招かれざる客
留守になった神代では田植え後の田んぼの畦に小豆を作付けする最中であった。
神代のような中山間地の集落では、田んぼの面積は自ずと狭くなる。そうなると、石高も望めず、なるべく田んぼを有効活用する方法が検討されるのだ。
十数年前から考案されたのが、広い田んぼの畦に小豆を植えるということだった。小豆が畦に根を張る事によって、畦崩れを防ぎ、僅かなスペースからでも食料を取ることができる。甘味が貴重であった江戸時代においては、秋に収穫される小豆は大層なご馳走であったことだろう。
「お父さん、そろそろ休憩しましょうか。」
村娘の姫子が冷えた水を持って畑にやってきた。彼女の父親である茂平を始め、村人たちは一斉にその場に腰を下ろし始めた。
「姫子、ありがとう。」
茂平は誰よりも先に姫子が持ってきた水に口を付ける。
「いやぁ、娘さん、また可愛くなったんじゃないですか。」
茂平の隣に座っていた村人がからかうように茂平に言う。
「もう、褒めたってなにも出ませんよ。」
姫子は照れるが、当の茂平は今にも噛みつきそうな表情だった。
「ふん、そんなこと言ってもお前にはやらんから安心しろ。」
「そうは言っても、そろそろ婚期でしょうが。」
「焦ってお前のような尻軽に嫁ぐよりも、多少遅れようとも立派な殿方に貰ってもらう方がましさ。」
茂平の言葉に姫子は苦笑いを浮かべる。
「でも、何より本人の気持ちが一番さ。なぁ、姫子ちゃん。」
村人の問いに、姫子は少しだけ首を傾げるた。
「まぁ、確かにそろそろ結婚はしたいけれど、今は良い殿方もいないし、別にいいかなぁって。」
悪戯っぽく姫子はそう言って笑った。
「ユリア様は今頃、目的地に到着したころだろうかなぁ。」
茂平は水を飲んで一息つくと、二人が去った方角を見つめた。
「お父さん、ユリアさんって度々あっちの方角に出られるけど、一体どこに行くの。」
「さぁてね、それは村のみんなが知らんよ。」
村人にとってユリアは切支丹の大司教であり、ほとんど信仰対象と言ってよかった。信徒に過ぎない村人からすると、何十年も変わらないその美貌は妖しく見え、また、その妖しさは神々しさにも映る。
実際のところ、滅多に屋敷から出ることのないユリアが度々向かう場所のことを始め、その他のこともあまり理解していないのだ。
月に一度行われる礼拝のみがほぼ唯一無二の接点であった。
だからこそ、ユリアを動かした「秋人」という侍の存在が気にかかる。ユリアの身辺や過去を探る事は禁忌とされてきた集落であるが、そのユリアを時代の危機から守る侍が果たしてそれに足る存在であるかどうか。それを推し量るのは、右近が神代にユリアを預けてから、数十年ずっと彼女を守って来た集落のケジメでもあり、誇りでもあった。
「聞けば、秋人とかいうあの侍、悪名高い佐伯家って聞いたぜ。」
伴天連討滅部隊堂林家のあの侍がそう言っていたのを、茂平を始めとし、数人の村人が聞いていた。
このような立地柄、世情には疎くなる集落であったが、佐伯という氏は広く知れ渡っていた。
「うむ。わしも佐伯家の話はよく知っている。関ケ原や大坂では前田家にあって、悪鬼羅刹と畏れられた奮迅ぶりだったそうな。」
「そういえば、お父さん、若い頃大坂の陣に出てたんだっけ。」
姫子が尋ねると、茂平は自慢げな表情になった。
「あぁ、もちろん。豊家の城が崩れ落ちる匂いはいつまでたっても鮮明に思い出せるねぇ。」
「秋人くんも出てたのかしら。」
「いやぁ、戦場で専ら噂になっていたのは、佐伯秋家っていう名前だったなぁ。たしか、秋人くんのじい様なんだっけ。今でも当主をはっているらしい。」
