世界は新しい年を迎え、私はトイレのカレンダーを眺めていて
清泪(せいな)
新年の抱負と聞かれて困ったので細やかな願いごとをしています
「今年はいいスタートを切れたらいいなぁ・・・・・・」
枠にサビつきが目立つようになってきた換気窓の隙間から僅かながら外気を取り込む我が家のトイレは、室内だというのにやたらと寒い。
吐く息が白くなっていくのにガッカリはするものの、だからといってトイレに冷暖房を完備してやる事に躊躇いがあるので僅か数分の我慢と思い耐えるしか無かった。
寒さを紛らわせる為にと視線を目の前の壁へと向けると、そこには近所のスーパーで貰ったポスターカレンダー。
それの上の方に表記されている1月の列を見ながら、私は誰に聞かすでも無い願いごとを呟いた。
スタートを切れたら、そんな願いごとを呟いた今日は早くも1月を10日も過ぎていた。
本来なら平日の真昼間、自宅のトイレでこんな呟きをしてる暇もなく仕事初めでバタバタしてる頃なのだけれど、今年は新年早々世間的に色々起こってしまってその影響もあって私の職場は閉鎖中だ。
閉鎖中、というのはコロナ禍から増えた自宅勤務すら皆無で、取引先含めて仕事が完全にストップしてしまったのである。
正月休みが延長したとかそういう気楽な感じで受け止めれていたなら、こうして寒いトイレの中で悲観的なため息混じりに変な呟きもしないものなのだけど、世の中の混乱は未だに治まることがないので私に出来ることといえば、普段信仰なんてしてないのにこういう時だけの神頼みというやつだろう。
新年早々に起きた事態は多くの被害を生み、善意と悪意を呼び寄せて混乱を招き、デマと予想と希望と絶望が混ざった情報が錯綜した。
何が何やら。
そんな言葉をここ10日間は口癖のように呟いてる気がする。
日本、いや世界中で言われてるんじゃないかとさえ思う。
何せ、現実世界がゲームの世界と融合してしまったのだから。
アニメやら何やらでよく聞く異世界転生でもなく、集団VR体験でもなく──1月1日、15時27分なんて中途半端な時間に現実の世界は有名らしいオンラインRPGの世界と融合した。
私は息抜きに嗜む程度のゲーム知識しかないので初耳なタイトルだったのだけど、ニュース番組なんかではたまにゲームの説明自体を省いていたりするほどだ。
何が何やら、というほどまだ情報は錯綜してるので現実世界からゲーム世界と融合したのか、ゲーム世界から現実世界に融合したのかは分からないのだけど、とにかく二つの世界は融合してしまって、両世界の住人は共に大混乱継続中だ。
現れたとか、追加されたとかそういう感覚じゃなくて合わさったという感じなのは、例えば近所の公民館の一室が宿屋の部屋に変わっていたからだ。
あの日あの時間、突然部屋の内装が木造に変わっていて、部屋の中には緑色の肌をした背の高い女性が困惑した状態でベッドの上に座っていたらしい。
彼女の言葉は発声が特殊で何を言っているのか聴き取れなかったが、騒動に駆けつけた町内会会長殿はなんと理解出来たのだった。
メッセージウィンドウが突如現れたから。
笑い話だったらいいのだけど、突然メッセージウィンドウなんてものが視界の隅に現れたら混乱ものだ。
会話は理解できるものの、事態は理解できない。
何が何だか、大混乱。
そんな事が小さな街で起こった、ということだったら何だかんだで10日もあれば解決してたのかもしれないけど、あ、いや、完全な解決とまでは流石にいかないだろうが一旦の落としどころみたいのを見つけていたのだけど、事は世界中で起きてしまっていたからもう大変。
大変なんて言葉で要約するのは無理がありすぎるような大混乱ぶりなのだけど、それでもこうして仕事休止中の真昼間をトイレで過ごせるくらいには日常感もあったりする。
別にこのトイレのドアを開けたら非日常が待っているということも無い。
ドアを開けても自宅だし、26歳独身女性一人暮らし彼氏無し、という日常も変わらない。
世界の融合にかこつけてイケメンエルフが現れたりもしなかった。
元のゲームにエルフがいるかも知らないけど。
いいスタートを切りたい。
なんとなく、とりあえず、捻り出したような、隅の方から持ってきたような願いごと。
あの日あの時間から見れるようになったステータスウィンドウには、私の名前の下にLV3と書かれていた。
いいスタートを切りたい。
何が何だかわからないこの世界で、さてどうしたもんかと考えながら、私は今日も1日を消化していく。
いいスタートって何だろう?
世界は新しい年を迎え、私はトイレのカレンダーを眺めていて 清泪(せいな) @seina35
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