第40話 傲慢の魔女ディアナ・イーゲルフェルト
赤髪の悪魔リザリオンは、久方ぶりの昂揚感を味わっていた。
「アビゲイルから聞いている。お前は、千年前の生き残り。あの大罪のエルフ、イーゲルフェルトの娘だと」
白と紫の長髪をなびかせながら、ディアナは三日月刀を振り抜く。
ここは都市の噴水広場。市民たちの避難は済んでおり、人影は見えない。
相手は幹部と見られる大悪魔、リザリオン。
燃えるように逆立った赤髪と、深紅の双眸を持っている。背丈も長身のディアナより更に高い。魔力量は、あの三体の内で二番目。都市の人間全てが束になってもカスに思えるくらい、規格外の魔力を保有している。
「お前は、大戦を経験した覚えは?」
リザリオンは顎に手をやって、空を見眺めた。
「ない。ないが、戦いがあったことだけは知っている。俺たちの同胞は下等種共を蹂躙せんと、カスケーロや、アーキシティを侵略した。……羨ましい。俺はその頃、まだ子供だった。……まったく、これまで退屈な日々を過ごした」
となると、ディアナとリザリオンは同年齢か、同世代か。
奇しくも二人は同じ境遇で、戦場に旅立つ父母の背中を見届けてきた。
「お前たち、三体全員がそうなのか?」
「いいや、フィームは新顔だ。五〇〇年程度しか生きていない。アビゲイルは、二千年近く生きているがな」
「まさか……大戦の、生き残りか!?」
ディアナの驚愕を、リザリオンは心地よさそうに
「アビゲイルが、俺たちの頭だ。知っての通り、世界には四つの戦勝大陸が存在するが、その内のひとつ、俺たちホワイトコールは、機兵の国アーキシティを壊滅させ、竜の地ウィングスレイドを蹂躙し、敵はことごとく根絶やしにした。あともう少しで、お前たちカスケーロも落ちていただろう」
「だが、私の父と母が、幾多の大悪魔を討った。自らの命と、引き換えにな」
リザリオンから漂う気色が、興味から殺気に切り替わった。
しかしディアナには、まだ殺し合うつもりはない。
ここでまた闘争を繰り返しては、何の意義もないだろうと。
「お前たち悪魔は、我らの同胞を殺した。だが、それはこちらも同じことだ。復讐に終わりはなく、どこかで折り合いをつけねばならない」
リザリオンから溢れ出ていた殺気が、嘘のように晴れていった。
ディアナに同意したのではない。
愕然としたあまり、戦うことを忘れていたのだ。
「は? ……復讐、折り合い? 何を言っている?」
今度は、ディアナが呆然と無理解に陥った。
リザリオンは、彼女が理解の外にいるのだと思い、自身の足元に目を向ける。
小さな虫が這っていた。それを踏み付けて、ディアナにこう言った。
「虫は、潰すだろ?」
「……は」
数秒遅れて、ディアナの脳内に結びついた、ひとつの確信。
伝承や記録にはあったが、やはり悪魔という種族は、そもそもの価値観が、致命的に破綻している。
「エルフと人間は、知能を持ち、感情も持っている。何をどう見ても、羽虫と同列には感じませんが」
「それはお前たちが、同じ羽虫だからだろ?」
「なるほど。お前たちと理解し合うのは、無駄な努力というわけか――」
ディアナが改めて構えに入ろうとした途端に、大気が爆裂した。
炎は線形に糸を結び、爆裂は連鎖して、飛び退けるディアナを追跡する。
実に卑劣な不意打ちだが、悪魔にとっては不意打ちではない。
人間が虫を潰しても、「不意打ちだ」なんて思わないように、悪魔はエルフや人間を突然殺すことを、自然的な動作と認識している。
だって、虫は潰すだろう? と。
「ほら、どう見ても羽虫じゃないか」
「くっ……この発生速度と威力、受け止めるのは無理があるか」
