第7話
「悪魔め」
嗄れた老人の声が、不意に真の耳元で響く。
祐介は、物心ついた頃から、祖父によってそう罵られてきた。
「わしの伜は騙せても、わしは騙せんぞ」
「お父様、祐介は悪魔なんかじゃありません。私と、正敏さんとの子供です」
「うるさい、この女狐が。わしの伜を誑かせて、悪魔の子を身ごもりおって!」
何度も耳にする、祖父と母との言い争い。
何時、どうやってかは分からないが、祐介の 祖父は彼が能力者である事を知っていたようだった。だからこそ、祐介を悪魔と思い込んでしまったのだろう。
祖父はマンションに来る度に、ふと縄と経文を抱えていた。そして、夜中になると彼を裸にして縛り、体に経文を書きなぐって、竹刀で何度も何度も、気絶するくらい殴り付けるのである。
それだけではない、母親にまで酷い暴言を吐き、暴力を振るう始末。
祐介は、この祖父が何にも増して大嫌いだった。
ある夜、祖父が何時もの通り祐介の部屋にやって来た。
何時もならその足音に脅え、布団の中で縮こまっていた筈の彼は、何故かその時、恐怖とは違うものが沸き上がって来るのを感じた。
憎しみだ。
蓄積された激しい怒り。
それが、恐怖を超えた瞬間だった。
もう、嫌だ。
祖父の顔も見たくない。家に来て欲しくない、痛い思いも嫌だし、母親が殴られるのも見たくない。
祖父の手が布団に掛かった途端、彼は立ち上がって老人を突き飛ばした。
「お前なんか、どっかへ行っちゃえ。消えてしまえ!」
瞬間、老人の姿が目の前から消え去った。
ことん。音をたてて、祖父の持っていた筈の竹刀が絨毯に落ちる。
幼い祐介は、震えながらそれをじっと見つめた。
祖父が何処に行ってしまったのかは、分からない。
けれど、これだけはわかった。
多分、自分の知っている中のどこか、一番遠い場所へ捨ててしまったのだと。
そしてそこに行けば、死んでしまうかもしれないと言う事も、彼は理解していた。
それでも、祖父を連れ戻そうとは思わなかった。
二度と顔を見たくない、その思いの方が強かったからだ。
やがて大きくなって、祐介はその行為こそが、悪魔だったのだと知った。
しかし、今更後悔しても遅い。
そうだ、彼は会社の為に、悪魔になる事を決意したのだから。
能力者達が、苦しむことのない世界を作るために。
真は、ため息を吐いて首を振った。
今の今まで、彼は自分の事しか考えていなかった。
自分の苦しみだけが全てだと思い、他の奴らになど分かるかと突っぱねてきた。
しかし、誠也にしても、祐介にしても、思いは自分と同じ。
それに、強いショックを感じていた。
能力者の生きざまは、みなこうなのか?
それでは、余りに惨めすぎる。
何故、力のある我々が、力の無い一般人に迫害されねばならない?
再びため息を吐いて、真は香織の方へ顔を向けた。
「お前は・・・・」
言ってから、言葉を止める。
元より、同調している相手に、言葉など不要だったのだ。
真はただ、こう尋ねたかった。
「お前は、何時もこんなものを見ているのか?」と。
(それが、私の能力ですから)
と、憂いを帯びた響きが返って来る。
ゆっくりと首を振り、彼は塵の中にぼやけて見える、香織の顔に視線を凝らした。
まるで蝋人形のような少女から、柔らかい手の温もりを感じる事に、不思議な感情を抱く。
改めて、相手が息が触れる程近くにいる事を認識した。
塵が少し収まって来たのか、香織の表情がはっきり見えるようになった。
何時もと同じ、無表情。
しかし、同調している事で、彼は今まで知る事のなかった香織の内面を感じた。
誠也や祐介のように、過去を見る事は出来なかったが、それでも心の動きは伝わって来る。
香織の心は、例えれば透明な水のようなものだった。
先にあるものまで透かす程に澄み、静かで柔らかな色。しかし、それは哀しみの色とも重なっていた。
そして、その哀しみを受け入れてしまっている。
・・・・何が、そんなに哀しいんだ?
真は、強い苛立ちを感じながら思った。
何故か、やけに息苦しい。
手を伸ばしても届かないものに、必死で触れようとしているような気分だった。
違う、そうじゃない。
俺は、ただエンジニアのトップになって、自分の強さを認めて貰いたいだけだ。
それが俺の望みであり、夢でもあるのだ。
だが、少女の深い黒瞳を見ていると、そんな自分の夢が、妙に味気ないものに思えてくる。
まるで、吸い込まれそうな深さ。その美しさに、一瞬目を奪われる。
もっとよく見てみたい気がして、真は思わず香織の顔に手を触れそうになってしまった。邪魔な眼鏡を外して、もっと側で、触れる程・・・・・。
「・・・・青山さん、今は、沖田の事だけを考えて下さい」
再び香織の声で遮られ、真はかっと顔を赤くした。
今、二人は同調しているのだ。恐らく、香織にも彼の心が伝わっている筈。
彼女に邪な感情を抱いていた事も、きっと。
・・・・・俺は、馬鹿か!
ついさっきまで、むかついて、一緒に吹き飛ばそうとさえした女に、何を考えてんだ。
相手は年上で、ピジョンで、上司で、エリ-トで、蝋人形のような女だ。
そう自分に言い聞かせながらも、真は生まれた感情を押し潰す事は出来なかった。
ただ率直に、こう思った。この女に触れてみたい、と。
僅かに、相手の動揺が伝わってくる。
真はそれで、実は香織が見た目程に、不感症ではないのだと知った。
※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等は、全て架空の物語です
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