第11話 へび座 わし星雲 M16

 雫は一人で、児童公園のブランコに腰掛けていた。


「はぁ、はぁ……。見つけた……」


「なんで。どうして」


 雫はうろたえたように呟くと、ブランコに座っていてなお後ずさろうとする。


 それが当然の反応なのだが、対して俺はずいっと、あり得ないくらいに雫との距離を縮めてしまった。


「ちょっ」


雫が抗議の声をあげる。


しかし、このときの俺はただひたすらに雫に出会えたことが嬉しくて、背負ったリュックが肩に食い込んでくる痛みすらも忘れてしまう始末だったので、雫の抗議の声が俺に届くはずがなかった。


「よかった……まだ、いてくれた……!」


「えぇ?」


 困っている雫にも気づかず、俺はなんとかして息も絶え絶えに感動を口にする。がしかし、雫には一ミリたりとも伝わっていないようだった。


 さすがに尋常じゃないと判断したのか、雫は「とにかく落ち着いて。ほら、深呼吸して」と焦ったように言うと、ゆっくり俺の背中を擦ってくれた。


 おかげで、少しづつ上がっていた息もおさまっていった。


 そろそろまともに話せるようになったかなという頃合いに、雫は俺に説明を求めてきた。


「それで、どうしたの」


「雫のことを探してたんだよ」


「まさか、街中駆け回ってたなんて言わないよね」


「そんな非効率的なことはしないよ。こちとら天文部なんだから、もっと効率の良い方法を持ってる」


 そう言って俺は、背負っていたリュックから双眼鏡を出して掲げてみせた。シズクノメが大きく見開かれる。


「知ってるか? 俺等の高校ってこの街で一番標高が高いところにあるんだ。あとは、わかるだろ」


「……その双眼鏡で、屋上から私を探したの?」


「ザッツライト!」


 とことん呆れ返ったとばかりに天を仰ぐ雫。もはやこれはストーカーレベルのやり口だから、今回ばかりは呆れられても仕方がないと思えた。


「それで児童公園に入っていく雫を見つけたから、全速力で走ってここまで来た」


「…………馬鹿なの?」


 しっかりと溜めをつくった上で、雫はそう呟いた。


「ああ、たしかにこれは馬鹿がやることだ。認める。けど、そんな”馬鹿なこと”をしてまで、俺には雫に会う理由があったんだよ」


「……」


 俺の馬鹿さ加減に嫌気が差したのだろうか、雫はもはやなにも返してこなくなった。心なしか、雫の頬に朱が灯っているような気がするのはどうしてだろうか。


 まあ、どれもかしこも今考えるべきことではないだろう。俺は一旦その辺りの疑問を頭の隅に追いやり、しっかりと雫の目を見た。


 そうして、俺はためらわずに本題を言い放った。


「雫。単刀直入に言おう。雫のやろうとしている復讐は、無駄だ」


「っ!」


 一気に雫の顔色が変わる。緊迫した雰囲気が辺り一帯に立ち込めた。


「悠星に言われたくはない。これは私が決めた復讐だから」


 強い意志に満ちた、拒絶する意思を多分含んだ厳しい一言。普通ならこれでたじろいでしまう人がほとんどであろう。


 だがその声を跳ね返すようにして、俺は言葉を返した。


「いいや言わせてもらう。雫の復讐は無意味だ」


「……そこまで言うのなら、なにかそう言う証拠を見せてよ……!」


「ああもちろん。というか、俺は証拠を見せるために、わざわざここまで来たんだ」


 静かに激昂していた雫の勢いが止まる。その隙に、俺はリュックの中から、一代の機械を取り出した。


「それは……」


「持ち運び型の天体望遠鏡。コンパクトで高性能な優れた代物だ。ずいぶんと前に部費で買っていたやつを引っ張り出してきた」


 ちなみにこいつがリュックが俺の肩を締め付けるほどに重くなっていた要因である。こいつのおかげで明日筋肉痛になること間違いなしだ。


 当惑する雫に、「まあちょっと待ってろ」と声を掛けると、俺は早速望遠鏡の設置に取りかかった。


 カチャカチャと部品同士が触れ合う音だけがしばらく響いた。雫も、この間に俺を糾弾してくるようなことは一切してこなかった。


「よし」


 設置完了。あとはが見えるかどうかだが……。


 俺は空を見上げる。幸運なことに、申し分のない晴れ空だった。


 レンズを覗き込み、忙しなく視線を巡らせる。


「ねえ悠星、悠星はどうして、そこまでして私を止めようとするの」


 俺のことを見つめてきながら、雫が小さな声で尋ねてきた。俺は一瞬視線を雫に向ける。


「さっきも言っただろ。雫の復讐が無意味だから、それを止めようとするのは当然だろ?」


「でも……」


「それに、雫のことをこれ以上傷つけたくないんだよ」


「……えっ」


 少しだけ顔が熱くなるのを感じる。ちょっと気恥ずかしかったが、言ったことに後悔はしていなかった。


 黙り込んでしまった雫を横目に、俺は目当てのものを探す。


 程なくして、は見つかった。


「まずはこの天体を見てくれないか、雫」


 俺は雫の方へ向き直りそうお願いした。雫はなにも言わず、すっとレンズを覗き込んだ。


「へび座の辺りに、ぼんやりと星雲が見えないか」


「たしかに見える気がするけど、それがどうしたの」


「へび座、わし星雲」


俺は雫の質問には答えず、星雲の名前を口にした。雫が訝しげな目をこちらに向けてくる。


 雫の注意をこちらに向けたところで、俺は少し得意げに、この星雲について語り始めた。


「わし星雲は、さっきの名の通りへび座に位置している散開星団と散光星雲の合わさった天体で、ここでは活発に”星形成”が行われているんだ。つまり、ここで多くの恒星が生まれている」


「……へえ」


 口で言っただけだと分かりづらいが、意外とこの星雲を知っている人は多いと思う。三つの細長い暗黒星雲が立ち並んだ『創造の柱』の写真などが特に有名である。


「恒星は分子雲って呼ばれる場所で、周りにあるガスが集まっていくことで何百万年の時を経て生まれるんだ。そしてこれらの材料となるガスは、他の星が死ぬ際に撒き散らしたものが多分に含まれている」


「……それが、どうしたっていうの」


 そう言う雫の声は、少し震えていた。俺の言わんとしていることに気がついたのだろうか。


 どちらにせよ、前置きはこのくらいにして結論をばしっと言ってやったほうが雫のためにもいいだろう。


 俺は一拍間をおいて静かに結論を言い放った。


「恒星は、死んだら新しく生まれてくる恒星の材料にされるんだ。だから、雫がいくら恒星の寿命を縮めようが、また新しい星が出来ていくだけなんだ」


 雫はなにも答えなかった。


 ただ、なにかが抜け落ちたような表情をしていた。

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