第44話 サキュバスとエルフの湯。
悪魔との決戦から、三日が経った。
都市の復興作業は終わり、王都には活気が戻りつつある。
「悪魔たちの巣窟、ホワイトコールは、我々が制圧した! 王都に出現した悪魔たちを全て撃破した我々は、なおいっそうと栄華を極めるだろう!」
礼拝者たちを介して、国王クリストフェルにも伝達がいった。
クリストフェルは、戦果を自国の騎士団によるものだとして謳い上げた。
これにより、王都はますます威光を放ち、人間たちが悪魔を下したという風聞が世界各地に広まれば、他種族への牽制となる。
剣舞祭をまたもや妨害されたことは、残念ではある。しかし、王都の威光が各国に知れ渡ったことは、大きなプラスである。
加えて、全ての来客たちに補填が行き届いたこと、悪魔の犠牲となった六名の遺族への慰謝料も払い、諸々の対応にようやくの目途がついた。
あと、やらねばならぬことはいうと……。
「はあ……やはり、息抜きは温泉に限る」
シグは面倒な思慮も放棄して、肩までどっぷり湯につかった。
温泉とは、いいものだ。
この湯の中にいれば、何もかもが洗い流されていく。
ぽけーっと夜空を眺めながら、温泉に身を委ねる時間があってもいいだろう。
しかも、今日の宿は完全に貸し切り。
万全を期したこの状態なら、誰であっても俺の邪魔は――。
「シーグ!」
「……」
「ねえ、シグ! ねえ、ねえ、どうして無視をするの!」
覇王の頭に乗り、ぺちぺちと顔を叩いている少女アスターは、悪魔である。
ただし、人間と敵対していた悪魔ではない。
ホワイトコールで長年と虐げられてきた種族――サキュバスだ。
彼女たちサキュバスは、闘争本能が皆無である。
だからこうして、シグともフレンドリーに会話しているのだが、しかしアスター
には大きな問題があった。
「……この宿は、貸し切りにしているはずだが」
「うん! 扉に、『人間立ち入り禁止』って書いてあったね!」
「では」
「でも、アスターは人間じゃないもん! ほらほら、サキュバスなんだもん♪」
「……」
シグの前で、ふんと腰に手を当てているアスターは、全裸である。
身長はエルガードたちくらい。見た目も女の子なのだが、尻尾が生えていたり、小さな羽が生えていたりと、悪魔の名残が窺える。
黒髪のボブ、小さな黒角が二本に、赤目の瞳。わくわくと、効果音が聞こえてきそうな笑顔を終始浮かべていて、見た目よりも幼く見える。
二日前、シグがホワイトコールの大魔堂、その地下牢で保護した少女だ。
シグは、アスターの救世主さまである。とびっきり懐いてしまうのも仕方ない。
「ねえ、シグ? ほら見て、尻尾だよ!」
シグは視線を逸らしている。
すまし顔を取り繕っているが、いまにも動悸不全で死んでしまいそうなほど、童帝には過激なシチュエーションだった。
「よいか、アスター」
「うん! アスターだね!」
「淑女には、品格が問われる」
「処女? ……あっ、アスターは処女だね!」
「しゅ、く、じょ、だ! ええい、うずまき管が壊れているのか!?」
「それじゃあね! シグは、アスターと交尾する?」
「は??」
「果物とか、穀物ばっかりで飽きちゃった! ねえ、ねえ、シグ。シグの生気を、吸わせてよ!」
少女は恥じらいもなく、シグの顔を自分の慎ましい胸へと埋めた。
アスターの問題とは、これだ。
どうもサキュバスという種族は、闘争本能がない代わりに、三大欲求……特に性欲がべらぼうに強い。いや、性欲というより、生殖か。そういったことをするのが当たり前であり、彼女たちの欲求でもあった。
ホワイトコールに残っている悪魔の九割がサキュバスであり、彼女たちを統治する王として、シグはアスターになお慕われているのである。
「よいか、アスター」
「うん、アスターだね!」
「俺たち人間は、誰とでもそういったことをしないのだ」
「なんで、なんで?」
なんでと聞かれても、シグには難しい話である。
そもそも彼は、千年以上も恋愛経験がない。
「ふっ……恋は優しさの調べ。愛は永遠の歌。君と奏でる旋律、心に響く。手を取り共に歩む夢の彼方へと、遥かなる未来へと愛を託して……」
そんな意味不明なことを口にしても、アスターの欲望は誤魔化せない。
「じゃあ、交尾しよ♪」
そうしてシグは、うがああああと目を剥いて発狂した。
「ええい、ダメだと言っておるだろう! 愛を誓った相手でないと、いけないと言っているのだ!」
「じゃあ、アスターは誓うよ! シグ、好き!」
「……」
「ねえ、ねえ、シグ、好き!」
瞳にハートマークを浮かべながら、はあはあと息を荒げているアスター。
「よいか、アスター。俺はな……」
「なんでダメなの? シグは、童貞なの?」
ピシリと、シグの尊厳に罅が入ったような音が鳴った。
「い、いいいいいいいや、童貞じゃないが?」
「じゃあ、いいじゃん! ほら、ほら、いますぐしよ♪」
「待て、アスター。これには、正統な手続きを踏まえて――」
そこでシグは、はたと冷静になって振り返った。
千年以上も生きてきたのに、童帝というのは、格好がつかない。
二つの大陸を統べる覇者としても、未経験というのはどうなんだ?
