ひとりぼっちの一歩

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ひとりぼっちの一歩

 鉄筋コンクリート製の2階建てアパートの部屋があった。

 外観こそ真新しく感じるが、築40年は経っているので昭和の物件だ。

 5帖の洋室に、キッチン、ユニットバス、トイレ付きの1Kだ。

 ちょっと狭いかも知れないが、一人が住むには丁度良い感じだ。

 大学生になった平山ひらやま里奈りなは、実家を離れての初めての一人暮らしに、胸を高鳴らせていた。

 志望校としては第2希望の大学で、滑り止めとして受かった大学に通う事になったのだ。

 実家から通う事も出来なくはないが、通学時間が2時間を越えるのでかなりキツい。

 両親に相談しながら、決めたのがこのアパートだった。

 大学まで自転車で15分と、決して近いとは言えないが海が見える良い立地である。実家は盆地にあり、海が近い事に憧れていたのだ。

「勉強漬けの受験生活だったな〜、大学生活はたっぷり満喫したいな」

 里奈はアパートの窓際に寝っ転がりながら、そんな事を呟いた。


 ◆


  翌日からの大学生活は目まぐるしく過ぎていった。

 必修科目の講義も難易度が高過ぎず低すぎず、程よく苦行とも言えなくない手応えのものだった。

 親の目のある実家暮らしだと夜遅くまでの外出は厳禁はもちろん、徹夜でゲームをしたりマンガを読んだりする事さえ許されない。

 しかし一人暮らしになってからは、ありとあらゆることが自由だ。

 睡眠不足で講義中に居眠りをしてしまう事もあったが、これも充実した大学生活の一部だったと言えよう。

 里奈は人生の春を謳歌していた。

 だが、一人暮らし3日目にして財布の中身の減りの多さに危惧を覚え始める。

 里奈は料理をしたことが無く、ついコンビニ弁当やカップ麺で食いつないでしまっていたのだ。

 弁当一個を買う時に、飲み物を一本、弁当の量の少なさに惣菜を一品、お菓子を一個購入すると、2000円近い金額になってしまう。

 コンビニ弁当のボリュームの少なさは、女性でも食べ切れるようにと考えられた聞いたことがあったが、アレは耳障りの良い詭弁だ。量を少なくすることで、他の商品も合わせて購入して貰おうという策略だろう。

 つまり、貧乏学生にはかなり厳しいのだ。

 里奈は、アパートの食卓兼勉強机でもあるコタツの上で、この3日間のレシートを集めて計算し、仕送り金額と突き合わせた結果、このままでは生活が破綻することが確定した。

「実家なら食費のことを考えなくて良かったけど、一人暮らしはこういう所があるのね……」

 大学に通いながらバイトをするという選択肢はあるが、まだ大学生活が始まって一週間も経っていないだけに、大学生活のローテーションが分かっておらず、どの程度バイトに時間を割くことが出来るかは不透明だった。

「食費を抑えるには、やっぱり自炊よね」

 しかし、実家暮らしの時から一人暮らしの自炊などした事がなく、具体的にどんな料理から始めたら良いのか分からなかった。

 思い出があると言えば、家庭科で習ったご飯、味噌汁、カレー位しか里奈には思い浮かばなかった。

 しかし、そんな知識も大学受験に必要ないからと、トコロテン方式で忘れてしまっている。

 こういう時こそ、スマホだ。

 里奈は充電器に差しっぱなしだったスマホを手に取り、レシピを調べることにした。

「手軽にするならカレーかな? 作り置きしても冷凍庫で保存もできるし」

 改めて冷蔵庫の中身を確認するが、食材らしいものは全く見当たらない。実家の冷蔵庫には、卵や肉、野菜が切れること無く詰まっていた。

「お母さん、凄いな」

 自分が一人暮らしを始めた時のことを思い出して、苦笑が漏れる。

 買い物を終えアパートに戻った里奈は、鍋に水を張って沸騰させ始めた。計量カップを持っていなかったので、ペットボトルで代用した。

 カレールーの裏面にある通りのジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、牛肉の材料を切っていくのだが、里奈は使い慣れない包丁に四苦八苦する。

