第37話 始動。


「あれ? わたし……どうして」


 金髪のエルフは、外から聞こえる大歓声で目を覚ました。

 カーテンを開けると、早朝にしては強い日差しがエルガードの起床を歓迎する。

 時刻は……一五時。

 任務に忠実なエルガードにしてはらしくもない、大寝坊だった。


「起きたか、エルガード」

「シルバーレイン」


 組織専用のホテルから街に出ると、銀髪のエルフと遭遇した。

 巡礼者たちも、表ではただの一般市民を装っている。


 エルガードの服装はフリルのあしらわれたブラウスにスカート、シルバーレインはお腹が見える短めのタンクトップにスウェットパンツである。


「ごめん。わたしが寝坊しちゃうなんて」

「気にするな。疲れているのなら、休んだ方がいい」

「シグ……あのお方は?」


「最優先任務だ。少し間、王都には戻ってこないだろう。ブレイズハート、ブルーウェイヴ、ローズウィスプ、月光の監視者たちも既に配置されている」


「王都は、わたしたちに任されたということね。それはいいのだけど……」


 エルガードは昨晩のことを思い出すが、特に疲れていたわけではない。

 無性に眠くなって、口にできないほど甘い妄想の世界にいた。

 シグが、どこまでも自分を愛でてくれる世界線――。

 夢の中でも、これは夢だと分かるくらいで、エルガードは何度か目を覚ました。

 その度に夢の世界へと逃げて、気付いたら昼を過ぎていた。


「何かあった?」

「色々あったさ。共有する、こっちで話そう」


 エルガードは昨晩の事件を耳にして、まさかと目を眇めた。


「青い幽鬼……それも、礼拝者の子たちが敵わないくらいの強さだなんて」

「セレンやシルフィア、エレスティアなら余裕で撃破できるだろう」


「でも、下部組織じゃ太刀打ちできない。少なくとも、月光の監視者たち……とまではいかなくても、それよりちょっと劣るくらいには」


「叩き上げが必要だな。あるいは、礼拝者の中から精鋭を引き抜いて、新組織を創設するのも手かもしれない」


「それは、あのお方がセレンたちでやったでしょ。……でも、無理もないのかもしれない。わたしたちが強くなれたのは、あの方のおかげ。直接、力を分け与えられていない子たちは、なかなか」


「一般的に、エルフ自体は戦闘能力に乏しいからな。自力で罪の権能を覚醒させるには……おっと、そろそろ始まるな」


 波濤のごとく歓声が鳴り渡ったところ、剣舞祭の第二部は、準決勝を迎えている。

 準決勝一回戦は、オリヴィエ・エルランデル対シルヴィア・エストホルム。

 剣聖と名高いシグの姉と、ルーキーの王女の対決だ。


「シルヴィア? 誰だ?」

「ほら、あれよ。あのお方に付き纏っていた」

「エルガードとかいう、あざとい金髪エルフのことか?」


 すると当事者である少女は、ムッと隣を睨みながら。


「あら、どうだったかしらね。シルバーレインとかいう、銀髪のエルフかもしれないわ」


「残念ながら、私には付き纏った覚えがないが?」

「この間、素性を隠しているあのお方の宿に忍び込もうとしていたじゃない」

「……なぜ、それを知っている?」

「いいから、何をしようとしていたのか教えなさい」

「夜這いだが?」

「なら、仕方ないわね」

「で、なぜそれを知っている?」

「わたしも、夜這いしようとしていたところだから」

「同じ穴の狢だな」

「同じ穴の狢ね」


 ふっとお互いに不敵の笑みを浮かべながら、バチバチと熱い視線を交差させる。


「でもね、シルバーレイン。いくら割れた腹筋を見せたいからって、その服装は、はしたないと思うの」


「かくいうエルガードは、やたら盛っている・・・・・ようだが? 流石にそれは、パッドを詰めすぎだろう」


 待っていましたとばかりに、エルガードは胸を張った。

 揺れるだけの質量はあるそれに、シルバーレインは「くっ」と歯噛む。


「残念ね、シルバーレイン。わたしは毎日、乳製品を取っていたから、巡礼者の中でも発育がいいの。ほら、ほら、羨ましい?」


「くっ……いや、誤差ではないか! 私と、そこまでの大差は――」


「悔しい? ふふっ、ねえ、ねえ、悔しい? あなたが腹筋を頑張っている間に、わたしは胸筋を鍛えていたの。――胸の谷間、それは星の海、闇夜に浮かぶ光り輝く宝石にも優る、愛の囁き。ふふっ、勝利の瞬間は、直ぐそこね」


