京都郡代 五味豊國

 吸い込まれるような柔肌に目を奪われそうだった。目を合わせてから数刻も経ったような気がする。我に返ってようやく秋人は口を動かした。

 「家は捨てた身。秋人と申す。」

 ユリアはそれを聞いて少しだけ目を細めた。

 「『秋』の字を持つ・・・佐伯家の者か。」

 「家は捨てた身と申した。」

 秋人は露骨に嫌な顔をした。

 もう一度、沈黙が訪れる。日がどんどんと西へ西へ傾き、ついには山際に隠れようとしている。。

 「右近様はなんと、鬼を遣わされたか。」

 ユリアはなんとも言えない表情をする。

 「隠れキリシタンの護衛には丁度良いかと。」

 「良い。不足なしじゃ。」

 ユリアは適当な姫子と目を合わせた。

「姫子。すまぬが、半刻の後、こやつを屋敷に案内せい。」

突然声をかけられた姫子はほとんど裏返った声で返事をする。

自分はそのまま、集落の狭い道を通っていき、消えるように去ってしまった。


 「なんと。それでは、あの集落にキリシタンはいなかったと。」

 京都郡代五味豊國ごみとよくには光弘の報告を聞いて眉をピクリとさせた。小太りで短足。いかにも戦向きな人物ではない。しかし、関ケ原の後、自軍の功績を称えられ、現在は畿内における財政や治安維持を統括する、京都郡代となった。

 「恐れながら。」

 「そんなバカな事はあるか。」

 烈火のごとく、豊國は叫び散らした。今にも立ち上がらんとするほど、身を前にかがめている。しかし、光弘は一向に怖気づいている様子はない。

 「郡代様。今一度申し上げましょう。かの集落に伴天連はおりませぬ。」

 嘘であることは誰の目にも明らかだった。

豊國は無論不服であった。戦国をその名で恐れさせた堂林だが、今は五味家の一介の家臣にすぎない。しかもその庶子家の餓鬼に舐めたような態度をされることが腹立たしかった。

 しかし、今光弘の機嫌を損なう事もしたくはなかった。自分は悪名高い堂林家の手綱を幕府から任されているのだ。

 その自負のみが、幕府の代官である自尊心を保ってくれている。

 「ただし、蒼き目の鬼がいました。」

 「鬼とな。」

 豊國は少しだけ笑いそうになった。

 「とは言っても小鬼でございます。」

 「小鬼に恐れて堂林が逃げてきたと。」

 豊國は先程からの無礼のやり返しとばかりに煽ってみせた。

 「腹が減っておりまして。」

 しかし、そこは堂林光弘である。華麗に受け流す。そして、笑みを浮かべていたと思ったら、突然凛とした表情になった。

 「佐伯家の餓鬼でしょう。」

 その言葉を聞いて、豊國の体が固まった。数秒遅れでようやく言葉の意味がわかったかのような表情になる。

 「前田家の懐刀がなぜあの村に。」

 「分かり兼ねますな。家を捨てた身と申しておりましたが。」

 「馬鹿な。そのような道理がまかり通ってたまるか。これは即刻幕府に報告しなければならん。」

 豊國が自分の筆と紙を急いで探す素振りを見せた。

 「意味がなかろうと。おそらく、前田家も陪臣佐伯家も最早あの餓鬼のことは知らぬ存ぜぬでしょうに。そもそもやつが佐伯家の者であるという証拠はありません。」

 顔を青くしている豊國とは裏腹に、光弘はどこまでも冷静であった。

 「じゃあ、なぜお前はその餓鬼が佐伯家であると知っているのだ。」

 それを問われ、光弘は小さく舌打ちをし、唇を噛んだ。

 「忘れることができぬ気がやつにはあるからですよ。」

 豊國は小さく悲鳴を上げた。それ程までに、そう答える光弘の表情が殺気立っていたからだ。一体、光弘とその小鬼・・・いや、佐伯の間に何が起こったのか。最早それ以上は聞かない方がよさそうだ。

 「神代伴天連討滅及び小鬼の討伐は堂林家預かりでよろしいか。」

 「え。」

 豊國は冷や汗を流しながら素っ頓狂な声を上げた。

 「堂林家預かりでよろしいかと申しておる。」

 「む、無論である。ただし、確実に仕留めよ。伴天連も小鬼も皆殺しじゃ。」

 その言葉を聞くと、光弘は今まで見たこともないような恐ろしい表情で笑い、「仰せのままに。」と呟いた。

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