エピローグ

「いらっしゃい……って、おいおい。なんだいアンタ、その犬っころは」


 ぼちぼち昼飯時も終わり、客足も落ち着いて人もまばらな時分のテミルの酒場に、そのみすぼらしい客はやってきた。


 背格好や体格から辛うじて男だろうと見当がつく以外には、全身をすっぽりと外套で隠し、伸び放題の前髪のせいで人相も全くわからない。


 それだけならまだしも、あろうことかその男が傍らにでかい犬を従えていたものだから、テミルはあからさまに顔をしかめて手を振った。


「アンタも最近ノアに来たクチかい? それじゃ教えといてやるけどね、ウチで一杯やりたきゃペットの同伴はお断りだよ。表にもそう書いてあるだろ?」


 見るからに場所をとりそうなそのでかい犬をちらりと振り返った男は、けれどまるで言葉が通じなかったかのようにテミルの忠告を無視し、ツカツカとカウンター席に近寄った。


「おい、聞こえなかったのかい? 禁止だっつってんだよ、ペット禁止!」


 テミルが詰め寄ると、男はそこでようやく口を開いた。


「……少しだけ、大目に見てくれないか」


 喉が掠れてしまっているのか、男の声はその抑揚に乏しい話し方と相まっていささか聞き取り辛い。


 耳を傾けるテミルに、男は続ける。


「命の恩人……いや、恩犬なんだ。できるなら、ペット扱いはしたくない」


 言うや、男は懐から取り出した革袋から何枚かの小銭をカウンターに出した。


 ざっと勘定してみても、男二人が充分に飯を食える額だった。


 何を考えているんだか二人分の金を差し出してきたその男と、傍らの犬と、最後にカウンターに置かれた小銭の小山に目をやって。


「……ふん」


 逡巡の末、テミルはカウンターの小銭をひったくるようにして握り込んだ。


「はっ! 命の恩犬とは、アンタも随分な愛犬家なんだね。その犬っころが一体アンタに何してくれたってんだい? 落とした財布でも拾ってきてくれたのかね?」


 悔しまぎれに嫌味を言うが、男はべつだん気にした風もなく答える。


「……溺れかけていたところを、助けてくれたんだ」


 そう言って、男は傍らで大人しく座っているその賢そうな犬の頭を優しく撫でた。


 事情が事情なだけにテミルもそれ以上は嫌がらせを言うのも憚られたので、結局は苦々しい思いで承諾するしかない。


「……これっきりだからね。食ったらとっとと出て行っておくれよ」

「助かる」


 なんだかいけ好かない男の態度に内心で舌打ちをしながら、テミルは注文を促す。


「で、何にすんだい? ウチは酒や食事は出せるけど、犬っころにやるもんなんて何一つ用意しちゃいないんだけどね」

「大丈夫……彼の分は、用意してある」


 そう言って男が犬に与えたのは、何かの動物のものらしき骨だった。


 懐に獣骨を忍ばせているとは、ますます不気味な男だ。


「あっそ。そんじゃ、アンタは?」


男はしばらく考え込む素振りを見せてから、一つ大きく頷いた。


「……肉が、いいな」

「肉ぅ?」

「最近は、ずっと魚ばかり食べてたから」

「横着な野郎だね、どうも。ただ『肉』って言われたってわかんないよ」

「メニューは任せる」


 面倒臭いとも思ったが、さっさと食って帰って欲しいという気持ちもあり、テミルは仕方なくカウンター裏を探る。


 いま出せる肉料理は、はてさて何があったやら。


「まったく。アンタもそうだけど、最近ウチに来る客にも変なのが増えたね」

「……そうなのか?」

「ああ。アンタも知ってるからここに来たんだろうけど、最近のノアはそりゃもうちょっとしたお祭り騒ぎさ」


 テミルはあからさまにうんざりした口調でぼやいてみせた。


「ほら、あれだよ。未開拓地初の〈旧文明遺産〉。しかもそれが遺跡丸ごと一個見つかったってんで、それを調査しにくる考古学者やら見物にくる奴らやら、ここも随分と人が増えたもんだよ。ま、それもあと何ヶ月かすれば落ち着くとは思うがね」


 言ってテミルが指差した窓の外に、男もちらりと一瞥をくれた。


 連日のように復興工事の槌やドリルの音が響き渡っているノア中層の街。


 そこには市民や開拓者や【局】職員は勿論、見るからに学者といった風体の者や、地底湖の遺跡を見物に来たらしい観光客風の者、果ては取材に訪れた新聞記者のような者までが見受けられる。


「賑やか、だな」

「そうだね。お陰でウチの店も繁盛するのは万々歳だ。けど、アタシゃ正直、こう馴染みのない顔ばっかりで騒がしいのはどうにも苦手だよ……っと、うーん、弱ったね」


 カウンター裏を漁る手を止めて、テミルは頭を掻く。


「悪いけど、さっきまでの客で肉料理の材料を切らしちまったらしい。何か別のもんにしてくれると助かるんだけどね」


 ダメ元でカウンターの奥まで探ってみるテミルの背後で、男はしばらくの間悩まし気に首を捻ってから、「それじゃあ」と思い立ったように口を開いた。


「やっぱり今日も、いつものを頼むよ━━テミルさん」

「えっ」


 テミルは危うく手にした食器を落としそうになりながら、驚きに目を丸くして振り返る。


 それからカウンターに座った男の、その伸ばしっぱなしの鬱陶しい前髪の奥で仄かに光る瞳を、しばらくの間唖然として見つめてから。


「……ははは、おいおい……あんまり年寄りを驚かすもんじゃないよ」


 せいぜい不敵にそう言ってのけると。


 男の前に、冷えたサイダーの瓶を置いてやった。

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