第45話 月明かりの下で。
「はあ……そろそろ、全てを終わらせるか」
サキュバスとエルフの湯を堪能(というか無理やり混浴させられた)シグは、たった一つ残された問題を片付けに行く。
月光が降り注ぎ、静寂に支配された王都の夜道では、ひとりの少女がほっつき歩いている。
「シルヴィア」
「……シグ」
悪魔に器が乗っ取っていた彼女も、今では立って歩けるようになった。
しかし、こんな夜分に彼女は何をしているのだろうか。
悪魔による力も消えて、〝才能なし〟の剣士に戻ったシルヴィア。
少女が物思いに耽るには、十分過ぎる理由だ。
「ちょっと、お話に付き合ってくれる?」
「勿論。仮だけど、君の彼氏だからね」
「あはは。そんな設定もあったっけ。まあ、でも……悪くないと思うんだ。こんな私の、唯一の話し相手なわけなんだし」
シルヴィアは夜空を眺める。
空に浮かぶ星々のように、輝しい未来が、自分にはあった。
けれどそれは仮初に過ぎなくて、いまとなっては叶わぬ理想郷だ。
決して、誰かが悪いんじゃない。全ては、自業自得だ。
「ほら、王都で発表されてた大事件。……実はね、私が強い悪魔に乗っ取られてたんだ。被害者でも何でもなくて、私が、彼らにすり寄ってしまった」
ひとつひとつと、あの日の間違いをシルヴィアは思い返す。
自分は剣の才能がなくて、どうにか周りを見返してやりたいと思った。
いま目の前にいる七級剣士と同格なんて、あり得ない。
そんな思い上がりが、全ての発端だった。
「ある夜、私はひとりで剣の鍛錬に励んでいた。……でも、剣筋に冴えはないし、動きだって全然遅い。何年経ってもそんな有様で、自分が七級剣士ってことにも、納得できなかった。……悔しかった。嫌だった。自分はもっと、すごい剣士になれるんだって思い上がって、とにかく強くなりたいって……思った」
プライドは高く、口も悪く、誰にも頼る相手がいない。
だから、あの誘いを受けてしまったのは、必然だったのだろう。
「そんな時――お兄さまから、誘われたの。『お前を強くしてやる』って。でもね、私は鍛錬したわけじゃないの。お兄さまは、どうやって、私を強くしたと思う?」
「それが、悪魔とのきっかけなんだね」
シルヴィアは哀しそうに、「そう」と笑って。
「お兄さまは、力を求めていたの。きっかけは、たぶん……お母さまに否定された時から。お兄さまは、私より強かったけど、お父さまは勿論、お母さまにも敵わなかった。やりたいことは否定されて、無理をしようとすると、力づくで叩き伏せられる。でもね、それはお母さまたちなりの愛だったの。実際、お母さまの手ほどきは正しかったし……お兄さまは、ほら、我慢ができない人だから。お金やお酒、悪い遊びを覚えた時は、お母さまはいつも律してくれた。けれど、一番の転換期は、あの一件だと思う」
シルヴィアはいまも、家庭内で起きた大喧嘩を覚えている。
物分かりの悪い兄を、母が正して、けれど兄は我慢ならずに、右腕を骨折するほどの騒動に発展した。
けれど、やっぱり剣の腕前では敵わず、兄は母に言いくるめられてしまう。
「そんな剣の腕前で、誰に物を言っているのか。私が認めた相手でない限り、結婚なんて許しません。――婚約者のヘレーナ・リネーさまを、お母さまは認めなかった。あの女は、エストホルム家の財産しか見ていないって」
果たしてそれは、女の勘なのだろうか。
実際にこの時、母が下した決断が、正しかったのかどうかは、時間が経たないと分からないことだ。
しかし兄は、この一件を根に持ち、より力に溺れてしまう。
「すこししてから、お母さまは暗殺された。でもね、時期が重なってただけで、これはお兄さまではないと思う。そもそも、お母さまの方が強かったんだし……外部に暗殺を頼むようなことも、しないと思う。お兄さまは、自分で決めたがる性格だから」
シグは、沈黙した。
この件に関して、全ての真相を知っているのは自分だけだ。
いま差し出口を挟むのは最適解ではなく、ただその時を待った。
