第9話 雫のためにも、俺のためにも

 雫と俺の間に、深い沈黙が漂う。


 なにも話さず……いや、なにも話せず。俺たちはただただ時間が経つのを眺めることしかできなかった。


 雫の顔には影がさしている、それに呼応するようにして、周囲の空気も重苦しくなっていく。


 俺は状況から目を背けるかのように、頭の中で先程論文で読んだ内容を反芻していた。



 ――恒星の内部に存在するエネルギーは地球上から発現させることができる。


 エネルギーを発現させると、恒星は色鮮やかに輝く。


 発言させる際にはとある物質(名前は英語で読めなかった)を用い、その物質に強い衝撃を与えて粉砕する。


 発現は一日一回までしか行えない。


 そして、エネルギーを発現させるのに伴う弊害で、恒星の寿命は縮まってしまう――。



 雫の父、水流田大貴の論文には、要約するとこのようなことが書いてあった。


 この論文を読んで、俺が感じていた疑問はほとんど解消され、俺は雫の思惑に気づけたのだった。


 わざわざ飴を噛み砕いていたのは、砕くことが星をきらめかせる真のキーだったから。


 一日一回までと決めていたのは、原理上そうせざるを得なかったから。


 さらにこの論文で、俺は雫の思惑まで察してしまった。


 星をきらめかせれば、星の寿命を縮めることができる。


 そうして雫は、宇宙を壊そうとしていたのだった。


 宇宙が好きでないと告白した、雫の顔が脳裏に蘇る。寂しそうでいて、生き遠ているような。感情が入り乱れた表情かお。今ならその表情の意味もわかるような気がした。


 だけど、俺にはどうしても認められなかった。


「なんで……」


 思わず口から疑問が漏れる。ピクリと、雫の肩が動いたのがわかった。


 雫の様子を見る限り、たしかに雫は宇宙に好意を抱いているようには見えなかった。だけど同時に憎悪を抱いているようにも見えなかった。


 だけど実際には、雫は宇宙を壊すなどという暴挙に出ている。


 プラネタリウムを見て涙を流していた数時間前の雫は、こんなことをする人にはとても見えなかった。


 どれもこれも、父親の水流田教授が一枚噛んでいるのだろうか。考えてもわかるはずがないのに、俺はうじうじとした思考のループに沈みかける。


 そのとき、突拍子もなく雫が俺に微笑みかけてきた。


「まあ、そういうことだからさ。私と悠星は最初から正反対だったんだよ」


 なにも言葉が出てこない。


 雫はいつかのように俺を置いてけぼりにして、話を進める。


「だからさ、これでおしまいってことで。じゃあね」


 どこまでも呆気なかった。呆気なさ過ぎて、行動するのがワンテンポ遅れてしまった。


 雫は流れるような所作で扉を開けると、そのまま一目散に駆け出した。


 「っ! 待ってくれ!」


 走り出す雫の手を掴もうとするが、もう遅い。


 後を追うように俺も廊下へと駆け出していったが、雫の背中はぐんぐんと遠ざかっていく。


 負けじと足を動かす。雫の背中はもう見えなくなってしまった。


 やがて足音すら聞こえなくなってしまった。


 ◇


「どうすればいいんだよ……」


 鉛のような足を引きずり、なんとか自宅に帰り着いた俺は、ベッドに倒れ込み苦し紛れにそう呟いた。


 今日一日で様々な出来事が発生し、俺は心身ともに疲れ果てていた。


「まったく……身勝手なんだよ、雫はぁ!」


 力任せに枕に拳を叩きつける。やり場のない怒りが、俺を支配していた。


 俺は最初、雫を無気力なやつだと思っていた。なすがまま、なされるがまま。そんなやつなんだと思っていた。


 だけど、現実には違った。


 雫は、むしろ行動力があって確固たる自己を持っている。自分勝手で、周りを見ていないところがある。俺はそんな雫の自由奔放な部分だけを見て、掴みどころのないやつだと勘違いしてしまっていたのかも知れない。


 次々と負の感情が湧いてでてくる。


 だけど、過ぎてしまったことを考えても仕方がないのだ。とにかく今は、なんでもいいから行動を起こさねばならない。


 しっかりしろ。このまま放っておいて、いいわけがないだろう。


 勢いよく頭を振る。俺はパチンと頬を引っ叩くと、雫とともに過ごした時間を思い起こした。


 俺の前で星をきらめかせてみせた雫。プラネタリウム製作を手伝ってくれた雫。


 呆れたような顔をする雫。俺に手を振り回されていた雫。感嘆したように息を漏らしていた雫。


 キラキラした目を見せていた雫。寂しげな雰囲気をまとっていた雫。涙を流していた雫。


 一方的に別れを切り出して、走り去ってしまった雫。


 正直考えると苦しいこともたくさんある。けれどそれ以上に、この記憶は俺の中で、捨てがたい、大切なものとなっていた。


 もしここで雫を放置すれば、そしてそのまま関係が疎遠に慣れば、おそらく俺は一生星を見れなくなるだろう。


 ここで動かずしていつ動く。雫との幸せな思い出を、失くしてたまるか。


 俺の心に火がつく。心拍数が上がり、体温が上がる。


 それに、俺には雫を止めなければならないがあった。


 というのも、雫の計画にはあるがあったのだ。そして間違いなく、雫はこのことに気がついていない。


 つまり、雫の計画は最初から上手くいくはずがなかったのだ。


 俺はこの事実を、いち早く雫に伝えねばならない。


 雫のためにも、俺のためにも、絶対に雫の計画を止めてみせる。


 覚悟を決めた俺は机に向かい、今後の計画を練り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る