第39話 剣鬼アイノ・フォーリン


「悪魔は殺すな! 意識を乗っ取られているが、元は人間だ! 拘束した個体は、表街道四番通りへと移送しろ! 青髪のエルフが、悪魔化を抑制している!」


 礼拝者たちから連絡を受けた国王クリストフェルが、騎士団長たちを統べる大団長、ベルント・ルンディーンへと指示を下し、彼は各騎士団長へと同様の命令を下していく。


 千あまりの礼拝者たちと、五千を超える全騎士団が協力し、市民たちを安全地帯に誘導、および悪魔たちを拘束していく。


 王都中に湧いた悪魔は、一八〇体まで増えた。戦況は劣勢。ただの騎士団ではまるで歯が立たない。大団長のベルントでようやく同格。礼拝者たちも手が回っていない。ブレイズハートとブルーウェイヴ、監視者たちがいなければ、犠牲者は膨れ上がっていただろう。


「ブルーウェイヴ! 悲嘆の領域は、あとどのくらい持つんだ!?」

「えっと……二〇分ちょっとかな! 人が増えて、どんどん拡張していってる。このままだと、長くはもたない!」


 市街に蔓延る悪魔の五割は、月光の監視者たちによって抑えられていた。


「あの、シルフィア! 乗っ取られているだけで、彼らは人間です! あまり乱暴はしないでください!」


『うっさいわねえ、セレン! 骨を折って、関節を外しただけでしょ!』


「……」


『エレスティア、「骨折や脱臼程度じゃあ、直ぐに回復する」。分かってるわよ。こうなったら、手足をもいじゃってもいいわよね!』


「だからあなたは貧乳なんですよ、シルフィア! 暴力はやめてください!」

『あっ、あんたも貧乳でしょうがぁ!!?』

「……」

『エレスティア、「いいから次を見せろ」って? ったく、仕方ないわね!』


 ぎゃあぎゃあと緊張感に欠けた彼女たちだが、しかと務めは果たしている。


「な、なんだ、空がっ!!?」


 市民たちは、やおら暗がりに覆われた空に首を向けた。

 王都の空だけが、夜空に包まれている。

 王都以外の空はまだ茜色で、紅と闇夜の境界線が発生している。


『〝闡明せんめい〟の権能――月詠つくよみ


 この王都全天に広がった夜は、全てがシルフィアの監視下だ。

 物事を見通し、看破する闡明の魔女に掛かれば、敵影の補足は造作もない。


『見えた! 次は表街道八番通り、それと六二番の裏路地! 王都郊外の下町、ウログ商店街前三六番地には、三体の悪魔が発生! 礼拝者と騎士団が協力してるけど、かなり劣勢だわ! 周囲の市民たちも、誘導できてない!』


「……」


 エレスティアは、口を開いた。

 二八本の歯には禁句を示す魔法陣が描かれ、舌と喉にも諫止の魔法陣が刻み込まれている。水色の瞳は朱色に染まり、エレスティアは己が権能を行使する。


「〝動くな〟」


 その瞬間、指定位置にある物体は停止した。

 礼拝者、騎士団、市民、悪魔に関わらず、ぴたりと動きが止まっている。

 束縛の魔女、エレスティアの権能である。


『セレン、通りに怪我人がいるわ!』

「分かっています! ここは私に!」


 セレンが腕を振り翳すと、その先にある人々の傷が塞がっていく。

 癒えているのではなく、時間を加速させているのだ。

 指定対象の時間軸を部分加速させる権能、刹那の魔女、セレンの神髄だ。

 損傷部だけの時空間を早めることにより、驚異の自己再生を得る。


 彼女たちが王都中を奔走して、被害を未然に防いでいく中、剣舞祭の闘技場では、強者たちによる決戦が始まろうとしていた。


「――さて。三対三は、趣味ではないが」


 銀髪の悪魔アビゲイルは、前の前に現れた三人を観察する。


 ひとりは〝剣鬼〟アイノ・フォーリン。人間離れした強さを持ち、その剣技は警戒に値する。魔力は三人の中で最も低いが、未知数の脅威を持っている。


 二人目は〝聖女〟ディアナ・イーゲルフェルト。千年前の大戦で、自分たち悪魔を壊滅させた、にっくきイーゲルフェルトの娘。大罪の権能は、勿論有しているだろう。魔力濃度も洒落にならない。