「だから、だと思う。お兄さまが、あそこまで力を求めちゃったのは。婚約者を否定されて、剣も否定されて、お母さまも殺された。何も出来なかったことが、とっても悔しかったんだと思う。……一年後のお兄さまは、別人かと思うくらい、考えが酷くなってた。そして、とびきり強くなってもいた。きっと、いくつもの不幸が重なって、悪魔に頼っちゃったんだと思う」
それが、エストホルム家で起きたことの顛末。
兄が力に溺れ、妹も弱い自分を認められなくて、悪魔に縋った。
そうして王都に触媒がばらまかれ、器となる同期者が急増した。
「私も、お兄さまのことは言えない。強くなりたいのに、ブレスレットを身に着けて、欲望を願え……なんて、おかしな話だもんね。本当なら、その間にも剣を振り続けるべき。コツコツと、努力を積み重ねるべきなのに……一夜明けたら、ウソのように強くなってた。……最高だった。夢のようだった。努力もせずに、一気に強くなる世界を味わって、もう、抜け出せなくなっちゃった。それが悪魔を呼び寄せる触媒だなんて知らなかった。でも……知っていても、私は、きっと」
ひと通り話し終えたシルヴィアは、自分の胸に手を当てている。
本当の自分を曝け出せて、内心の憤懣が晴れたのだろう。
「……」
だが、彼女はまだこれで終わりじゃないし、向き合う覚悟すら見定めていない。
シグからするとシルヴィアは、スタートラインにすら立っていないのだ。
「満足した?」
「そうね、少しは。……シグはどう? こんな私を、惨めだって思った?」
「うん、とっても惨めだね。だってシルヴィアは結局、どうしたいかを決めていないんだから」
シルヴィアは不意を突かれたように、瞳を揺らした。
これだけ長々と語っておいて、彼女はただ事実を口にしただけなのだ。
何の意義もなく、聞くだけの価値に値しない。
シルヴィア・エストホルムは、悲劇のヒロインを演じているのか。それとも、本当の意味で立ち直りたいのか。シグは、その真意を掴みたい。
「私は……」
少女は俯いて、自分の弱さと向き合った。
シグに話を聞いてもらって、同情してほしかった。なんて浅ましい欲求があったことは、否定できない。だけど、それでは何の解決にもならない。
これから自分は、どうしたいのか。それは……。
「強くなりたい。誰よりも強い心を持って、いつか、皆を守りたいの」
揺るぎのない、確たる理念をもった宣誓だった。
「もう、誰のせいにもしたくない。自分の弱さにも、逃げたくない。努力して、努力して、努力して、努力して――たとえ才能がなかったとしても、私は絶対に立ち向かう」
シグは首肯した。
「できると思うよ。だって、君は、僕を助けてくれたんだから」
彼女には、崇高な信念がある。
かつて兄から自分を守ってくれたように、泣き喚きながらも立ち向かうシルヴィアの背中には、剣士としての生き様を感じた。
歩むべきが決まったのなら、後は、その背中を押すだけだ。
いまの彼女なら、どんな悲劇も乗り越えられると信じて。
「それじゃあね、シルヴィア!」
ぽんと、シグは彼女の肩に手を置いた。
「うん。こんな遅くに付き合ってくれてありがとう、シグ」
シルヴィアは帰り道を辿っていくと、ある男と遭遇する。
「だ、だれ……?」
黒いローブを被った男が、シルヴィアの前で立ちはだかっている。
「真実を、知りたいか?」
「ど、どういうこと……あなたは、だれ!?」
「強くなりたいのなら、来い。お前に、隠された真実を見せてやる」
シルヴィアは怪訝に睨み据えながらも、男の手を取った。
自分はもう、何にも逃げないと決めたのだから。
「真実、って?」
「見れば分かる。……こっちだ」
♰
誤解を恐れずに言うと、ヴィンセント・エストホルムは狂っていた。
「クソ……クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソクソクソクソクソクソ!!!」
深夜にも関わらず、彼は屋敷を暴れ回り、家具も寝具も滅茶苦茶にしている。
彼には、重大な計画があったのだ。
