第28話「返却棚の事件簿」

 筋トレマシンに寝転んで天井を眺めながら、10年以上経過した今も、「オレンジの封筒」の謎を抱えたままだったことを思い出した。

 そして、この事件がこの仕事を始めたきっかけだったことも。

 筋トレマシンと珈琲の香りが、それを思い出させた。

 「筋肉は嘘をつかないって、なか〇まきんにくん、そういうことなの?」

 と、またどうでも良いことを呟いて気持ちをはぐらかすと、記憶の図書館の深部へその「事件簿」を沈めようとしたときだった。

 左目の視界に重なって「あの封筒」が見えた気がしてハッとした。


 不意にTNBコンサルタント㈱の事務所入口のドアが勢いよく開いた。

「ただいまー。はー、お腹すいたー!

 あきらさーん。ただいま帰りました!!

 おっ!珍しく社長がいる。またサボってるんでしょ。

 あきらさんに怒られますよ!って、

 あっ、珈琲飲んでるー!私にも下さい!」


 昼下がりの静かな応接が急に賑やかになった。

夏海が潜伏調査中のクライアント企業から戻ってきた。

 あの事件の「なっちゃん」こと、天童夏海は、いまこのオフィスで調査員として働いている。


 あの事件の後、U社は様々な不祥事が噴出し、それに比例するように業績も落ち込んでいった。当時聞こえてきた噂では、あの事件と同様の問題がいろんな部署で発覚し、中には取引先と共謀を疑われるケースもあったという。

 巨大グループの一角を担っていたU社にとって信用は他に代えがたい経営資産だった。

 会社組織の深部まで蝕んだ病巣は深刻で、立て直そうとする瞳美の父親や大山田部長たちの努力も虚しく、失われた信用を取り戻す事はできなかった。

 U社はグループの癌細胞として解体され、病巣を切除する様に管理職がリストラされた。残った社員たちは散り散りとなりグループ企業に吸収されて会社の暖簾のれんは降ろされた。


 そして、10数年という長い再生期間を経て、また駅前の繁華街を見下ろすあの丘にU社は再建された。残った者、離散し成功した者、失敗した者。いろんな話は入ってきた。仲間の葬儀に集った回数は途中から覚えていない。

 ただそこには人生の悲喜交々があったことは間違いなかった。

 あの謎の組織がその後どうなったのかは、不自然なほど聞こえてこない。

 夏海もその騒動の中、一足早く退社し、光とこの仕事を立ち上げていた俺のもとに転がり込んできたのだ。

 

「あ!そう言えば、社長、郵便ですって。

 さっき入口でいつものイケメン配達員さんが渡してくれました。

 はい、あきらさん、これ。」


 夏海は肩から斜め掛けした大きめの白いバックから封筒の束を取り出した。

 光は手早く淹れた珈琲とお茶請けのカステラを夏海に渡すと、かわりにそれを受け取った。


 「なっちゃん、ありがと。

  んー、請求書に、請求書に、請求書っと。

 たまには私宛のファンレターでも来ないかしら、と。

 あれ?なっちゃん、なにこの封筒?」

「あー、さっき入口で宅配の人が渡してくれたんですが、社長宛みたいですよー。」


 受け取った封筒をヒラヒラなびかせながら光が振り返ると、山田の表情を見て声をあげた。

「しゃ、社長?どうしました?

 大丈夫ですか?口から珈琲が溢れてますよ!」

「あきら、それは、オレンジ色の封筒なのか?・・・。」

「・・・。他に何色に見えます?」

 そう言うと光は山田に封筒を手渡した。

封筒の裏側に差出人の名前はない。

 

 光の入れた珈琲が、あの給湯室の珈琲の香りと重なった。

 永い刻を経て、返却棚に置かれたままの事件簿が開こうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

探偵はコンサルタント soboroharumaki @yuichikmgt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