 三人目が、データにないエルフ。王都でもあまり姿を見せなかった、桃色頭。この場に立ったということは、どうせ大罪持ちだろう。魔力は、三人の中で最強。見た目は少女に過ぎないが、侮ったが最後……か。


「おー、分かってんじゃん。で? あんたらの中で、一番つええ奴は?」


 アイノが一歩前に躍り出るも、隣の聖女に制止させられた。


「人間では勝てない相手だ。あの銀髪は、私がやる」


 ディアナとアビゲイルの視線が交差し、一触即発の空気が流れる。


「なに、あたしの邪魔をすんの?」


 しかし、ここでアイノの殺意がディアナへと向けられる。


「魔力量を見ろ。お前の十数倍もある相手だ」


 ディアナの正確な洞察にも、アイノは気さくに笑い飛ばした。


「ははっ、魔力が全てじゃないっての! そんなことも分からないとか――あんた、ほんとに強いの?」


「六年前、王都を襲撃したのは私だ。私が創設した組織の幹部に、なすすべなかったのがお前、アイノ・フォーリン。さて、狂犬でも多少は理解できたか?」


「へえ……面白い。やっぱ、あんたとヤる。あいつらよりも、あんたの方が強そうだし」


 これに聞き捨てならないと顔を顰める、青髪の悪魔フィーム。


「はあ? おいおい、下等な虫けらが、誰にもの言ってんだ?」

「黙れ三下。口が悪いキャラってのはね、だいだい、序盤で死ぬのよ」

「お前も口が悪いじゃねーか!!」


「あたしは別。あたしは最強。態度もでかいし、おっぱいもでかい。剣の冴えは地上最強、ヤれるとしたら、オリヴィエくらいね。あの子は強い」


「てめぇ……頭が狂ってんのか?」

「で、ヤるの? ヤらないの? グダグダ言ってたら、たたっ斬るわよ」


 ひと足先に飛び上がって、会場の観客席へと出たローズウィスプ。


「こっち」


 その意気やよしと、アビゲイルは獲物を見定めた。


「俺が出る。後は好きにしろ」


 ローズウィスプとアビゲイルが闘技場を後にし、残る四人も動き出した。


「来い、女」

「どちらも女ですが」

「エルフの方……お前だ。三分で終わらせてやる」


 ディアナとリザリオンも離脱し、アイノとフィームが残された。


「あーあー……あたし、あの銀髪がよかったなあ」


 悪態をついているものの、アイノの口角は喜悦に綻んでいる。


 大悪魔の内の一体、フィーム。


 照り艶のある長い青髪は、風に靡いてさらさらと涼やかな音を奏でている。

 口は悪いが、やられ役のようなゴツイ顔つきはしていない。むしろ冷静、冷酷たる殺戮者の面持ちだ。背丈がずんと高く、青の双翼はその恵体を覆うほど大きく逞しい。総身から漏れ出す魔力は、低位の悪魔とは異なる濃度を誇っている。


「こう見えて、俺は優しいからよう。遺言くらいは、待ってやるぜ」


 アイノはくるりと背中を見せて、悠長に歩き出した。


「ふーん。じゃあ、あたしもこうして待ってやるよ。ほら、さっさと済ませな。好きなだけ、遺言をほざいとけ――」


 アイノの声は、絶大なる氷の束に封殺される。


「……死んだか」


 フィームがふっと息を吐いた瞬間、闘技場の左半分は氷塊に覆われた。


 普通、属性魔法を扱う時は魔法陣を錬成する。だが、省略は可能だ。


 要は魔法を発動するプロセスさえ合っていれば、その真価はつつがなく発揮される。今回、フィームは息の中に魔法の原理を練り込んだ。陣としての形を成していないだけで、息の中には属性的随伴作用素が含まれている。