秋家の武勇伝は農兵にすら知れ渡るくらいの常識だった。しかし、その伝説は最早何が本当で何が間違いであるのかわからないくらい誇張されていた。
「前田家三二〇〇の首の内、一五〇〇は佐伯家だったと聞く。」
「うへぇ、そんな鬼のような・・・。」
事実、佐伯家は戦国の時代より、鬼の一家として前田家に仕えた。
「でも、そんな一家の方がユリア様の護衛なんて。」
姫子の心配は村人共通のものだ。しかし、茂平は姫子をじろりと睨み、一蹴した。
「滅多なことを言うでない。そもそも我らは迫害の身。最後の領地を守るためであれば、鬼も妖も拒まん。」
「まったくだ、違いない。」
茂平の言葉に大勢の村人が賛同の声を上げた。鬼も妖も切支丹も迫害される者同士、同じ穴のムジナというわけだ。
その時、遠くの方から狩猟をしに行っていた村人が大きく手を振って走ってくるのが見えた。あの血相から見て、何かただならぬことが起こっているようだ。
「どうしたんですか、そんなに慌てて。」
姫子が冷たい水の入った湯飲みを渡すが、村人は肩で息をしながらそれを拒んだ。
「また幕府か。」
茂平が一歩前に出て尋ねた。
「違うんだ。いや、幕府が関係しているということは確かだ。」
「どういうことだ。話が見えてこん。」
茂平は怪訝な表情をする。
その村人は、さっき拒んだはずの水を奪い取るように姫子からもらい、一気に飲み干した。
「京都郡代の兵が村からちょっと離れた場所で惨殺されていた。」
周囲がざわついた。
おそらく、再びこの神代に切支丹狩りをしに来たのであろう。前回の件で見逃すような郡代ではない。神代に入った小鬼の話も既に堂林光弘から入っているだろう。まだ現場を見てはいないが、それなりの兵数と武装を用意していたはずだ。
「一体誰が。」
「わからねぇ。でも、あれは人じゃねぇよ。」
村人は震えている。よっぽどなものを見たのであろう。
京都郡代の前に現れたのは鬼か蛇か妖か。
「おい、生き残りを連れてきたぞ。」
あちらで別な人間が叫ぶ、担架に縄で縛られて運ばれたその男は血と泥によってかなり汚れ、そして臭ったが、顔はすこぶる優しかった。
「生きてるのか。」
茂平が近づいて尋ねると、運んできた村人は微妙そうにうなずいた。
「傷が結構深い、このままだと持って二日か三日だろう。どうする。」
京都郡代の兵であるならば、例え死にかけであっても入れてはならなかった。
「お父さん、治療してあげましょう。」
声をあげたのは姫子であった。周囲の村人がざわつく。
「郡代の兵だ。危険すぎる。」
そのような声があがってしまうのは無理もない。助けて何になるという話だ。
「でも、このまま死なせるのはあんまりです。」
姫子は今までしたことのないような表情で周囲を睨む。
「我らの教えに見殺しにするべき命はありません。わたしはイエスキリストの聖名の下、この人を助けます。」
一瞬、静寂が起きたが、すぐに茂平が鶴の一声をあげる。
「この男のことはわしらで責任を取る。命が助かり、ユリア様がお戻りの暁、この男の処遇を判断してもらおう。皆、それでいいな。」
さすがに村の有力者だけあって、ここまではっきり言うと反対する者はいなかった。
「姫子、家の一室、この男の寝床にしてやれ。いいか、昼夜を惜しまずお前自身が看病をしてやるんだ。医者はわしが手配してやる。」
姫子はそう言われて何度も小刻みにうなずく。
村の人によってふたたび担架が持ち上げられ、茂平らの家の報告に走っていく。それと同時に集まっていた村人たちも散っていった。
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