Girl Meets Boy
風邪をひいた。
それは思ったよりも長引いてしまい、結局あたしは3日も学校を休んだ。
あたしはその3日間というもの、毎朝目が覚めると同時に胸の痛さに襲われた。
なぜって、それはもちろん電車に乗れないから。
この3日の間に、彼が電車をかえてしまっていたら?
毎朝電車に乗っていようが乗っていまいが、あたしに何かできるわけでもないだろうに、悶々とそんなことばかり考えた。
6時43分。
3日ぶりに乗る電車は、あたしの悲壮さにはまったく頓着せず、いつも通りぶっきらぼうに運行している。
前から2番目の車両、後方の入口。
彼はここから乗ってくる。
だから、あたしはちょうどその向かいの席に座る。いつも通りの位置。
こんな日はさすがにナボコフの『ロリータ』を読む気には到底なれなくて(前々から思っていたが、主人公のハンバートだけでなくナボコフだってきっと変な親爺だったに違いない)、毎朝電車に乗ると同時にとりだす本は未だに鞄にしまわれたままだ。
こんなことなら、あんなに見るんじゃなかった。
好きになんてなるんじゃなかった。
膝の上に重ねた手をきゅっと握った。
最初は毎日同じ電車に乗っているから、すこし興味を引かれただけだった。
それから彼が現れる駅に着くのを待つまでにそう長い時間はかからなかった。
彼が電車に乗り込んできたときに目が合わないように、こころもち視線を落とした。
電車が減速を始める。
ドアが開くと同時にぞろぞろと乗客が乗り込んでくる。視界の中、通り過ぎて行くいくつもの靴の中に、見覚えのある靴を探すけれど一向に現れない。
いつもなら、とっくに座席に座っているころなのに。
前から2番目の車両、後方の入り口。
場所がいつも通りか確認し、時計を見て普段と変わらない時間の電車だということも確かめて、私は顔を上げた。
発車のベルが鳴る。
彼が、来ない。
私がひゅっと息を吸い込んだのと、彼が電車に走りこんできたのが同時だった。
「あ……!」
一瞬遅れて扉が閉まり、電車は何事もなかったかのように動き始めた。
乱れた息はそのままに、彼はじっと私を見つめていた。
嘘みたいだ嘘みたいだ嘘みたいだ。
今まで私のことなんて気付かれてないと思っていたのに、彼はまっすぐに私を見て、そしてこちらへ向かってくる。
馬鹿みたいに唖然としている私をよそに、彼はそっと私の隣に腰を下ろした。
私の隣に!
「おはよう、ございます」
小学生の時、転校初日にクラスメイト全員に挨拶したときの100倍は緊張した。
自分の声が誰かほかの人に声みたいに頼りない。
「毎朝、お会いしますね」
「あ、はい…」
少し戸惑ったような彼の返事が、気心の知れた友人と威勢のいい会話をしていたときとまったく違う調子だったので、思わず笑みがこぼれた。
彼が私に向かって笑う。
他の誰かでなく、私に向かって。
「今日は何を読んでるんですか?」
その言葉にすぐには『ロリータ』だと言えなくて、でもこの調子じゃ今までどんな本を読んでいたか、知られてしまっているのだろうと思うと、なんだか奇妙におかしかった。
名前を聞こう。
そして、「100万回生きたねこ」は本当にいい話で私もほろほろ泣いた、ということとか、エルレガーデンってどういう曲を歌ってるのか聞いてみたいなと思っていたこととか、実はずっと前からあなたが乗ってくるの駅に着くのを毎朝ひそかに楽しみにしていたこととかを話そう、と思った。
笑いながら背表紙を見せた。
こうして、今日も長い1日が始まった。
-THE END-
Adorable ようこ @naughtycat_yoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます