不老不死の化物

 「馬ではダメだったのか。」

 既に数刻ほども歩き続けている。しかし、自分を先導して歩くユリアは一向に立ち止まる素振りさえも見せない。

 「馬では目立ちすぎる故。それに、聖域に馬上で入るは罪じゃ。」

 佐伯家の厳しい鍛錬を受けてきた秋人にはこの程度は何とでもないが、女子であり、それも何十年屋敷にずっといたユリアには辛いだろうと思っていた。

 しかし、当の本人は汗さえもかいていない様子であった。さしずめ、これも彼女の体に突き刺さった聖遺物が成す業なのかもしれない。

 「聞かせてくれ。」

 「なんじゃ。」

 「あんたの事だ。」

 ユリアはそれを聞かれて少しだけ黙った。

 「右近様の遺言にはお前を守ってほしいとの旨が何度も何度も書いてあった。だが、当のお前のことは何も書かれてなんだ。これから自分の命を預けるやつが一体何者であるのか、右近様とどういう関係であったのか聞きたい。」

 それが例え化物であったとしても。

 「質問を返すようじゃが、遺言状には大きく何が書かれていた。」

 その質問に対し、秋人は明らかに渋ったような表情になった。

 「単純に考えてみろ。いくら人望のあった右近の頼みとは言え、前田家がリスクを冒してまで貴様を脱藩させ、切支丹崩れの女の護衛にあたらせるとは考えにくい。」

 おそらく、前田家は前田家で狙いがあるのではないかということだ。

 「オレが前田家から課せられた最後の任務。それは事実の隠蔽だ。」

 秋人の答えに対し、ユリアはさほど驚きはしていない様子である。

 「前田家が豊臣時代、切支丹と手を結んで徳川を討とうとした件か。」

 ユリアの言葉に秋人が逆に驚いてしまう。

 「なぜそれを。」

 「なぜも何もない。その連判状に保証人として署名したのはこのわたしじゃ。」

 自慢げにユリアは言った。改めて、この女は化け物であるのだと痛感させられる。人の形を保っているが、実際は不老不死の化け物だ。

 「藩祖利家亡き後、急速に諸大名からの求心力を失した息子の利長が我ら切支丹と手を組みたい・・・そう言って来たのが事の始まりじゃ。」

 権力の拡大を狙う徳川家康は加賀藩を潰そうとしていた。ありもしない罪状を振りかざし、今にも一触即発であったのだ。利家ほどの人望も武力もないと自覚していた息子の前田利長は右近を通じてユリアと解析した。

 「加賀藩は全国の切支丹を一斉蜂起させ、徳川に付き従う諸大名の攪乱を図ったというわけか。」

 「その通り。ところが、前田家中の穏健派により、戦争は回避。結局契約は反故されてしまった。」

 ユリアはうつむく。

 「右近様の手紙によれば、現在その書状が神代にあるということらしい。」

 秋人の言葉にユリアはにやりとした。

 「既に効力を失った連判状ではある。だが、前田家にとっては一大事であるということくらいわかるだろう。」

 ちょっとのことで大名家の取りつぶしがあるこの時代において、過去の書状を根拠にお咎めを受けてしまうなんてよくあることだ。しかも、それが切支丹関連となると尚更である。

 しかし、ユリアや神代の住人が簡単にその書状の在りかを教えてくれるわけがない。神代にとって、書状は秋人を神代とユリアの護衛として繋ぎ留める鎖の役割をしているからだ。

 「だが、お主、そのような書状に興味はないのであろう。」

 ユリアは見透かしたようにそう言う。

 「その通りだ。オレの目的は飽くまでも右近様の願い通り、ユリアという女を護衛するということのみ。その一点だ。」

 本心からであろう。

 ユリアはそれを本能で感じ取った。

 「次はオレの質問に答えてくれ。」

 秋人の言葉にユリアは顔をそむける。大きくため息をつき、重く空を見上げた。

 「二十六聖人殉教。その生き残りがわたしとユスト右近殿じゃ。」

 出発してから一度も立ち止まろうとしなかったユリアがようやく立ち止まった。

 「本当は、わたしもあの日、死ぬつもりじゃった。だが、生き残ってしまった。」

 ユリアはそう言いながら、体に刺された聖遺物によって膨らんだ衣服を撫でた。

 「豊家から徳川家へと時代が変わっても、基督教は迫害に遭う。あの神代は我ら切支丹の最後の領地なのじゃ。」

 「腑に落ちん。太閤も徳川も、お前が隠れていることくらいは調査すればすぐにわかる。なぜ、今日まで摘発されず、生き延びることができたのだ。」

 秋人からそう問われると、少しだけ微笑を浮かべてまた歩き始めた。

 「その答えがこれからにある。」

 ユリアは遠く離れた山を指差した。

 「まさか、あそこまで行くのか。」

 「えぇ。時間はたくさんあります故。お互いに自己紹介をしましょう。」

 ユリアはまるで幼い少女のような素振りを見せた。おそらく、長年の屋敷生活ですっかり外が恋しかったのであろう。

 「わたしに対する質問は積もるばかりじゃろうが、今わたしの口からお応えできることは少なかろう。」

 「お前が勿体ぶらなければ話は早いのだ。」

 「謎多き少女って少し憧れだったんじゃよ。」

 その言葉を聞いて秋人はさすがに苦笑を浮かべた。少女という見た目ではあるが、さすがに少女と呼べる年齢ではないであろう。

 「小鬼殿のことを聞いてもよろしいか。」

 「オレも言えるほどのことはない。家は捨てた身故、今は一人の秋人だ。」

 「そんな堅苦しいことを聞きたいわけではない。」

 ユリアはぴしゃりと言い放つ。そして秋人の方に振り向くと、スケベな顔をした。

 「女子は知っとるのか。」

 秋人はあきれた顔をした。何が少女だ。何が謎多きだ。見た目はどうあれ、精神年齢はすっかり年増ではないか。

 「知らん。」

 「教えてやるぞ。」

 ユリアは目の前まで来てにやにやと笑った。

 「化物の相手をするには、この身は上等すぎる。」

 ぴしゃりと秋人は言い放つ。ユリアは面白くない表情をしてまた前を向いた。

 神代では貴人といった素振りで、威厳もしっかりと保っていたのに関わらず、村から出た途端にこのような感じである。秋人よりもずっと長い年月生きてきたのであろうが、精神年齢は見た目相応と言える。

 「今日は疲れた。この先に洞穴がある。そこで休もう。」

 そう言っているが、やはり疲れている素振りはない。おそらく、秋人のことを思ってのことなのであろう。

 ユリアの言っていた洞穴は一晩休むに十分すぎる広さがあった。奥まで行くと、すっかり何も見えなくなるくらいには深い。そして、用意の良いことに、寝るための筵や藁などもあった。おそらく、何度かユリアが使っているのであろう。

 「よく使うのか。」

 秋人の問いに、ユリアは燭台に火を灯しながら頷く。

 「よくという程でもない。」

 「休みが必要とは思わんが。」

 そう言いながら、チラリと彼女の胸元近くに目をやった。

 「夜になれば何かと危険じゃからの。化物のわたしも人間様にかかればただの小娘じゃ。」

 ユリアは洞穴の側面から湧き出ている水を掌で貯めると顔にかけた。

 「ますますわからんやつだ。」

 謎は深まるばかりだが、おそらくこれ以上聞いても何も話してくれないだろうと思って諦め、すぐに筵の上に寝転がった。

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