第56話 覇王vs憤怒。
異なる文化を持つ両者が、大きな戦いへと発展する前に、まずは相手の文化と歴史を知るべきではないかとシグは思う。
「ふむ……勇者絶対主義か……」
月光が草木に降り注ぐ時刻に、シグは聖教会へと潜入した。
いくらか見張りもいたわけだが、姿を見られる前に気絶させたから問題ない。
まずは書斎に押し入り、このグランナディアの歴史を紐解く。
諸々を読み漁って分かったことはひとつ。
勇者という人間の進化種族を自称している彼らは、自分たちを中心に世界が回っていると確信している。
だから彼らは、勇者かそれ以外のモンスターかで区別している。神秘の森エーテリアルに面しているからというのもあるのかもしれない。
森の獣には知性がない。あいつらも、自分かそれ以外かという思考だ。
そんなモンスターが湧き出る土地がお隣ということもあって、グランナディアにはクエスト文化、勇者文化が根付いたのだろう。
おそらく、グランナディアのお隣がカスケーロ大陸なら、また変わった価値観を持っていたかもしれない。
とはいえ、現実の彼らは排他主義だ。
他種族=モンスターというぶっ壊れた倫理観を持つ野蛮人に、いまさら道理を説き伏せたところで、従うことも有り得ない。
では、グランナディアの彼らには、どう対処するのが最適か。
1.殲滅。2.黙らせて強制的に文化を変える。3.……。
「まいったな。ろくな選択肢がないぞ」
シグはどうにもならぬ彼らの間抜けさに、はあと額に手をあてがう。
「交渉は無理なら、やはり力による支配しかないか。しかし、離反が起きるのは目に見えている。いずれ炸裂する時限爆弾を、先延ばしにしているだけだ。根本的に、解決するには……解決、するには……」
これが卑劣極まりない悪魔たちなら、容赦なく殲滅するのだが。
唯一の懸念としては、聖霊樹の存在だ。
この世界が滅亡の危機に瀕した時、聖霊樹は何かを発動させて、現世を完全に滅ぼしてしまう。そうして次の世界へと、やり直しをしてしまう。
グランナディアの民を虐殺した結果、聖霊樹の〝やり直し判定〟に踏み入ってしまったら、本末転倒だ。
「大いなる意思も、俺に世界平和を託していた。一方的な蹂躙は、平和とは言えないだろう。悪魔くらい卑劣なら、やってしまっても構わんのだろうが……」
シグは教会を出て、深夜の聖都市へと歩み出す。
「あっ、こんばんは、モブオさん!」
「よお、こんなところで何やってんだ?」
偶然にも道端で、ソフィアとサブリナに遭遇した。
「立ちションだ」
「こんな深夜に?」
「深夜でないと、小便が出ない体質なんだ」
「ええっ!? だ、大丈夫ですか!?」
「ちょっと、ソフィア。ウソに決まってるでしょ」
「本当だぞ、見てみるか?」
「ちっさ。ミミズみたいね」
「おいおい、まだ見てもいないだろうに!?」
「落ち着いてください、モブオさん! たとえあそこが小さくても、わたしは……」
「やめろ。本当に僕が同情されているみたいじゃないか。……それで、君たちは何をしている?」
二人は申し訳なさそうに顔を合わせて、決心いったように頷く。
「あたしらね。この国から、逃げようかなって」
意外ではあるが、シグにはとても腑に落ちる解答だった。
「徴兵されるのが嫌か?」
「まあ、ね。三日前、あたしたちはアーキシティに侵攻した。でも、全っ然無理だった。勝てそうとか、やり方を変えたらとか、そういう次元じゃない。おまけにさ、天空都市まであいつらについた。……時間が経ったら、今度はもっと大軍勢で攻め入るでしょ。そんな命を無駄にする行為なんて、あたしは嫌」
「わたしも……ソフィアさんと一緒です。だから、今晩にでも、抜け出そうかなって……」
サブリナもソフィアも、真っ当な答えだ。
いくら偏った文化を持っていても、いざ命の危機に直面したら、大半の人は我に返る。それも勝利が見えるのならば、意味のある死かもしれないが、聖教団は断然無理の戦争をおっぱじめようとしている。
亡命という選択肢が思いつくのは、ごく自然だ。
「二人に、行く当てはあるのか?」
「ない……けど、どうにかするしかない。ここで待っていたら、あたしらもまた戦争に向かわされる」