ディアナは回避に徹しながらも、魔法の分析を進めている。
基礎は炎を錬成する魔法。だが、大気中の酸素分子を魔法の起点とすることで、煩雑な属性魔法の魔法陣を省略している。この悪魔に掛かれば、大気そのものが魔法陣にもなり得る。酸素分子に練り込まれた魔力と属性条件を拡散させることで、瞬間的かつ簡略化された線形上の連鎖爆裂反応を引き起こしている――。
「ぼん」
「っ!!」
線形爆裂の網がディアナを包囲し、一帯をまとめて吹き飛ばした。
黒焦げた猛煙が上がる中で、きらりと光った〝月光〟に悪魔は反応する。
しかし、その真白い斬撃も炎に阻まれ、直撃には至らない。
「流石は、千年生きたエルフ。そう簡単には死なんか」
爆裂魔法は、ディアナを直撃していた。
しかし彼女の身に宿る途方もない魔力が、ダメージの大半をカットしていた。
「出たな。〝傲慢〟の魔女、ディアナ・イーゲルフェルト」
リザリオンが悪魔なら、ディアナは天使か。
白い長髪は両翼となり、黄金の双眸は丸い月を思わせる。
思い上がるほどに全ステータスを引き上げる、傲慢の権能。
その強化に、天井はない。
「
三日月刀を振り翳し、幾重もの〝月光〟を浴びせるディアナ。
だが、炎の障壁に阻まれて、一つとして直撃はしない。
彼女が瞬間移動じみた速攻で接近戦を仕掛けたところで、ディアはまたもや爆炎に包まれる。感知式の発動魔法だ。原理としては罠に近い。
それでもディアナは、満身を魔力で強化している。微々たるダメージなど、知ったことではない。炎を受けて、相手を斬る。肉を切らせて骨を断つ作戦だ。
「な――っ!!?」
ディアナの刃は、リザリオンの心臓を突き刺した。
その刹那、リザリオンという炎の分身体は発火して、また爆炎を上げる。
「基本的に、悪魔は氷を好むのだが、俺は炎が好きだ。見ろ、綺麗だろ? それに殺した遺体は、骨も残らない。芸術的かつ、効率的だ」
ディアナはリザリオンへと突貫するが、またしても分身だ。
炎の幻影でしかない偽りのリザリオンを攻撃する度に、ディアナは猛烈な爆風と劫火に焼き尽くされる。リザリオンが増殖しているわけではない。この場に見えているリザリオンは、一体だけだ。悪魔の分身を潰したら、どこからともなく、新たな分身が湧いて出てくる。ディアナの知識にはない、未知の魔法だ。
「ク、ソ……」
やがてディアナは、どさりと地面に倒れ込んだ。
リザリオンは彼女の頭を踏み締めて、この愉悦に酔いしれる。
「ふふふっ、無様なものだな。あちらも、ちょうど終わったところか……空から、雪が降ってきたぞ。フィームのやつめ、下等種相手に本気を出したか」
饒舌に語りながら、リザリオンはディアナの頭部を蹴り転がしていく。
「俺の霊魂はまだ、器と同期し切っていない。にもかかわらず、この有様か。存在価値のない虫と等しく、貴様ら下等種に意味はない。ないなら燃やす。徹底的に淘汰する。最後に立っている者は、俺たち、大悪魔なのだと――」
ディアナは、リザリオンの足首を掴み取った。
「捕まえた」
あえてリザリオンの嗜虐心を煽り続けて、奴の本体を引きずり出す。
これが、ディアナの考えていた必勝法だった。
「だから、どうしたと? 羽虫風情が、顔を上げるな」
リザリオンの情け容赦のない獄炎が、ディアナの総身を焼き尽くす。皮膚は焦げ、煙が立ち、肉が罅割れていく中でも、聖女の気概は燃え尽きていない。
「負け、ない」
その生意気な宣誓に、リザリオンは一段と激昂した。
「死ね――死ねェ!!! 気色の悪いエルフめ、この俺に逆らうな!!」
