第50話 この世界の真実。
「ああ、言っておくが僕は悪い人間でね。いや、悪いアンドロイドかな? 何でもいいけど、とにかく僕はものすごい罪を犯したことがある」
マキナはラボの廊下を歩みながら、浮ついた語調で語る。
「けれど、それには意味があったんだ。この世界には、明らかにおかしな点がある。その代表的な物が、
彼女のラボには、壁一面に
「俺も六年前から、その研究はしていた。かつてディアナたちは
一応はおもてなしなのか、マキナは透明な飲料をコップに注いでいく。
はいと渡されても、直ぐには口に含めないシグ。
ただの清涼飲料水であることが分かると、シルバーレインにも渡した。
「随分ともったいぶるな、マキナ。結論から先に言うと――アレは、この世界のものではないだろう」
マキナは小さく鼻で笑った。
真実を知っている者だけが見せる、どこか愉悦的な微笑だった。
「すごいね、シグ君。まさか、そこまで掴めていたなんて。何を見てきたのって聞きたいところだけど……君。盗み聞きしてないで、入って来なよ」
ドアを開けて入ってきたのは、ローズウィスプだ。
「ごめんね、シグ。付いてきちゃった」
「問題ない。これは、三年前に行ったお前たちにも、深く関係があることなのだからな。ブレイズハート、ブルーウェイヴ。お前たちも入ってこい」
こっそり潜入していたつもりが、シグには全て筒抜けだった。
ブレイズハートは「たはは」と苦笑いし、ブルーウェイヴはいつもの如く彼女を咎めている。先に尾行しようと言い出したのは、ブレイズハートだったようだ。
「し、シグさま、その……わたしは、止めようとしたのですが……」
「おいおい、ブルーウェイヴ! ここまで来て、あたしを裏切るのかよ!」
「構わんと言っている。二人も、この話を聞いておけ」
マキナはルーペをかざし、四人のエルフたちをまざまざと窺う。
何かを知った風に「へぇ……」と、にやついた。
それから顎でソファーを指し、マキナも鷹揚とソファーに座った。
「君たち、聖霊樹の根に潜ったことがあるんだ」
ブレイズハートは首肯した。
「ああ……三年間、そこで暮らしたんだ。二度と帰ってこれないかと思ったんだけど、なんとか、こっちに戻ってこれたよ」
忘れもしない、三年前に起きたとある大事件。
四人のエルフは姿を消して、またある日、忽然と帰還を果たした。
そこで過ごした試練によって、四人の巡礼者は一段と強くなった。
「実のところ、俺は彼女たちから、その話を詳しく聞いてはいない」
「本人たちの、トラウマを心配して?」
「そうだな。支えることすらできなかった俺に、聞く権利もないだろう」
「あっはは、もったいないね! 貴重な研究材料にもなりそうなのに……なんだったら、この僕が聞いてみても」
「おい、殺すぞ」
「ちぇっ……その殺意は本気だね。別に、そこまで怒らなくてもさ」
この緊迫した空気を打ち消すように、「なあ、ボスー」とブレイズハート。
「前にも言ったんだけどさ、そこまで、ひどい目には遭ってないよ」
「とはいえ、決していい思い出ではあるまい」
「でも、やっぱり、話しておくべきことではありますし……」
「私もそう思う。あなたには、私の〝腐敗〟も伝えていない」
ブルーウェイヴとローズウィスプに押されて、シグは渋々頷く。
「俺たちは三年前、エルフのもう一つの起源とされている聖霊樹を、調査した。聖霊樹とは、どのような性質があるのか。その深き根を掘り、遂に〝終着地点〟へとたどり着いた。根は、生き物のように蠢き……その先には、何か異なる次元の渦があり、根源はその渦を守っていた」
マキナは、興奮気味にテーブルから身を乗り出す。
一心不乱にメモを取り、「それで、それで!?」と訊ねていると、シルバーレインに引き剥がされた。
「まず、あたしが行っちゃったんだよなぁ。この先に、何があんだろーって」
「わたしがハートちゃんを止めようとして、それで……」
「二人が、〝根源〟に呑み込まれた。咄嗟に私とシルバーレインが助けに行った」
「だが、私たちもろとも呑み込まれた。それが、三年前に起きた事件の真相」
マキナはいまの証言を、鼻血を垂らしながら書き留めていく。
シグは憂鬱な面持ちだ。
あの時、何故もっと警戒しなかったのかと、四人のエルフたちが帰ってこないままだったなら、彼はいっそうと自戒の念に囚われていただろう。
「シルバーレイン。帰還した日、俺に〝腐敗した根〟を寄こしたな」
「ああ……アレこそが、私たちが行った世界だ。大地も空も、真っ赤に染まり、生物は虫ひとついなかった。……全てが、腐り果てていた」