『え? 童貞なんですか? ……残念です、見損ないました』
耳をすませば、エルガードのそんな声が聞こえてくる。
勿論ただの幻聴だ。
しかし
……が、アスターは少女、自分も少年。
年齢的に考えても、いささか憚られるものがあるわけで――。
「わたしも、混ぜていただきましょうか」
ピシャリと、豪快に扉を開けて入ってきた金髪のエルフさま。
「……エルガードよ、ここは立ち入り禁止では」
「エルフなので。人間限定ですよね」
なぜだか、ちょっぴり怒った様子のエルガード。
思わず気圧されたシグは何も言えず、三人での混浴に。
「あ、エルガードだ!」
「二日ぶりですね、アスター」
「うん、アスターだね!」
ふふんと、好戦的な笑みを見せるアスター。
「く……っ!」
対抗するようにエルガードもタオルを取っ払い、己の身体美を見せつける。
「この通りです。わたしには勝てませんよ、アスター」
いったい二人が、なにで勝負をしているのかは、知る由もない。
シグは瞳を閉ざし、王たる風格のまま瞑想している。
勿論、ただの強がりである。
「わあ……エルガード、意外と大きいんだね!」
「着やせする骨格ですので」
「でもでも、アスターも寄せたら、それくらいあるもん!」
「ふふん、大人しく負けを認めなさい、アスター」
ぐぐぐと唸りながら、アスターはふんっと胸を張る。
「でも、アスターのお肌の方が、もちもち、すべすべ!」
「いいえ、わたしも負けていませんよ。この色艶と、ハリが見えますか?」
「ふっふーん♪ アスターには、尻尾があるもんね~♪」
「尻尾? そんなものが、どう役に立つと?」
「ここの先っちょは、敏感なんだ! だからほら、シグ、持ってみて!」
「なぜ、そこで俺に飛び火する!?」
「だって、尻尾をこう、こすこすするとね? アスターが、気持ちいいんだもん!」
「……エルガード、アスターを連行しろ」
「直ちに」
「ええーっ!! なんでぇー!!?」
どたばたと二人が騒がしく退場していくと、今度はまた別の少女が。
「シルフィア、温泉では礼儀正しくしてくださいね」
『分かってるわよ! 平泳ぎしかしちゃいけないのよね!』
「……」
『なによエレスティア、「泳ぐことが間違ってる」って? 水がある場所には、泳ぐのが筋でしょ』
「本当に、今年で一四歳ですか? シルフィアの育ちが知れます」
『あーっ! セレンが、言っちゃいけないことを言ったぁ!』
三人の監視者たちは、湯に入ろうとしたところで、「あっ」と言葉が漏れた。
「し、シグさま! お背中お流しします!」
『ちょっと、セレン!? それ、抜け駆けじゃないの!』
「……」
『ほら、エレスティアも「そうだ、そうだ!」って!』
「黙りなさい、貧乳ども」
『あっ、あんたも貧乳でしょうがぁ!?』
「違いますよね、シグさま。ほら、どうぞ気の向くままにご査収ください」
そして新たに、浴場に現れた五人の巡礼者たちと、聖女のエルフさま。
「……完全個室の温泉を作るべきでは?」
シグのそんな独り言は、少女たちの喧騒に埋もれて消えた。
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