「甘いな、エルガード。所詮お前は、二番手・・・だ。胸にだけやたら脂肪が一番いったのは、ローズウィスプ。あれには勝てんだろう、違うか?」


 今度はエルガードが、悔しそうに「くっ」とのけぞる。


「あ……あれは、例外よ! 第一、ローズはわたしと同い年じゃ――」


「そ、れ、に、く、ら、べ、て。私の腹筋は、どうだ? ふふっ……シックスパックだぞ? 綺麗に、六枚に割れている」


「ふっ、腹筋が割れていたって、何の意味もないじゃない!」


「そう思うだろう? だが、どうしてか。最近、あのお方からの視線を、ひしひしと感じるのだ。――腹筋の割れ目、それは大地の断層、鉛のような強さを持ち、隆起する曲線が、恋の旋律を飾り立てる。ふふっ……私の勝利も、近いな」


「そ、そんなわけ……っ」

「二番よりも一番がいい。誰だってそう思う、あのお方のようにな」


「で、でも、負けるわけない! わっ、わたしはあのお方から、プレゼントを貰ったんだから!」


「なにっ!!? そんな、バカな……なんだと!!?」


 エルガードの右腕には、青いブレスレットがきらりと輝いている。最近王都で流行っている、祈願具チャームという装飾品だ。


 二人の意地の張り合いは続き、お互いに息を荒げて睨み合った。

 そんな無意味な静寂を切ったのは、わあっと湧いた声援。

 二人が言い合っている内に、準決勝が開始された。


「……青髪の少女、シルヴィアか。オリヴィエさまには敵うまい」

「そうね。いまは〝大調和の剣神〟なんて崇められているくらいだもん」


 恋のバトルは一時停戦ということで、エルフの二人は席に着いた。

 観戦者たちの中では、非公式の賭け事も行われている。

 オッズの割合は、オリヴィエが9で、シルヴィアが1。

 逆張りしている者以外は、皆がオリヴィエの勝利を確信している。


「――シルヴィア・エストホルム。シグの、元カノだったわよね」


 オリヴィエがひとりでに呟いた。

 闘技場の反対側には、青髪の少女が佇んでいる。

 あちらもやる気だ。


「オリヴィエ・エルランデル。一六歳にして、将来の騎士団長と噂されている、天才の剣豪……」


 容姿端麗、文武両道、学園随一の剣聖かつ美少女と名高いオリヴィエは、木偶ではない超強敵だ。

 それでもいま、シルヴィアは自信ありげに睨み据えている。


「……」


 試合はもう始まっている。

 オリヴィエは様子を窺っていて、雑な速攻は仕掛けてこない。

 この準決勝の舞台に立っている以上、シルヴィアも強敵だ。

 一三歳のルーキーとはみなさず、オリヴィエは彼女の出方に注視している。


「実力が拮抗している場合は、先に仕掛けた方が不利。――ですが」


 シルヴィアはまず一撃、足元を盛大に斬り払った。


「見ろ、エルガード」

「ええ……目くらましね」


 砂粒と共に土煙が吹き上がり、シルヴィアを中心に辺りは砂塵に呑まれた。

 さらにシルヴィアは、魔力を練り上げて剣風けんぷうを巻き起こす。

 砂嵐はオリヴィエにも吹きかかり、全面が視界不良に覆われる。

 いまだ。

 この気流に身を委ねて突貫すれば、不自然な風の流れもない。

 逆に、オリヴィエが動こうとすればどこかで風が乱れる。

 そのほんの僅かな異変を感じ取れるほど、シルヴィアは魔力をもって、知覚を研ぎ澄ませている。


 未だ仁王立ちのオリヴィエ――まったく気付いていない、獲った!


「なっ!!?」


 オリヴィエは、前を向いたまま、背後からの一撃を受け止めた。

 人差し指と中指で、いとも容易く白刃取りしている。

 さらに、オリヴィエの指先から魔力を流し込まれて、刃が粉砕された。

 瞬間的に、刃部へと振動した連接層の魔力を流し込むことで、疲労破壊を引き起こしたのだ。


「くっ……化け物ですね。それなら、私も全力で!」


 刃が破壊されていようと、新たに生み出せばいいだけの話だ。

 シルヴィアは魔力で刃を錬成し、五体も最大限に強化した。

 青髪の少女は、笑っている。

 腕力も、脚力も、動体視力も人を超えた領域に達したいま、次の一撃を防ぐには、さしものオリヴィエも仁王立ちではすまないだろうと、確かな勝機をもって。


「地形を利用する。剣を生み出す。武器と身体を強化する。それらの基礎は、出来ているのね。――でもその程度じゃあ、〝剣技〟とは言えない」


 砂嵐が去った後も、オリヴィエは悠長に棒立ちしたままだ。

 こんな絶好のチャンス、逃すわけがない。


「どう、して……どうして、反応できるの!? クソ……だったら、これでも!」


 大気を割る勢いで駆け出した一撃も、怒涛乱舞の剣撃も、オリヴィエはまるで未来予想でもしているかのように受け止めている。シルヴィアが左手に、新たな魔力剣を錬成して、二刀の構えで攻め続ける。だが、全てが〝収束〟する。


