暗闇に浮かぶ鍵盤の音

和音

第1話

 欠けない月の下で孤独に鳴り響くような足音


 柔らかい風に煽られて木の葉がざわざわ鳴くような音色


 暖かい雨が身体を打つ音のように鳴り止まない拍手


 私の暗闇の中でただ一つ光を持つ音が頭の中を駆け巡る


 そうして私は今日も見えない世界で目を覚ます






 最初に鍵盤を触った日は覚えてない。気づいたら多くの人の前で音色を奏でていた。


 その日は身体中が熱かった。その熱に従って鍵盤を叩いた。ホール中を支配する音は私の手から。群衆は息を呑み、ただ圧倒される。いつものように壇上を去り、いつものように両親の喜ぶ顔を見た。そして身体から熱が抜け私は倒れた。最後に見たのは強い光に照らされてなお黒く輝く、グランドピアノだった。


 次に覚えているのは心電図の無機質な音と両親の泣き声。私の目は機能を失った。


 肌に纏わり付く空気が冷たくなった頃、私は家に帰ってきた。真っ先に鍵盤を叩く。その音に光はなかった。


 頭の中にあの時の音がこびりついて離れない。もうあの音は私の手から離れていった。


 眠る、ただ眠る。どうせ目を開いても暗闇が広がるだけなのだ。それなのにあの音は光を持っている。今の私が抱えるには強すぎる輝きは私を苦しめ、焦がれさせるだけなのに。どうせならこの暗闇を照らしてくれたらいいのに。


 窓から入る風が暖かさを取り戻した頃、一人の女の子が扉を破り、私の暗闇に入り込んできた。


 私の目が見えなくなってから会うのを避けていた女の子。私の持っていた強い光を一番に見せてきた君には今の薄暗さを見せたくなかった。私は君を強い言葉で拒絶する。来ないでくれ、近づかないでくれ、見ないでくれ。


 私が肩で息をしていると震える声で名前を呼ばれた。手に暖かさがこもり、雫が落ちる。君は泣いていた。


 君には何も起きていないのに。君は何も悪くないのに。悲しいのは私なのに。


 暗闇の中の輝きが涙になって頬を伝う。しばらく二人で泣いた後、君は笑って私の手を引く。


 私は鍵盤の前に座らされ、君は背中合わせで座る。とっておきの光を見せる時の決まり事。


 そっと鍵盤に手を伸ばす。怖い。手が震える。息の仕方が分からなくなって、暗闇が広がる。


 それでも鍵盤に手を伸ばす。背中に君の暖かさがあるから。息を小さく吸って長く吐く。


 そして鍵盤の上を手が滑る。奏でた音が弾けて光る。小さいけど暖かい光だった。


 あの強い光を包み込む淡い光。これからはこの光を大切にして行こう。後ろにいる君と一緒に。

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