「最低限の、お金と、食料はありますから。しばらくそれで耐え忍んで、グランナディアの僻地で、身を隠すとか……ど、どうでしょうか……」
戦争……価値観……亡命……そしていまの自分。
シグはこのシチュエーションに発想を得て、彼女たちグランナディア民の思考を変え得る一手を思いつく。
「西に向かえ」
「「はい?」」
「アーキシティに向かえと言っている。あそこは安全だ」
「そ、そんなわけないでしょ! あたしらは一度、戦った相手なんだし、受け入れてもらえるはずが……」
「俺は、見逃してもらえたぞ。どうやって、俺が生還を果たしたと思う? 許してくれと頭を下げたら、追ってこなかったんだ。きっとあのエルフたちは、平和的に解決したいんだろう」
そう言えばと、二人は三日前の戦いを思い出す。
彼――サエナイン・モブオのおかげで、自分たちは見逃されたのだ。
ここは俺に任せろ。そんなことを言って、絶対強者に立ち向かっていったモブオ。
モブオがいま、自分の前にいるということは、彼も逃亡を許されたから。
エルフたちは思いのほか情け深く、むしろ匿ってくれるかもしれない。
「あのっ、サブリナさん。もしも助けてくれるのなら、他の人たちも、呼んだ方が……」
「そうね。知り合いの女の子に声を掛けてみるわ」
「他には……パーティー仲間の、シャキリンさんとか」
「彼はいいわ。名前がキモイいし」
「付け加えると、ちょっと勘違いしてそうでキモイですよね……」
「そ。身の程を弁えている、このサエナイン・モブオの方が断然いいわ」
女子たちのドロドロとした私情はともかくとして、シグの計画が順調に進みそうだ。大人数で避難してくれた方が、より効果的である。
「ああ、それと……アーキシティに着いた後、君たちは普通に暮らしてくれ。毎日の生活を記録として残し、平和に生きていったらいい」
「本当に、できるのかしら。そんなこと」
「だが、賭けるのならエルフたちだろう。あっち側に着いた方が、勝算は――」
流星じみた勢いで、その少女は飛来した。
「「――っ!!?」」
シグと激突した赤髪のエルフは、巡礼者のブレイズハート。
ただ魔力を込めただけの打撃なのだが、彼女の拳はそれひとつでどんなに堅牢な守りでさえも粉砕する。
「なあ、あんた! やっぱりこの間のは、マグレじゃなかったみてえだな!」
しかし、シグの法外に練り込まれた直剣に掛かれば、ブレイズハートの拳さえも受け止めてしまう。
二人が内包する魔力量を鑑みれば、ただ剣と拳が交わっただけの域には収まり付かず、辺りには災害めいた風の束が吹き抜けて、衝撃波も発生させる。
「サブリナ、ソフィア! ここは、俺を置いて先に行けぇ!!」
サエナイン・モブオとして、これ以上にないセリフが決まった。
シグのドヤ顔もどこ吹く風で、二人は涙を湛えながら駆け出していく。
「で? あんたは、ただの雑兵じゃないだろ。どうして、あたしの一撃を受け切ってんだ?」
一旦距離を取ったブレイズハートの相貌は、喜びに輝いている。
ようやく、強い相手と戦える。
そんな好奇心と闘争本能が、奮然たる双眸から透けて見えた。
「こちらの台詞だ。君ほどの強者が、単独で攻め入ってくるなんて。エルフは、随分と野蛮らしい」
「はあ? 先に仕掛けてきたのは、そっちじゃねーか!」
「俺は仕掛けていない。文句なら、あの聖教主に言ってくれ」
「どっちにしろ、あんたは強いんだろ! だったら、四の五の言わず、やり合おーぜ!」
推測ではあるが、ブレイズハートは聖教主か四英傑か、グランナディアの仔細を掴みに来たはずだ。
しかし、前回の戦いで、ブレイズハートは不完全燃焼に終わった。
表向きは、グランナディアの調査。
実態は、サエナイン・モブオとの一対一。
ブレイズハートの性格からして、恐らくそんなところだろう。
「ふっ……ブレイズハートとの決闘か。なかなか悪くはない」
「あれ? ……あたし、お前に名前教えてたっけ?」
シグはぎくりと肩を震わせながら、
「この前、仲間が口にしていただろう」
「あーっ、そっか。まあ、そんなことはどうでもいい。――行くぜ」
