切支丹集落 神代

加賀に比べると、丹波はまだ幾分か温かい。雪国である加賀は新春でも未だ火鉢が必要なくらい寒いのにも関わらず、丹波の昼間は非常に温かった。

 「こっちのアユはうまいなぁ。茂平さん、もっと焼いてくれ。」

 牢人は神代かみしろの集落で非常によく好かれた。無論、村に入った当初は生まれつきである蒼い目と腰の大小のため、構えられてしまったが。

 により、元々、よそ者、ましてや侍への危機感が高い集落である。ここまで村人から好かれ、内々に入ってこられるのは彼の人の好さが成せる技なのだろう。

 彼こそ、先般加賀藩から出奔した、佐伯秋人さえきあきとである。現在は氏を捨て、ただ「秋人」とだけ名乗っていた。

 「加賀では川魚は珍しいですか。」

 茂平と呼ばれた農夫は嬉しそうにまた新鮮なアユを串で打って囲炉裏に刺した。秋人は縁側で匂いを嗅ぎながら待っている。

 「気候も良い。空気もうまい。中々どうして良い所じゃないか。」

 ここ、丹波の神代も加賀ほどではないが、積雪地帯である。そのため、屋根の傾斜を急にしており、その上から茅で葺いている。いわゆる、入母屋屋根いりもややねというやつだ。

 「あなたも中々、良い風ふいているわね。」

 意味深なことを言いながら、茂平の焼いた鮎を持って来てくれるのは、村娘の姫子だ。

 「して、茂平さん。そろそろユリアに会わせてはくれぬか。」

 秋人はアユを頬張りながら茂平に対して頼み込む。牢人とはいえ、この時代、ここまで百姓身分にへりくだることができる侍も珍しい。

 「それだけはなりませぬ。」

 空気が明らかに悪くなったことを感じ、面倒に巻き込まれまいと姫子は静かに退散していった。

 「なんでだよ、お前らも高山右近様のことはよくわかっているだろ。その遺言に従ってここに来たんだから。」

 秋人は加賀藩から脱藩した後、馬を駆けること四日で右近の遺言状に示された神代集落にたどり着いた。

 なるほど、右近が遺言で示す通り、京の都には近いといえども、中々の秘境だ。集落全体が山という天然の要害に囲われている。

 切支丹を匿うにはうってつけの場所だ。

 「なぜユリア様のことを知っているのかは知らぬ。右近様とも何らかの関係があるのだろうが、その遺言状・・・否、証拠がない限り、会わせることはできませぬ。」

 おそらく、秋人を幕府の手の者だと思っての警戒であろう。やはり、何が何でも祖父から遺言状を貰っておくべきだったと思った。

 「オレが幕府の手の者だったら今頃この集落は皆殺しにしておる。」

 その通りであることは茂平も、この村の住人も重々承知していた。おそらく、この浪人は幕府の役人ではない。しかし、たった数パーセントでもその可能性がある限り、そして、もしそうでなくても、彼から匿っている切支丹の情報が幕府に渡ることも考えられる。

 「秋人さん、わしらは豊家の時代からの切支丹です。そして、この日ノ本において正しく基督教を語る事のできる最後の集落です。」

 生半可な覚悟と用心ではないと言うのだ。

 茂平を始め、村人等は少しでも秋人がこの集落を出ようという素振りがあれば、情報の漏洩を防ぐため、差し違える覚悟であることを語った。

 (右近様が選んだ場所なだけはある。)

 しかし、こうなっては却って彼らの律義さが煩わしい。


 腹いっぱい鮎をご馳走になった後、秋人はごろりと縁側で寝転がり、民家の天井を見つめた。暗い天井を見つめていると、右近の優しい顔が思い出される。

 秋人がまだ元服前の十二歳の時、前田家の客将として、活躍した高山右近はマニラに追放となった。武勇・人徳共に優れた彼の国外追放は、たくさんの人がそれを惜しんだ。

 「右近様、オレも連れて行ってくだされ。」

 無論、秋人はその中の一人だった。それに、秋人は元服の折には高山右近の家臣になる口約束も取り交わしていたのだった。右近にとっては幼き少年との戯れに過ぎなかったであろうが、秋人にとっては今も昔も本気であった。

 加賀出国の日、秋人は佐伯家の屋敷を単身で飛び出し、右近の前に出て平伏した。

 「表を上げよ、燕尾丸えんびまるよ。」

 右近は老齢とは思えないほどの良く響く声で秋人の幼名を呼んだ。秋人はゆっくりと顔を上げ、蒼い目で右近の顔を見つめる。

 「この燕尾丸、兼ねてより右近様の人柄に惚れ申しておりました。」

 「まかりならん。」

 秋人の声に重ねるようにして、右近は低くそう言う。唇を少しだけ噛みしめていた。また、秋人もそう言われることは重々承知していた。

 「されば、今一度お約束を。」

 今にも馬を歩かせようとする右近を一秒でも長く引き留めるよう、秋人は叫んだ。右近は一瞬躊躇ったが、彼の言葉に耳を傾けることとした。

 「再び世情が移りゆき、右近様お戻りの暁には・・・。」

 幕府の政策的にも、右近の年齢から考えてもそれがないであろうことくらい、秋人でもわかっていた。

 「うむ。家臣にしよう。」

 果たされぬ約定であったとしても、燕尾丸はそれが非常に嬉しかった。万感の思いで何も声にできず、ただそこに平伏し、彼が去るのを待った。

 それから一年も経たぬ間に、右近が遠くマニラの地でこの世を去った報せが加賀にも入ってきた。


 「うむ・・・。」

 いつの間にか眠っていたらしい。時は既に夕刻になっていた。縁側にも眩しい西日の光が差し込んでいる。

 しかし、自分を起こしたのはその西日の光ではなかったことにすぐ気づく。どうも集落がざわついている。

 「お役人様。この村には切支丹などいませぬ。」

 集落に入る門の前で数十騎を連れた役人が茂平と口論をしていた。

 「いつものことなので、お構いなく。」

 そばの姫子は何も心配をしていない様子だった。話によると、二カ月に一度くらいはこのように、取り調べに来るらしいのだ。いつも村人と役人の間で小さな取り調べがあるだけで、疑い無しとなる。

 近隣の集落に尋ねても、同じような取り調べがあることから、神代が特別疑われているというわけではないみたいだった。

 しかし、秋人の目は場の異様さに気づく。

 (あの旗の家紋・・・どこかで・・・。)

 この場が一筋縄でいかないということを秋人は察した。

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