 凹凸のあるジャガイモの皮を剥くのだが、不器用な彼は皮だけでなく身の方まで削ってしまった。

 スマホ画面を見ながらニンジンを切るのだが、切り終わって皮を剥いていないことに気づいた。

「……まあ。皮に近い部分には、栄養素が多く含まれているので、皮をむかずに食べると栄養面でメリットがある。って解説してあるし、良いか」

 言い訳のように独り言ちた。見た目を良くするならば、皮を剥くべきだが、そこは家庭料理とプロの差であろう。

 次に、玉ねぎの皮を剥いて刻んでいると、目が痛くなってきた。涙が止まらない。

「そうだった。玉ねぎって切ると涙が出るんだった」

 涙を滲ませながら玉ねぎを刻む。

 最後に牛肉だが、カレー用と書かれたラベルだけに程よい大きさにカットされていたので、そのまま沸騰した鍋の中に投入した。

 後は煮込んだタイミングでルーを入れいれば完成だ。

 そこで、里奈は気づいた。

 ご飯を炊いていないと。

 慌てて、米を研ぐと炊飯器にセットした。早炊きにしたことで、両方ともいいタイミングで出来上がってくる。

 ジャガイモ、ニンジンが茹で上がっていることを確認すると、カレールーを加えて溶かす。

 カレーを火にかけたまま、炊飯器からご飯を皿によそう。

 スプーンに飲み物である、お茶を用意していると、里奈は妙な臭いを鼻が捉えた。

 焼き上がるような臭い。

 これは……。

 そこで里奈は気づいた、カレーが焦げていることに。

「ヤバ!」

 慌てて火を消して、お玉で鍋の底を確かめると固い感触がする。

 焦げているのだ。

 カレーに火をかけた時は、混ぜながら弱火で煮込むべきだった。

 里奈はカレー全体に焦げ臭さが広がらない様に、焦げていない箇所だけを別の鍋に移し替えた。

 厄介な洗い物が増えてしまったが、兎にも角にもカレーライスが出来上がった瞬間だった。

 炊き上げた白いご飯の上に、煮込んだカレーをかける。

 里奈は期待に胸を膨らませ、スプーンでご飯とルーをすくうと、口に運んだ。

 ハムハムと二度噛んで、違和感に気づいた。

 焦げ臭さがあるのは致し方ない。

 だが、ご飯に芯が残ったままなのだ。

 噛みしめるごとに歯に抵抗が伝わる。

 口直しに、牛肉の旨味を感じたくて肉の塊を口に運ぶと、その歯応えの固さに愕然とした。歯応えというには固すぎる。まるでゴムでも噛んでいるかのようだ。

 そこで里奈は牛肉が入っていたパックの表示を確認すると、カレー用スジ肉だったのだ。いくらカレー用とあっても、スジ肉の場合、固いために下処理を、しっかり行う必要がある。

 しかし、料理の勉強をしたこともない里奈には、下処理なんて知る由も無かったのだ。

「失敗した~!」

 里奈は後悔しながら、もう一口を放り込んだ。

 食べられなくはない。

 カレーの香辛料と味が強いだけに、ある程度のアラは隠すことはできたが、それでも十分にマズかった。

 ご飯には芯があり、肉は固い。

 苦みは甘みを引き立てるというが、焦げたカレーには、そんな情緒は存在しなかった。

 お腹を満たすことはできても、これ程虚しい食事は初めてだった。


 ◆


 一人暮らしを始めてから二週間が経った。

 里奈の住む部屋は、さんさんたる有様だった。

 弁当ガラや、惣菜のパックがあちこちに放置されている。カップ麺のカップでタワーが作られ、洗濯物は洗濯物カゴに放り込まれていたが、その様子はゴミのようだ。

 自炊をして食費を節約しようと意気込んだのだが、大学の講義と課題によって、毎日を慌ただしく過ごす内に部屋は、汚部屋と化していたのだ。

 いや、悪魔や魔獣、アンデットが生息していてもオカシクない魔境と化していたのだ。

「ヤバい……」

 里奈は、講義を終えて自分の部屋に帰っているのだが、一日の疲れに部屋に帰って片付けや自炊をする気力が無くなり、部屋のドアを開けることを躊躇っている。

 一週間前から部屋着すら洗濯していないのだ。

 最近は実家の母親から定期的に連絡がある。里奈の生活ぶりを心配した母親が心配をしてのことらしい。

 心配されたところで、部屋の惨状は変わる訳ではないが、明日から休みなので何とかしなければと思いつつ、観念してドアを開けると異世界が広がっていた。

 ファンタジーの世界に繋がっていたという意味でない。

 洗い物で埋め尽くされていた流し台がキレイに片付けられ、ゴミと化していた洗濯物はすべて洗われ、押し入れダンスに仕舞われている。

 ゾンビが使っていて納得してしまうベッドも白く輝くシーツによって、天界の寝具のように見えた。

 里奈は部屋を間違えたのではと思い、表に出て部屋番号を確かめるが、何度確かめても自分の部屋だった。

 部屋にあるコタツ机をみると、ラップがかけられたご飯と味噌汁、肉じゃがと鮭の塩焼きがあった。

 そのタイミングを見計らっていたかのように、スマホのメールの通知音が鳴った。

 実家の母親からだった。


〝近くまで来たので、ご飯を作りました。体に気をつけて、頑張ってね〟


 里奈は視界がボヤけるのを感じた。

 その瞬間、里奈は改めて親のありがたみを感じることができた。一人暮らしには、当然メリットもあったがデメリットも確実にある。

 親元を離れて、初めて分かることがある。

 毎日ご飯を作ってくれていた母に里奈は感謝した。

「いただきます」

 しっかりと手を合わせてから、肉じゃがに箸をつけた。

 口の中でホロリと崩れるジャガイモと、ニンジンの甘さがよく染みた醤油の味が口に広がる。

 久方に口にした母の味だった。

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