衛兵や勇者たちが起き上がってくる中、二人はところ構わずにおっぱじめる。
「お、おいおいおいおい!! なんだありゃあ!!?」
「赤と黒……また神さまの奇跡か?」
「近寄るな! 住民は避難し、勇者たちは危機に備えろ!」
シグが空高く舞い、ブレイズハートが追随する。
空を駆ける巨大な炎は全て、ブレイズハートが纏う魔力の残滓であり、宵闇に浮かぶ紅蓮の軌跡は、さながら流れ星のような煌めきを放つ。
ブレイズハートは拳を、シグは剣をもってこの死闘に臨む。
両者が打ち合う度に魔力の波動が伝播していき、高速を超えた遥かなる攻防は、一帯に疾強風すら巻き起こした。
轟々と風を纏い迫るブレイズハート。次手を待ち鷹揚と構えながらも油断していないサエナイン・モブオ。
この命の駆け引きが双方の闘気をなお滾らせて、一段と込めた魔力がそれぞれの得物へと満ち溢れていく。
「面白えな、あんた!」
「ふっ……成長したな、ブレイズハート」
「はあ? 何言ってるか、分かんねえけど……本気で行くぜ」
少女が解き放った罪の力〝憤怒〟が、両の拳に纏わり付く。
防御無効の絶対的かつ暴虐的な権能は、いかに覇王たるシグであっても、直撃すれば有効打となり得る。
対処手段はいくらかあるが、いまの彼はサエナイン・モブオ。
素性がバレないようにと、数多の制限が科されている。
権能は使えない。剣技も使えない。魔法ももちろん使えない。
彼が使用できる武器は、剣一本。
何ともふざけた話ではあるが、むしろこの縛りプレイは、シグの闘魂を一層と燃え上がらせる。
「獲った!!」
ブレイズハートの拳が、シグの心臓を刺し貫いた。
「残像だ」
「なっ!!?」
だが、それは実体ではない。ただの超高速移動によって生み出された虚像だ。
シグの魔力量と、理論値最大の魔力操作を成し遂げれば、幾多の残像すら発生させる。
この神がかりを見て、ますます気概を迸らせるブレイズハート。
天空では音速を超越した神風の如く接近戦が繰り広げられ、首をもたげる勇者共には何が起こっているのか理解すら及ばない。
凡夫では決して届かぬ領域。
覇王と破壊神による激闘は夜の静寂を完膚なきまでに蹂躙し、人々は赤と黒の閃光を目にして、神の思し召しだと涙を流す者さえ出た。
強い。この男には、全力をもって臨むだけの価値がある。
「
そう判じたブレイズハートが、防御無視の超広域攻撃を放とうと構えを取る。
「それは困る。国ごと滅びかねんからな」
「か……っ!!?」
しかしシグがブレイズハートの鳩尾に剣柄を叩き込み、怯んだところで背中に渾身のかかと落としを決める。
空から地盤にめり込むほど、凄烈に叩き落された赤髪のエルフ。
シグが彼女の首に刃を当て、戦いの決着を理解させた。
「認めよう、ブレイズハート。お前は強い」
なんて見知らぬ男に言われたところで、彼女は納得できないわけで。
「……なんだよ。殺したきゃ殺せよ」
「そういうわけにもいかん」
「なんでっ!」
「実のところ、この騒動に乗じて、貴様らが守っている国に人間がいった」
「奇襲か?」
「投降だ。このままでは、またグランナディアとアーキシティで戦争が起こる。しかし、全員がそれを望んでいるわけではない。命が惜しい者は、貴様らに保護してもらうことを所望している」
「つまり、なにが言いてーんだよ」
「彼女たちを護衛してくれ。勇者とはいえ、少女たちだ。アーキシティへは三日も掛かる。彼女たちだけとは、いかんだろう」
「ちぇっ……仕方ねえな」
ブレイズハートは「よっ」と身軽に起き上がり、シグに一瞥を向ける。
「あんた、名前は?」
「サエナイン・モブオ」
「げっ……すっげえ弱そー……あたし、こんなやつに負けたのかよ」
「いいや、俺が想定しているよりも強かった。誇っていいぞ」
「るせーっ! 次は、絶対に勝つからな! 覚えてろよ!」
ご機嫌斜めな彼女を見送って、シグも急いで退散する。
種は撒かれた。
数日もすれば、グランナディアの情勢は覆るだろう。
一気に現実的な〝世界平和〟が見えてくると、シグは胸の高鳴りを禁じ得なかった。
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