幾度となく燃やされ、爆炎に身を苛まれようとも、彼女には至上の命題がある。
「負け、ない……」
「クソ……こいつ……っ!」
朦朧とした意識の中で、ディアナは己が罪を思い返す。
大陸の救世主になろうと、幾千もの同胞を殺した自分が、どうしてこんなところで負けられようか。毎朝、同胞たちの慰霊碑に通い詰めようと、その胸に懐く大罪は、露聊かも晴れていかない。
「バカが……さっさと、死ね!!! 何もかも分からない焼け炭と化して、大地のシミとなるがいい!!」
目を閉じて、耳を澄ませば、亡きエルフたちからの怨嗟が聞こえてくる。
許さない。絶対に、お前を許さない。
……これは、呪いだ。己が望んで進んだ、大罪の道だ。
贖い切れるなどとは、履き違えていない。
自分は死後もなお、彼女たちに呪われて然るべき大罪人だろう。
だからこそ、自分はまだ死ぬわけにはいかない。
殺してしまった同胞たちの分まで、しかと生き抜き、そして愛おしきカスケーロの大地を守り抜くのだ。
幾千年と超えた果てで、この身が完全に朽ち果ててしまう、その瞬間まで。
「私は……負けない!!!」
「っ!!?」
ディアナを覆い尽くしていた烈火も、猛煙も、なお灼然と輝く渺茫な魔力によって吹き飛ばされる。
まだ、自分は負けていない。まだ、この心は吼えている。
彼女が宿す罪の力〝傲慢〟が、その気迫に応じた分だけ新たなる魔力を獲得する。
天を衝くほど熾烈に迸る魔力は、果たしてリザリオンの幾倍あろうか。
「チッ……この忌々しい、大罪の魔女がァっ!!」
リザリオンは姿を見えなくしたが、依然としてディアナは彼の胸倉を掴んでいる。
悪魔は、消えていたのではない。不可視にしていただけだったのだ。
炎は、可視光を発する火の粒子や粒子の塊で構成されており、それによって光が発生する。リザリオンはこれに発想を得て、〝非光性の炎〟を生み出していた。
光を発しない炎を纏うことで、あたかも姿を消したように錯覚させる。
瞬間移動や座標移動などの、超常現象を引き起こしていたわけではない。
だからいま、ディアナに
「ま、待て! 俺の器は、人間だぞ!? こ、こいつを、殺すというのか!?」
分かっている。そして、元に戻す方法も分からない。しかし、
「先ほど、貴様は〝同期〟といったな。この器を塵芥と化してしまえば、本体にもダメージが及ぶはずだ」
「あり得ない……何をしている、人間を、守るのだろ!!? それでも、貴様は――」
ディアナは全身全霊を懸けて、究極無比の一撃を掛け放つ。
「月夜極光」
三日月刀から振り下ろされた一筋の光が、カスケーロの地上へと舞い降りた。
それは天上の雪雲さえも一蹴し、大地に異なる領域の日差しを灯す。
人々の不安も、憂懼も、あらゆる邪悪も、まとめて照らし払うほどの煌々たる一撃は、誰が見たって即死に値すると分かるだろう。
「良かった……これで、私は、まだ……」
だから、リザリオンは霊魂の同期を中断した。ディアナの読み通りだった。
月夜極光は男を掠っただけで、損傷は与えていない。
ディアナには、はなから元の人間ごと殺すつもりはない。完璧なブラフだ。
ヴィンセントが右腕につけていたブレスレットは、リザリオンの同期の中断と共に破壊された。もう魂が侵食されてしまうことはないだろう。
「そうですね。――行きましょう、この罪の分だけ」
ディアナは安心したように胸を撫でおろして、また人助けに向かった。
この身に背負った罪を思えば、休んでいる暇などなかった。
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