「しかも腐っていたのは、この世界とよく似た世界だったんだ。地形も、生物も、ひどく見覚えがあって……」
「む? ローズウィスプよ、生物はいなかったのではなかったか?」
「うん、
「あたしたちは、その腐った化け物をぶっ飛ばしたんだ! ほんっと、あり得ねえほど強くてさ! 危うく、死ぬところだったんだぜ!」
「ううぅ……いま思い出しても、わたしは怖いです……」
「ははっ、ブルーウェイヴは怖がりだな! 大丈夫だって、あたしが全部、ぶっ飛ばしてやるから!」
「ハートちゃん……」
巡礼者たちの魔法と魔力なら、生きていくうえで十分な緑や水は生み出せるだろう。エルフは本来、木の実や果物を摂取して生きていける。
「んでさあ、突然、元の世界に戻されたんだよ。金色の光に包まれてさ!」
「やはり……そういうことか。元の世界へと、強制的に戻されたのだろう」
シグは考えをまとめて、ひとつの揺るぎない解を見出した。
この世界と異世界は、確実に――。
「私の身体には、腐敗の竜が宿っている。どうしようもなくて、〝暴食〟で取り込んだんだ。だから、私はそれを顕現させることが出来る……でも、制御できるわけじゃない。ごめんね、シグ。いままで、ずっと黙っていて」
ローズウィスプが自白すると、シグはむしろ励ますように頭を撫でた。
「お前たちは俺の臣下でもあり、仲間でもある。危険な力を取り込んだところで、俺が殺すことはない」
「うん……分かってる。でも、怖かった」
「そう悔やむな、終わった話だろう。他に、隠している者はいないか」
シルバーレインは手を上げようとしたが、迷うように肘を下げ、それでもと頭を振って口火を切る。
「すまない、我が主よ。実は、話していないことがある」
「全てを許そう。話していないこととはなんだ?」
「私の冷酷は〝対象の最も高いステータス〟をコピーする。それで……」
「なるほど、怪物共のステータスをコピーしたと」
「ああ。しかもそいつは、まだ倒せていない。だから私の身には、この〝闇〟が宿っているんだ」
シルバーレインが剣を振ると、死を思わせる漆黒が空気を裂いた。
魔法でもない。権能でもない。
腐敗同様、それもこの世界とは異なる特性だった。
「シルバーレインは、とっても偉いんだよ。エルガードと戦っていた時も、この力に頼ろうとはしなかった。私は、アビゲイルに使っちゃったのに」
「いや、それは違うぞローズウィスプ。エルガードには、これを使っても勝てるかどうか、怪しいだろう」
「しかし、闇というステータスが存在するとは……試しに、俺が斬られて――」
「勘弁してくれ、我が主よ。もしもがあったら、私は自分の首を刎ねるぞ」
「それは困るな」
「ああ、困る」
「二人は分かった。ではブレイズハートと、ブルーウェイヴはどうだ?」
「あたしは、全然平気だぜ! ふふん、あの冒険も楽しかったし!」
「やめてよ、ハートちゃん。わたしは、二度と行きたくないよぅ……」
それが、彼女たちが消えた三年間と、異能の真実。
しかし、現実に似た腐った世界とは、何なのか。
シグにはその答えも見出せている。
「恐らく……この世界は、何度もやり直している。世界が滅びるほど、致命的な被害が及んだ時、次なる世界を創成するのだろう。聖霊樹が、この世界のエネルギーを吸い尽くし、次なる世界への糧とする。
マキナは、腐敗した根のサンプルを差し出した。
濃密な魔力で練った結晶石に封じられており、その中で根は今も腐っている。
「ふっふっふ、僕とまったく同じ推測だね。エルフのルーツが二つあるのも、聖霊樹の〝やり直し〟に起因してるはずさ。どこかでバグったのか、異なる種族の特性が混じったのか。あるいは……」
「それで、貴様がその根を手にしている理由は?」
「そうそう、僕は未だに素性を明かしていなかったね。それも今から話すんだけど、どうか、斜に構えないでほしいな。だって僕は、平和主義者なんだから」
マキナは、とんとんと壁面の世界地図を指さした。
いまの世界には存在しない大陸が、最東端グランナディアの更に東にある。
「実験でね、大陸をひとつ、吹き飛ばしちゃったんだ」
『……は?』
「マキナ……貴様、やはり」
マキナは殺気を纏ったシグに対して、「暴力反対だってぇ!」と両手を振る。
そんなあざとい演技も悪辣で、シグの脳裏には二つの選択肢が過る。
果たしてこの少女は、下郎なのか、そうでないのか。
マキナはシグの審判すらも楽しむように、唇の端を緩めていた。
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