 「私の…、役目は…十分果たした。私は…、ただきっかけを与えるだけ」

 「どう言う意味だ?」

 「君らには…関係ない…。ただ…最後に…ひとつ…君達に…」

 弱々しく掠れていく声で、沖田は意味深に小さく笑った。

 「君達の選んだ道は…、闇より深い」


 瞬間、沖田の姿が激しい炎にかき消された。

音もなく、静かに。

 もし、香織がシールドを張っていなかったら、真はまともにその炎に巻き込まれていただろう。


 祐介が抑えていたのは、彼のexitとしての能力のみ。

 exitとしての資料しかない彼の、発火能力など誰も想定していなかった。


 スクリーンである、香織を除いて。


 目がくらむ程の強い炎が弱まると、香織は無言でシールドを解除した。

 暗い闇と静寂が、再び訪れる。遠くで、車のクラクションが高く響いた。


 「こいつ、・・・自分でやりやがった」

 燃えかすと化した男を見つめながら、真は独り言のようにつぶやいた。

 心の中に、苦い思いが広がる。


 そう言う事か…。


 沖田の言う通り、勝ったという感覚は微塵も感じなかった。

 元々最初から、勝てる相手ではなかったのだ。

 香織がいなければ。


 そうだ、あんたの言う通りさ。

 俺達は、何も成してはいない…。


 沖田は、ベテランのエンジニアだ。

 それだけの能力者でも、この末路。

 真とて、この先どうなるかは分からない。何時、同じ二の舞を踏む事になるか。

 それは、将来の彼自身の姿かもしれなかった。


 全てが終わった後も、真達はしばらくその場に佇んでいた。


 ・・・・やがて、


 「その傷の手当てをしなければ」

 と、香織が言った。

 三人は、驚いて彼女を見つめる。


 途端、痛みが蘇って同時に真と誠也はうずくまった。

 空間の狭間で動けなかった祐介はともかく、本当は真も誠也も、負った怪我で立っているだけで精一杯の状態だったのだ。


 香織は相変わらず事務的な顔で近付くと、二人の傷に手を翳した。すると、痛みが収まり、みるみる傷も塞がっていく。

 数分後には、傷口は完全に癒されていた。


 「これで大丈夫でしょう」

 やや疲れた声で、それでもやはり香織は事務的に言う。

 「香織さん…」

 「お前、メディシンだったのか?」

 「ほんまに、香織さんがヒーリング出来るなんて、しらへんかった」

 三人の驚きに向かって、香りは無表情に答えた。


 「これは、社に登録していません。疑われかねない力ですから」

 「どういう意味だ?」

 真の言葉に、少しだけ、香織の表情に苦笑のようなものが混じった。


 「私は、ピジョンです。ピジョンは、言わばエンジニアの管理者。伝書鳩としての役目の他にも、エンジニアを監視するのが仕事なのです。会社は、必要な人間しか認めません。ですから、切り捨てていくのも、私達の役目なのです」

 「知ってるさ、沖田が言ってたじゃねぇか」

 少しむっとしながら、真。

 香織は真っ直ぐな視線で真を見つめた後、こう付け足した。


 「ピジョンは、エンジニアの仕事に係わってはいけないと、知ってますね。それは、きちんとした理由があるのです。一つは、エンジニア達の力量を計る為。社は、正確なデータを欲してます。ですから、ピジョンがエンジニアの手助けをする事を固く禁じています。そして、もう一つ。会社は、エンジニアが個人の為に動く事を恐れています。故に、ピジョンは、エンジニアとの接触を最低限に抑えなければいけない。エンジニアがピジョンに懐けば、それだけ力を付ける事になりますから。私達はあくまでも、社長の代理的存在なのです」


 「その禁を侵すと、どうなるんだ?」

 真の質問に、香織はしばし沈黙した。

 その後、ゆっくりと口を開く。

 「恐らく、私はピジョンから外され、あなた方は配置転換されるのは間違いありません」

 「・・・・んなあほな。香織さんは、それでええんですか?」

 香織は、スカートの埃を払って、静かに笑った。


 それは、彼女が三人に見せた初めての感情。

 真面目で純粋な学生が見せるような、透明な笑顔だった。


 「さあ、仕事は終わりました。後の事は、会社に任せて下さい。タイムリミットが来ました。これ以上は、この場所を無人の場所として維持する事はできません。私も、これで失礼します」

 はじめて彼女の笑顔を目の当たりにして、呆然としている三人に言ってから、香織はさっと背を向けた。

 細い影が、やがてビルの谷間に吸い込まれて行く。


 「なんや、けったいな人やな。せやけど、不思議とひかれる所があるわ。なんちゅうか、なんかしてやらなあかんような・・・・」

 「ああ」

 誠也の言葉に、祐介が頷く。

 真は、それに肩を竦めて見せただけだった。


 ・・・そう言えば、足を引きずってたな。


 俺達の怪我を治す前に、自分のも治しときゃいいものを。

 真は、あの時香織も巻き添えにしようとした事に、少しだけ後悔の念を抱いた。


 「ほな、僕も行くわ」

 片手を上げ、誠也も彼に背を向ける。

 「僕も」

 祐介も、違う方へ歩き出した。

 見送る気もなかったので、そのまま返事もせず、真も二人とは反対側の道を歩きだした。


 初めての大きな仕事を、香織のお陰でどうにかやり遂げた。

 なのに、こんなに虚しいのは何故だろう?あの男の言葉が、何度も耳に児玉する。


 「君達の選んだ道は、闇より暗い」


 ・・・・そうかもしれない、そういう世界を、俺は選んでしまったのだ。

 そして、そこでしか認められない力がある。


 「哀れ、か」

 ・・・・俺達は、そうなんだろうか?

 真は、立ち止まって考えた。

 それを、認めたくはない。

 そんな気持ちで、彼は星の無い空を仰ぐ。


 香織と同じで、表情の無い月だけが、異様に明るくビルの街を見下ろしていた。

 これが、正しい事だとは勿論思っちゃいない。けれど、間違いだったと素直に思う事も出来なかった。


 何故なら、最初から行き止まりばかりで、選べる道が僅かにしかなかったのだから。

 それでも、ようやっと得た道。


 肌寒さを感じ、身震いする。

 ジ-ジャンのポケットに両手を突っ込み、彼は再び歩きだした。


 ・・・・そうだ、これが俺の道だ。深くて暗くとも、俺の選んだ道なんだ。

 自嘲的に笑って、取り合えず納得する事にした。





※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等は、全て架空の物語です

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