剣舞祭で優勝し、栄光を祖国に持ち帰って、愛しのヘレーナと結婚する。
ヘレーナにも、父にも、剣舞祭で優勝すると何度も豪語してきたのだ。
それが――。
「それが、どうしてこうなる!!?」
当然だが、悪魔たちは自分たちの侵略計画を、ヴィンセントに教えていない。
都合よく、剣舞祭を優勝させてくれるものだと、そんな悪魔の誘惑に堕ちたヴィンセントは、番狂わせを食らったわけだ。
悪魔は、ヴィンセントの身体を乗っ取って暴れ回った挙句、剣舞祭は中止、どころか倒されてしまったせいで、悪魔の力は消滅してしまった。
ヴィンセント・エストホルムは、そこそこの剣士止まりに戻ったわけだ。
「クソ、クソ、クソクソクソクソ!!! 悪魔の力がなけりゃあ、俺は剣舞祭にすら出れないだろ!! あのバカどもが、勝手に仕掛けたせいで……せめて、剣舞祭が終わってから始めるべきだろ!! 貧乏人共が何百万人死のうと、俺にはまったく関係がない!! 俺に栄誉を寄こせ、栄華を寄こせ! どうしてまだ優勝もしていないのに、あいつらは仕掛けたんだよ!! これじゃあ……父さんにも、ヘレーナにも、示しが……っ!!」
ヴィンセントの言葉は、聞くに堪えない。
彼には罪の意識がなく、いまも悪魔さまに祈りを捧げている始末だ。
本当に彼は、力さえあれば後はどうでもいいのだろう。
外道、ここに極まれりだ。
「ねえ、どうしたの? ヴィンセント?」
ドアを開けて入ってきたのは、婚約者のヘレーナ・リネーだ。
「べ、べつにどうもしていないさ、マイハニー」
ヴィンセントは苦笑いで取り繕うが、口の端には荒い息が漏れ出ている。
「ちょっと、残念な結果になっちゃったわね。ほら……ヴィンセントのお父さまにも、私のお父さまにも、必ずや優勝を持ち帰って、結婚式を挙げますって」
苦しい過去が浮かび上がると、ヴィンセントは一段と声を荒げた。
「そうだ!! 俺は、祖国に勝利を持ち帰って、そして、ヘレーナと結婚するはずだった……そのはずなのに……っ!!」
怒りのあまり、ぷるぷると拳を震わせるヴィンセント。
そんな彼を宥めようと、ヘレーナは温かく抱擁する。
「大丈夫よ。きっと剣舞祭があったら、ヴィンセントが優勝してる」
「ああ、絶対にそうだ!! 俺より強い剣士が、この世界にいるもんか!!」
「それに……どうせ、結婚はできるのでしょ? ほら、あの口うるさいお母さんは、いないようだし」
その話題になると、ヴィンセントの口角は不気味なほどに吊り上がった。
「ふっ……ふふっ……ふははははっ! そうだ、そもそもこんなことになったのは、あのクソババアのせいだ! いちいち、いちいち、俺の結婚に反対しやがって……」
「でも、それもいまは、関係ないのでしょう?」
「ああ!! なんてったって、俺があのクソババアを、ぶっ殺してやったからなぁ!!!」
げらげらと、ヴィンセントの高笑いは、最高潮に達した。
彼はずっと、こうしたいと思っていたのだ。
自分に反発する相手は、たとえ肉親であっても、容赦はしないと。
「目障り、だったんだよ……俺は俺のやり方があるのに、事あるごとに、口だししやがって……なぁにが、私が認めた相手でない限り、結婚なんて許しません、だ。今頃あの世で、後悔しているだろうなぁ!! 俺にぶっ殺されたクソ雑魚ババアが、何を思い上がっていたのかって――」
「ウソ……お兄、さま?」
ヴィンセントは、聞き間違いだと思った。
この邸宅で、どうして妹の声が聞こえるのか。
恐る恐る首を巡らせてみると、そこには実の妹であるシルヴィアがいた。
「お兄さま、なのですか? 私たちのお母さまを、殺したのは……」
ヴィンセントは俯き、「ふふふっ」と、何かを決意した笑みを零す。
「そうだ。俺だ。この俺が、クソババアをぶっ殺したんだ。そうすれば、ヘレーナと結婚できる。いちいち、指図もされない」
「そんなことのために……お兄さまは、お母さまを」
「うるさい、黙れシルヴィア!! お前だって、無関係ではいられないんだ……これを知ってしまったからには、どうなるか……分かるよなぁ?」
ヴィンセントは剣を抜いた。