 たった一拍もない内に生成された絶対零度の息吹によって、これだけの大気、大地を凍り付かせたのだ。反応は不可。迎撃など、出来る余地もないだろう。


「っ!!?」


 だが、その理合いも〝常人なら〟という大原則に限られる。


「レベル【C】線形反発式誘導魔力剣」


 剣を加速器として扱う〝剣鬼〟アイノは、一秒間で一二七度もの斬撃を浴びせた。だが、これを大翼でガードしていたフィーム。翼には切り傷ひとつとして付いていない。途方もない魔力だ。この翼は飾りではなく、物理攻撃に対して絶対的な強度を誇っている。


「ああ? てめぇ、どうやって反応した?」

「悠長に、お喋りしていていいの? ――あたし、もっとはやくなるわよ」

「……っ!」


 フィームは、死を予感して翼を閉じた。

 どういうことか、この女は毎秒ごとに加速していっている。

 剣だ。きっと剣と魔法を融合させた、何か面倒な技を行使している。


 三秒間で受けた斬撃は、千を超えた。だが、フィームにはむしろ余裕があった。

 これだけ複雑な魔法則を秘めた剣技だ。魔力の消費は、莫大だろう。

 見たところ、アイノの魔力量は、所詮人間。

 このままガードに徹していれば、勝手に自爆するのが見えている。


「そう……これだけじゃあ、足りないみたいね。それなら――」


 ぴたりと斬撃が止んだ。それもそのはず、続行すれば魔力が尽きる。

 ここでフィームの脳裏には、二つの選択肢が存在する。

 攻撃に転ずるか、相手の出方を窺うか。


 強者を相手にするのなら、棒立ちはあり得ない。殺してくれと言っているようなものだ。だが、所詮相手は人間。剣などという時代錯誤な代物で、何をどう怯える必要があると――。


「レベル【B】、局所可換性因果律」


 その一撃が来る前に、フィームの悪魔としての生存報告が告げる。

 避けろ、それは受けてはならない……と。


「くっ……何が、起きている!!?」


 翼を解放させて、思わず退いたフィーム。

 次の瞬間には、アイノの剣先が、大悪魔の皮膚を裂いていた。


 あり得ない。どうなっている。


 大悪魔の身体は、全身が法外の魔力の固まりだ。薄皮一枚とっても、そこには濃密な魔力が宿っている。ただの鉄の固まりが切り裂ける道理はなく、ましてや相手は人間だ。魔力量は何倍と違う。いくら強化しても、ダメージが通るはずもない。


「いや……その剣に渦巻いている、魔法の原理。まさか……」


 アイノは余裕の笑みを漂わせながら、剣にこびりついた青い血を払う。


「因果律と変換法則。あたしの刃は、命中したら〝絶対に〟斬られる。そこに物理的、魔力的な強度は関係がない」


 なんと恐るべきことかと、フィームはこの女への評価を覆した。


 一般的に、魔力曲面が存在する次元nでの関数は収束可能である。オリヴィエがやったように、無限連結の剣を生み出すことも出来る。未来への収束だ。


 アイノはこれに似た技術を用いている。局所可な面――剣の刃に対して、時空変換の魔力群を代入し、〝当たれば斬れる〟の絶対法則を編み出した。


「チッ……アビゲイルが言っていた。人間は知能が高い。急速に成長することが、脅威だと……」


「あら? お馬鹿な悪魔さんでは、剣技を習得できなかったみたねぇ?」


「認めよう。その複雑な工程を編み出し、唯一の〝剣技〟として昇華させる種族、人間……だが所詮は、小手先の努力よ! 俺たち悪魔には、絶対に敵わん!」


 フィームは、大悪魔としての神髄を発揮した。


「それは、ちょっと……予想以上ね」


 フィームが、引き出せる限りの魔力を放出した。

 空は雪雲に覆われて、カスケーロ大陸全域にかけて吹雪が舞い込む。

 大気温度も急激に低下し、呼吸をすれば白い息が上がる。

 小一時間も外にいれば、多くの市民が凍死するだろう。


「どわはははははははっ! 同期はまだ不十分だが、人間を殺す程度なら造作もあるまい! これが天地を氷に沈める超広域魔法、フローズンノヴァよ!!」


 フィームを撃破しようにも、彼を中心点として、半径五メートルは絶対零度の冷気が渦巻いている。斬る、斬らない以前に、接近すれば即死だろう。剣士では太刀打ちできない、攻防最強の大魔法だ。


