第40話 願いに向かって
《――――含有荒毒量:112・4ロルフ/基準値クリア/感染の危険:なし》
青系統色の鉱石や水晶が陽光をぼんやりと反射し、広い地下空間を幻想的に青白く照らす地底湖のほとり。
右手の鉱石にかざすモニターが表示したデータに、ピュラは満足気に頷いた。
掌の上で宝石のように煌くその銀色の鉱石を素早く腰のポーチにしまい、立ち上がる。
「よいしょ、っと」
まとめた荷物を背中に背負い、それから一息つこうと手近な岩に腰掛けて水筒を取り出す。
カップに注いだココアを一口啜り、ピュラは眼前の、青や藍色に染まった岩壁を仰ぎ見た。
と、不意に左腕のデバイスから鈴を転がすような音が響く。
〈――もしもし、ピュラちゃん? 聞こえる?〉
ピュラの「応答」の声に続いて、ケラミーの声が漏れ出てきた。
「あ、ケラミーさん。お疲れ様です」
〈お疲れ様。依頼の進捗はどう? 今どの辺りにいるのかしら?〉
「はい、ちょうど納品分のヒューマタイトを採掘し終わったところです。今は『遺跡』からちょっと離れた辺りにいますけど、もうすぐにノアに帰ろうと思っています」
〈それは良かった。今回も無事に依頼は達成できそうね。ああでも、べつにそんなに焦らなくても大丈夫よ。折角早めに終わったんだし、今日は地底湖の周りでも散歩しながら、ゆっくり帰って来たらどう? ピュラちゃん、このごろずっと働き詰めだったし、偶には息抜きも必要よ〉
デバイスの向こうで、ケラミーがやんわりと言った。
ピュラは振り返る。地底湖を挟んだ対岸に佇んでいる神秘的な都市遺跡には、街のあちこちに人工的な光が灯っていた。
「……いえ。やっぱり、すぐに帰ります。お散歩なんかしていたら、調査中の考古学者さんたちのお邪魔になってしまいそうですし」
〈あ、そ、そうよね〉
ピュラの台詞を、けれどケラミーはどうやら違う意味に受け取ったらしい。
何を深読みしたのか唐突に声のトーンを落とすと、申し訳なさそうに呟いた。
〈まだ、ええ。思い出しちゃう、わよね。だって、そこは……その地底湖は〉
「ケラミーさん、ケラミーさん。そんなに気を遣わなくても、私は大丈夫ですから、ね?」
〈え?〉
ピュラが苦笑すると、デバイス越しのケラミーは一瞬とまどう素振りを見せるも、やがてすぐにいつものエリート職員の意気を取り戻した。
〈ええ。うん、そうね。ごめんなさい、余計なことを言ったわね〉
「いえいえ」
〈でも、最近ちょっと働き過ぎっていうのは本当よ。ピュラちゃん、今日もどうせ早く帰って来て、また別の依頼を受けるつもりだったんでしょう?〉
「そ、そんなことは……あります、けど」
デバイスの向こうから、深い溜息が聞こえる。
〈やっぱりね。気持ちは分かるけど、そんなに焦っても今すぐ上級開拓者になれる訳じゃないわ。『簡単な仕事でも、まずはできることからコツコツと』、いつも言ってるでしょ。あいつだって、最初はそうやって開拓者として成長していったんだから〉
「それは、わかっていますけど」
心配そうなケラミーの声に、けれどピュラははっきりと答えた。
「それでも……私、やっぱり一日でも早く、自分の『願い』を叶えたいので」
見上げればいつもそこにいて、けれど今のピュラの隣にはもういないあの少年の。
その、最期に紡いだ言葉を思い出し、ピュラは胸に当てた手に力を込める。
「それに……私の『願い』はもう、私一人のものじゃないから」
再びデバイス越しに溜息が、しかし今度は苦笑交じりに吐き出された。
〈わかったわ。街の内部での簡単な仕事だけなら、幾つかピックアップしておきます。ノアに帰って来たら支部のロビーにいらっしゃい〉
それじゃあね、という挨拶を残して、通信が切れる。
静けさを取り戻した隘路の中に、ピチョン、ピチョンと水滴の落ちる音や、遺跡の方から微かに聞こえて来る人々の声がこだました。
