堂林宗玄
「神代の件は堂林預かりであると、ボンから聞きましたが。」
最早どちらが上座に座っているかわからなくなるくらい、下座にいるはずのその男は異様であった。研ぎ澄まされた究極の暴力というのは、ここまで形式を捻じ曲げるものなのかと豊國は歯ぎしりした。
「無論約束であった。」
あくまでも余裕そうな態度を崩さない。
「それではなぜ神代に兵を進めましたか。」
今、豊國の前にいる人間は何を隠そう、堂林宗家の前当主、堂林宗玄である。既に出家済みのため、頭を丸めている。
同じ堂林家でも、光弘の率いる分家は東堂林家と呼ばれ、堂林家にはこの他二つの分家を持っている。それら三分家をまとめ上げているのがこの宗玄という男だ。この男を前にすると、光弘など小童に過ぎないと改めて感じさせられる。
「光弘の行動が遅すぎる。佐伯家の者が疑惑ある神代に入ったとあっては早急に行動を取るべきだ。」
光弘との約束から、今日で既に一週間は経とうとしていた。
「東のボンは気まぐれ故。」
「気まぐれで天下が崩れてはならぬ。」
「まぁ、そう怒らなさんな。」
本当に怒っているのは宗玄自身であるのにぬけぬけとよく言えたものだと感心さえ覚えてしまった。
「一つの綻びが瓦解を産むのだ。」
「ほう、郡代様は自信がないように思える。」
そう言われて豊國は舌打ちをした。
「しかし、幕府の直臣ともあろう方が約定を破ったとあっては、この堂林家の面目が立ちませぬな。」
豊國の感じた殺気は確実なものであった。しかし、怖気づくにはすっかりこの殺気にも慣れてしまった。堂林家というのは気に食わないことがあるとすぐに殺気を当てて来る。
「そこはこの通り謝罪をしよう。しかし、あれから数日経っているのに何も動きがないとあってはわしの面目も立たぬ。」
豊國はしぶしぶ少しだけ頭を下げて文句を言う。
「物事には準備があります。例え小鬼であっても鬼は鬼。光弘も現在準備の途中でございまして。」
それが嘘であることも見抜いている。さすがにそこまで愚かではない。そしておそらく光弘の行動を抑制しているのが宗玄自身であろうこともなんとなくわかった。
何を狙いにしているのかはわからないが。
そっちがその気ならこっちにも策がある。
「さようか。今一度、神代のことは頼んだぞ。下がってよい。」
最早何も話す事はない。
「送った郡代の精兵が惨殺死体で見つかったと、西堂林家からの報告です。」
宗玄は真顔であるが、内心では大いに笑っているだろう。
「知らぬこと。」
豊國はあふれ出る感情を舌打ちでもみ消した。
宗玄はそんな豊國を趣味悪く眺めた後、ゆっくりと部屋の外まで出た。彼の足音が遠くになり、ついに聞こえなくなった頃、ようやく豊國は手を二度軽くたたいた。
「郡代様、ここに。」
天井裏から声が聞こえる。伊賀衆である。郡代は都の情報収集や暗殺に至る汚れ仕事を全て、幕府から遣わされたこの伊賀衆に一任していた。
「神代の軍勢は誰にやられた。」
豊國の言葉に、天井裏の彼は答えにくそうにうなった。
「良い。応えよ。」
その言葉を聞いてようやく、天井から「野盗でござります。」という一言が聞こえた。
「佐伯の小鬼ではないのか。」
あてが外れた。豊國にとって、あの軍勢が全滅したこと自体、面目がつぶれること以外は問題なかった。もしも佐伯の餓鬼が天下の軍勢を殺害したとなると、それで神代を取り締まる、絶好の言い分になったのだ。
しかし野盗。
天下の軍勢が「佐伯」の名ではなく、名も知れぬ不届きものによって惨殺されたとなると、幕府に報告するわけにもいかない。下手をうつと、自分の首が飛びかねない。
「それを知るはお主のみか。」
豊國の声は伊賀衆に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさだった。
「左様で。」
「ふむ。」
次の瞬間、天井にいる伊賀衆の叫び声が響いた。豊國は瞼をぴくりともさせずに、そこにあった湯飲みを手に取る。
「捨てておけ。天井の血も残すな。」
一瞬だけ、天井にネズミが走るような音がしたが、すぐに郡代の部屋には静寂が戻った。
「それにしても。」
京都の護衛ですっかり体がなまっている郡代の私兵といえども、そこそこの人数は連れていた。そこらの野盗に全滅させられるようなものではない。
しかし、報告したのは幕府の情報収集機関として名高い伊賀衆だ。彼らが見たものを見間違いとして鼻で笑うことはできない。
いったいどこの誰であろうか。胸騒ぎがしてならない。
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