「はあ……」


 アイノは、つくづく実感していた。


 最強の剣士にと大陸中を旅していたが、人間とその他種族では、ポテンシャルに絶対の差がある。自分たちが数年とかけてようやく開発した剣技も、バカみたいな魔力とアホじみた魔法で、全て台無しにされるのだ。


 六年前、自分は何もできないことに、悔しくて、最強の剣士を目指した。


 最強の剣士……にはなっただろう。あの金髪とは、結局、一度も刃を交えていないが、自分も人類の代表格であることには間違いない。自信も実力もある。


 そして、今回の敵は悪魔ときたもんだ。いざ前にした絶対の魔法に、うんざりと辟易しながらも、アイノの胸は高鳴っていた。


 六年前とは違い、今度は、立ち向かうこともできるのだから。


「弱点は……どこ?」


 四肢が凍り付いていく中でも、アイノは冷静にフィームを見据える。

 どこか、絶対に弱点がある。

 そもそも奴は、人間だった。

 シルヴィア・エストホルムが、突如として大悪魔に変貌したのだ。


 だったら、そこには魔法か何か、起因となる触媒が存在する。

 じゃあ、フィームとシルヴィアを繋ぐ、弱点はどこに?

 ……分からない。ていうか、雪が邪魔。吹雪で見えない。


「まあ、いっか。ここまで来たら……最後まで、ヤるしかないわよね!」


 アイノは、コンマ一秒の僅かな間に、全ての魔力を放出させた。


「レベル【A】、極点」


 女剣士の総身から溢れる魔力の奔流は、人の身の領域を超えている。

 人の脳は、身体が傷つかないように筋肉の力にリミッターを掛けている。生死を分ける危機的状況でもなければ、この制限は絶対に外れないとされている。


 それと同じように、アイノは制限された魔力を解き放ったのだ。


 瞬間的に全魔力を消費することで、リミッターを解除する。脳の認識をバグらせた力技だ。本来は引き出せない、予備の魔力すらも解放させる。その絶大なる魔力を己の剣に注ぎ込むことで、刃は当然、粉砕する。いくら魔力伝導率の高い鉄でも、耐えられるわけがない。


 だが、刃が砕けてしまう寸前――そのたった一瞬の間には、確かにアイノの全魔力が刃全体に稠密ちゅうみつ集合している。


 その一瞬は、まさに魔力と剣の〝極点〟。


 割れ砕けるまでの刹那の間、アイノの剣は、人の理を超越した魔力を帯びる。


「――」


 何万回と鍛錬で振り下ろしてきたように、華麗な一刀を振り翳すアイノ。

 縦に振り下ろされた直剣は、フィームの魔力ごと絶対零度の冷気を弾き飛ばす。


 活路が、一直線に空いた。


 直線状は完全なる真空となり、その空間に身を預けると、後方から舞い込む気流の嵐が、アイノの身体を風と共に悪魔の元へと運び抜く。


 まだ〝極点〟は生きている。しかし、身体は満身創痍だ。


 リミッターを無理に外したことで、全身の関節は悲鳴を上げ、剣を振る腕にも罅割れ音が鳴った。血管や骨が、どれだけ損傷したか分からない。


 それでもいまアイノの目には、些末な痛みなどではなく、倒すべき敵だけが見えている。


「貴様!! いったい、どれだけの修練を積み重ねて、そんな次元に――」


 弱点は、分からない。


 分からないが、それに、何の問題があるのだろうか?


「ああっはは……なんだ、ちゃんと倒せんじゃねえか」


 アイノが通り過ぎたと同時に、フィームの満身には千を超える切り傷がついた。

 どこに悪魔と少女を繋ぐ弱点があるのかなど、全て斬れば、関係のない話だ。

 悪魔の右腕につけられていたブレスレットも割れ、悪魔は少女の姿に戻る。


「ここまで、か」


 闘技場から悪魔は消え失せ、至高の剣士も雪の上に倒れ込んだ。

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