度し難いことに、彼は妹さえも手に掛けようとしている。
「お兄さま。どうか、自首なされては――」
「するわけねえだろ、バーカッ!! ババアも殺して、お前も殺して、迷宮入りで全部終わりだ!! ふふっ……俺に勝てると思うなよ。俺とお前の間に、いったいどれだけの実力差があるか。それくらいは、弁えているだろう?」
シルヴィアは迷いもなく剣を抜いた。
「弁えております。――それでも、逃げられない。お母さまの仇は、私が、ここで」
「っけんじゃねえぞ、雑魚がァ!!! だったら、分からせてやる……お前もここで、殺してやるよ!!!」
――速い。
シルヴィアが驚いたのは、兄の初動にではない。
自分自身の、反応速度にだ。
ずっと、頭の中にはあったやりたい動きが、どうしてか、いまになって実践できる。初撃を剣先で受け流し、横に払って剣を弾く。
「シル、ヴィア――お前ッ!!?」
何万回と練習してきた動きが、ようやく身体に追いついてきた。
魔力も、身体の奥底から溢れてくる。
魔力操作は……できる。腰を重心として、つま先まで魔力を練り上げ、下半身に力を入れる。捻りを加えた力が、両腕に乗る。
そして横一閃に払った峰打ちで、兄の身体を弾き飛ばす。
「クソ……がぁ!! ……もういい、こいつを殺せ!!」
ヴィンセントは叫ぶが、誰も応援はやってこない。
「警備、警備は!!? おい……誰か、いるはずだろ!!? 誰か……誰、か?」
彼は、屋敷で何が起こっているのかを、ようやく知る。
「……なんだ。誰だ、お前」
ヘレーナ
変成魔法だ。
そもそもこの屋敷にはヘレーナはいないし、シルヴィアだってのこのこ入ってこれるわけもない。錯乱していた兄は、気付くのが遅すぎたのである。
「さあ、誰だっていいだろう。お前には、関係がないことだ」
シグは姿を変えた男の姿で、背中を向ける。
「待て、貴様――ッ!!」
すかさず追い掛けようとするヴィンセントだったが、彼の足掻きもそこまでだった。
「ヴィンセント・エストホルム殿。先ほどの供述を証拠として、貴殿を殺人罪として連行します」
新たに現れたのは、王都の騎士団たちだ。
悪魔の力もないいま、ヴィンセントが勝てるはずもなく。
「く、そ……」
カランと剣を手放して、無様に崩れ落ち、連行されていく兄。
「お兄さま……」
これまで敬愛していた兄にも、シルヴィアはもう振り返らなかった。
強く、強く……より強くならなければならない。
心も、体も、剣も、技も、全てを磨き上げていくのだ。
愚かな兄に、付き従うのももう終わりだ。
これからは、自分だけの道を往く。
「でも……あれ? どうして、私はこんなに強く……それに、あの男の人は」
いつの間にか、自分を手引きしていた男が、屋敷から消え去っている。
「――さて。なかなか悪くない、幕引きだったな」
屋敷の屋上。シグは右手を上げて、轟々と燃え盛る魔力を見やる。
シルヴィアとの別れ際に、シグは肩を叩いていた。
その時に、力を分け与えていたのだ。
しかしそれは、エルガードたちのように破格な魔力ではなく、ほんの少し、凡人の剣士になれる程度の力だ。
シルヴィアの手や、筋肉のつき方を見れば、彼女がこれまでどれだけ努力してきたのかが分かる。だからシグは、それに見合うだけの力を付与した。
彼女が凡人のままに留まるか、それとも名を馳せる剣豪となるか。
それは、シグでさえも分からぬ領域。
決意を固めた少女の行方は、数年後に明らかとなるだろう。
「ふっ……戯れの時は、終わりだ」
悪魔とエストホルム家、全てに片を付けたシグは、夜へと駆ける。
偶然にも、シルヴィアは月光の下に舞う男の姿を見届けていた。
「……綺麗ですね。いつか私も、あの方のように」
この世の闇を背負う黒きローブを纏った男は、彼女の新たな憧れとなった。
――――――――
作者のあとがき。
※前半部分を原稿からコピーしてませんでした。修正済みです。
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