第6話「目標」

闘技場に一歩踏み入れると、血と汗の匂いが一層濃くなる。騒ぐ声が殊波とクラヴェの足音を掻き消し、この場にいる不安感を更に煽る。やはり自分たちにはこの場所が合っていないのではないか。他の方法があるのではないか。


そんな不安が握った手から彼女にも伝わってしまったのか、彼女も手を強く握り返してくる。


「そうだよな……不安なのは俺だけじゃないもんな」


口に出して己を鼓舞し、覚悟を決める。


ここに戦いに来ているわけではないのだ。あくまで聞き込み、そして上手くいけば話し合いと交渉。


関係者室などがあれば手っ取り早いのだけれど、あいにく殊波にはこっちの世界の字が読めないし、それらしきものが書いてある様子もない。


とりあえず、入口から最も近い扉を開けてみた。


この地域には似合わない上質な皮のソファに、低いテーブルと置いてある液体、恐らく酒だろう。そしてそれが注がれたコップが三つ。二人はソファに向かい合って足を組んで座っていて、一人はくり抜かれた壁から闘技場を見ていた。


「あんたらは……」


一人は真っ黒なジャケットにパンツで、全身を黒く固めている。そしてネクタイの濃い赤と金の髪、そして不自然な程に長い手足が目立つ。恐らくこの男が裏稼業でも稼いでいるベクター。


向かい合って座る男は目の前のアルと比べると体が小さいが、殊波なんかよりずっと背が高い。しかし何より目を引くのは灰色の着物と、脇に立てかけた刀。なるほどこれなら、居合というのにも納得がいく。こいつがシモン。


そして外を見ているのが、三人の中で最も体が大きい、この闘技場の管理者兼参加者のアル。上半身に服を着ていないため、鬼のような背中があらわになっている。壁にかけられているのは、鉄の塊のような斧。それは綺麗に磨きあげられ、いつでも使えるように研がれていて、鏡のように世界を反射していた。


「お前は……さっきぶつかってきた兄ちゃんじゃねェか」


こちらを振り向いた巨漢、アルが言う。


この三人、忘れもしない。こちらに来てすぐ、殊波がぶつかってしまった三人。まさかここで繋がってくるとは、嫌な偶然だった。


「謝りに来たのかなァ、だったら俺、殺す方がいいんだけド」


少し片言感が抜けないのはシモン。


「落ち着けよ、シモン。この人もバトルするか賭けるかしたくてここに来たんだろ、な?兄ちゃん」


シモンを制したのはベクター。どうやらアルとベクターが一番常識人で、シモンが血の気が多いらしい。


「厳密には違うな」


三人に気圧されないように殊波は平静を装って言う。ここで何もできないままではクラヴェを失望させてしまう。殊波の頭にはそれしかなかった。


「闘技場より、あんたら三人に用があって来たんだ」


「兄ちゃんになんかした覚えはねェんだが、話だけなら聞いてやる。とりあえず、そこに隠れてるもう一人を引っ張り出して座れよ」


「助かるよ。できればその後もよくしてくれると嬉しいんだけどな」


クラヴェ、と一言。やはりネックレスを奪った三人と対峙するのは怖いのだろう。


しかし今から行われるのは話し合いだ。殺し合いではない。上手くいかなかったら、他の手を考えればいい。


少しだけ震える彼女の手を引いて、ソファに座る。


その際、三人の目が見開かれた。殊波達が座ってから、少しの沈黙。


「兄ちゃん、その姉ちゃんからネックレス取ったことについて……だろ?」


ベクターが沈黙を切る。


「ああ、話が早くて助かるよ」


「悪ィが……ネックレスは返せねェ」


アルが殊波の目を見て告げる。


「金は払えるんだ」


厳密には殊波ではなくクラヴェが払うのだけれど。


しかし誰が払うかは交渉の条件として関係ない。


「大事なのは金じゃないナ」


性格の悪そうな笑みを顔に貼り付けてシモンは言う。


「金じゃないって……どういうことだよ」


本当ならば金もなしにすみませんでしたと返すべきなのだけれど、金があっても返せないとはどういうことなのだろう。まさか既にどこか他の場所に売ったか、人の手に渡ってしまったのか。


そうなると取り返すのは更に骨が折れる。正直異世界に来ただけで精神的に疲れているのに、ここから人を追うことになってしまうと、本当に骨が折れるかもしれない。疲労骨折の仕組みはよくわからないけれど。


「まさか、体で払えなんてこと言い出したりしないだろうな」


「心配しなくても、その姉ちゃんに何かしたりはしない」


「じゃあなんで、金じゃ……」


「景品だからだ」


景品という響きに、クラヴェの手に力が入る。繋いでいる殊波の左手が痛いくらいに。


それは、誰かに取られてしまうことへの恐れか、自分の大切なものを奪ってその上、勝手に景品なんかにして扱っていることへの怒りか、その両方だろう。


「……景品?」


震える声でクラヴェが言った。これまで黙っていたクラヴェが口を開いたことに一瞬驚いた三人だったが、アルが彼女の言葉に応える。


「ああ、景品だ。今日行われる、乱戦のな」


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そよぐ死体の放浪記 初霜うに(うにうに) @uniuni_

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