いつの間にか冷めてしまったココアを飲み干して、ピュラは手早く帰り支度を整えると、最後に一度だけ、対岸のほとりに佇む地底湖の遺跡に目をやった。
(あ……)
自然の光と人工の光が混ざり合い、不思議な美しさを湛えている古代遺跡の風景。
その風景が徐々にモザイク画のようにぼやけていくのを感じて、ピュラはハッとした。
(おかしい、な。最近はもう、大丈夫だと思ってたのに……)
キャスケット帽を目深にかぶり、ピュラは俯く。
(ダメだな、私。それでもやっぱり……)
ギュッと唇を引き結び、それでも抑えきれずに口から漏れ出る本音。
「…………寂しいよ、デュークさん」
こみ上げて来るものを、いっそ今だけは溢れさせてしまおうか。
そんな思いが脳裏を過ったとき、けれどピュラはふと、自分の首元で何かがキラリと光ったのを感じた。
閉ざしかけていた目を開けて、光の元をゆっくりと手に取る。
━━ゴーグル。
〈海魔〉襲来からしばらく後に、割れた地の淵で見つかったという、一本のゴーグル。
特徴的な六角レンズの、随分と使い古されているそのゴーグルは、見間違うはずもない。
あの深緑の瞳の少年が、いつも宝物のように大事に身に着けていたものだ。
(……そうだ)
脳裏に浮かんだ邪念をかき消すように、ピュラは自分の両頬にピタンッと両手を当てた。
熱を持ち始めていた目元を拭って顔を上げ、ピュラは地底湖の青い地面を踏みしめて歩き出する。
(しっかりするのよ、私)
湖を横目にほとりを進み、地下空洞の天井近くまで続く石段を一つ飛ばしで上っていく。
(立ち止まってちゃ、ダメなんだから)
やがて地底湖天井の凹み穴から外へと出て、深く、深く、息を吸い込む。
目深にかぶっていたキャスケット帽のつばをぐいと上げ、それから眼前に広がる雄大な大自然の風景に、ピュラは決然とした眼差しで向き合った。
未開拓地。
この見渡す限りの岩と砂と赤土の大地がそんな風に呼ばれるようになったのは、一体いつの頃からの話なのだろう。
どこまで続いているかもわからないこの乾ききった大地には、国も、町も、およそ文明と呼べるものなど、何一つとして見当たらない。文字通りの、未開の地だ。
だが、それでも。
かつてはこの不毛の荒野にも、たしかに文明はあったのだ。
たとえそれが想像もつかないほど遥か昔のことだったとしても。
自分たちと同じように笑って、泣いて、怒って、そうして生きて死んでいった人たちが、たしかにここには存在したのだ。
そして今日だって、かつて生きていた先人たちがそうしたように、この赤土の荒野の真ん中で、懸命に生きている人々がいる。
ある者は、巨額の富を得る為に。
ある者は、後ろ暗い野心を成す為に。
ある者は、退屈な安寧から抜け出す為に。
そしてまたある者は――この未開の荒野への、飽くなき探求心に突き動かされたが為に。
思惑も目的も様々で、けれど誰しもが自らの「願い」を胸に、この過酷な世界の中を一所懸命に駆け抜けているのだ。
(だから、私は)
振り返り、ピュラは凹み穴近くに停めていた、一台の小型二輪車にまたがる。
見据える先には、一つの国というにはいささか小さく、けれど乗り物というにはいささか以上に大きい、巨大な鉄の塊。
そこに住む者たちの在り方を体現するかのように、この広い荒野を進み続ける移動都市がある。
首元のゴーグルを引き上げて二輪車のハンドルを握り込むと、ピュラはその燃える炎のようなスカーレットの髪を荒野の風になびかせて、彼方にそびえるノアへと走り出した。
今日も、明日も、その先も。
この寄る辺の無い荒野の真ん中で、精一杯、生き抜くために。
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