幕府の犬
「オレは今日ここに口論をしに来たわけでも、取り調べをしに来たわけでもない。」
先頭に立つ役人が騒ぐ村人達に対してぴしゃりとそう言う。
「では、どういったご用件で。」
「見ればわかるだろう。既にこの村がキリシタンを匿っているという情報はついておるのだ。全員捕縛だ。」
冷たくそう言っている。秋人と姫子はそろりと彼らの後ろに近づき、様子をうかがっていた。
「そんな、何の証拠もないのに。」
今を隆盛する徳川幕府の役人からすれば、村人の些細な反抗などは気にも止めぬという感じだ。
「お父さん、大丈夫なの。」
心配そうに村娘の姫子が少し前に出てきた。茂平は額から汗を流しながらも、心配をかけまいと表情を柔らかくしている。しかし、そんな強がりも時間の問題だろう。
「それにしても、あの家紋には見覚えが。」
秋人はじっと、家紋を刺繍した旗を見つめた。しかし、思い出す間はなく、いよいよ、現場はヒートアップした。
「黙れ。全員捕縛せよ。反抗する者は斬れ。」
先頭に立っている役人が持っている刀を振り下ろそうとした時、ようやく秋人は村人と役人等の間に割って入った。
「お前さん、なぜ。」
茂平が驚いたかのような顔で秋人の顔を見つめた。
「下がってな。ケガするぜ。」
秋人は腰に帯びている刀に手を付けた。偉ぶっている役人の手が止まり、馬上から秋人と村人を一瞥する。
「おい、そこの蒼き目のお前。家と名を申せ。」
「名は秋人だ。家は捨てた身。」
名乗りながら、今一度、彼らの家紋を見つめた。
「思い出した。お前ら、堂林家だな。」
秋家の言葉に役人は少しだけ驚いた。
「ほう、我々を知っていると申すか。如何にも、オレは
相手が侍と知るや、ようやく役人は自分の名を名乗った。
「知るも何も、有名ぞ。戦国の世においては北条、武田、上杉と主君を替えながら激戦を潜り抜けてきた戦闘一家ではないか。」
「その通り。だが今は幕府の犬である。」
恥じらいもなくそう言う光弘に秋人はにやりと笑った。
「泰平の御世においても戦争の臭いある場所に堂林家在り。京都郡代切支丹討滅部隊堂林光弘なるぞ。」
なるほど、ただの役人とは一風違う。天下人の傘の下で偉そうにしている旗本や御家人連中とは違い、彼らには我が力という絶対的な自信があるのだ。
「なるほどな。安心しな、元を辿ればオレも似たようなものさ。」
秋人はにやりと笑った。その表情を見逃す光弘ではない。
「ここで一戦交えると。」
「そっちがその気ならな。」
しばしの間、両者の間で沈黙が起きた。光弘の後ろに控える騎兵達は今にもとびかかってきそうな勢いである。
「証拠不十分だ。」
光弘は部下に向けてそう言い放った。部下達は戸惑いの表情を隠せない。
「証拠不十分なるぞ。二度言わせるな。出直す。」
光弘が叫んだ。その言葉を危機、秋家も安心したように刀から手を放した。
「話せばわかるじゃないか。」
「ぬかせ。」
光弘はにやりと笑い、騎馬を翻した。あくまでも秋家は油断せず、その姿が山の中に消えゆくまで村人と共に見守った。
「秋人さん、なんと礼を言えばよいか。」
茂平に頭を下げられても秋人は見向きもせず、ただ真っ直ぐと光弘の去った方を見つめている。
「礼には及ばん。それよりも、やつら、また来るぜ。」
「幕府の役人は何度かこの村に来ております。しかし、あれだけ強硬なのは今回が初めてです。」
姫子は不安気だ。
「だろうな。」
ようやく秋人は警戒を解いた。
「村の衆。オレは加賀を脱藩し、今は亡き右近様の遺言に則り、ユリアを守るためにこの村に来た。右近様の遺言通り、事は予想以上に切迫している。早急にユリアの所に案内してほしい。」
村に来てから数週間が経とうとしていたが、いつも縁側でアユを食べて寝転んでいる男とは思えぬほど危機迫った面になっていた。しかし、それでも村人達は簡単にうなずこうとはしない。
「村の衆に聞くまでもありませぬ。」
突然、村人達の後ろから、まるで澄んだ水のような声が上がった。少しざわめいていた村人達が瞬時に黙る。
「ユリア様。なぜここへ。」
内、一人がその女性の前に立ち、秋人の方に行かないよう遮った。
「お前が。」
怪訝な表情をして、秋人は確認するように尋ねる。
「ええ。わたしがユリアじゃ。あなたは。」
ユリアと名乗るその女性は緋色の着物を身に着けており、頭には茨の王冠、そして首からは銀製の十字架を携えていた。
年は十八かそこらであろう。日の光をほとんど浴びていないのか、肌は透き通るように白く、西日の強い光を少しだけ眩しそうにするその素振りから高貴な香りが匂うようだった。
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