 防いでいる……いや、シルヴィアの剣は、オリヴィエの剣に吸い込まれている。


「エルガード、あれはどういうことだ?」


「大調和の剣神とは、いったものね。あんな複雑な剣技は、初めて目にした」


 シルヴィアは、一心不乱に剣を振る。

 ある時は死角から、またある時は砂地を生かした不意打ちを。

 だけど、どんな攻撃であっても、オリヴィエの剣に重なってしまう。


「【無限連結の剣】。彼女の剣は、常に同相同軸。剣を振り下ろす前から、既に未来が決定されている」


「なに……すまん、分かりやすく説明してくれないか?」


 エルガードは、足元に落ちていたパンフレットを拾う。

 それをくるくる丸めて、完全に閉じた筒を作った。


「たとえばこの紙。境界を持たない二次元曲面は、完全に続いているわよね」

「まあ、ぴったり重なっているな」


 エルガードは、次は魔力で、三次元の局面の筒を作った。


「この三次元曲面は?」

「閉じて、いるな」


「そう。これらと一緒。どんな次元であっても、閉じた境界が同相同軸に存在する限り、連続的に引き絞れば、必ず収束する」


「いや、確かに、それは古典的な事実だが――っ!!?」


「オリヴィエさまは、これを剣技に応用しているの。魔力におけるn次元曲面をフィールド一帯に展開し、単連結な未来を、多次元予想としてひとつの剣に収束させた。あの舞台に立ったが最後……シルヴィアの剣は、絶対にオリヴィエさまに直撃しない。それがどんな攻撃であれ、必ず重なってしまう・・・・・・・


 シルバーレインは絶句した。


 自分も剣の腕前には自信があったが、オリヴィエの剣技は、もはや異能の域だ。

 魔法を根底の原理から理解し、複雑に過ぎる剣と魔法の理論構築をした結果、唯一無二の剣技【無限連結の剣】を会得した。


 見よう見まねでは決してできない、究極の剣技だ。


「だが!! 完全に閉じているのなら、オリヴィエさまも攻撃は――」


閉じているのは・・・・・・・、オリヴィエさまなの。その境界をいつ開くのかは、オリヴィエさまのみが決定できる」


 シルヴィアの剣撃を全て受け切った挙句、得物を粉砕され、峰打ちで叩き伏せたオリヴィエ。


 強い……いや、強すぎる。圧倒的な魔力を手にして、一級剣士に昇級したシルヴィアでさえ、歯が立たない。


 でも、負けるわけにはいかない。


『敗者になど眼中にない。負け犬だ。失敗作だ。存在する価値のない凡夫は、誰の記憶にも残らない。勝ち上がり、名を上げることこそが、人間としての価値なのだよ』


 シルヴィアは今一度、自分の使命を思い出した。


 兄は本気で、この世は力しかないと言っていた。その他は無価値で、何の意味もないと。そんな彼を、慕ってくれる者は誰もいない……いや、ひとりだけいた。自分以外に愛されていない兄を変えるためには、ここで乗り越えるしかないんだ。


 オリヴィエ・エルランデルを倒して、兄に認めてもらって、その兄すらも超える剣士になって……家族みんなで、また笑っていられる日々を取り戻したい。


 だから、私は――もっと、力を……。


『力が、欲しいか?』


 暗闇の意識の中で、シルヴィアは確かに声を聞いた。

 初めて耳にする、低い男の声だった。


「誰……誰なの?」

『力が欲しければ、こっちにこい。あの少女だって、俺なら殺すことが出来る』


 次に目を開けた時、シルヴィアは、吹雪の大地に立たされていた。

 それは先日に見た、悪夢の再現だった。

 どこまでも続く雪原の世界で、温かい何かが、彼方で待っている。


『そうだ……こっちだ。魂を委ねろ、シルヴィア』


 何者かが、呼んでいる。

 力がほしいと思えば思うほど、身体はひどく凍て付いて、あの灯りを欲しがってしまう。温かくなりたい……幸せになりたい。力が欲しい。権力が欲しい。


『何をしている、シルヴィア?』


 ――そんな我欲を必死に押し殺して、シルヴィアは傲然と右腕を払った。


「いらない。私は……やっぱり、力なんていらない」

『なに? 兄を超えるのでは、なかったのか?』


「そう……絶対に、命を懸けてでも超えたい相手。だけど、その力に溺れた末路が、私のお兄さまなの。お兄さまを取り戻すためにも……同じ道を歩むわけには、決していかない!」


 高らかと宣誓した直後、シルヴィアの意識は現実に戻った。


「あれ? ……私は」


 目の前ではオリヴィエが手を差しだし、自分は地面に倒れ込んでいる。


「いい戦いだった。ありがとう、シルヴィア」


 そうか、自分は負けたのか……。

 胸の底から込み上げてくる悔しさを認めながら、シルヴィアは彼女の手を取る。


「こちらこそ、ありがとうございました。オリヴィエさま」


 ズルをして、仮初の力を手にしても、仕方がないんだ。

 シルヴィアは深く反省して、これからは真っ当に努力していこうと決意する。

 まずは、この右腕のブレスレットを外すところからだ。

 祈願具だか何だか知らないが、こんなものに頼って強くなってはいけない。

 コツコツと、地道に研鑽を積み重ねて――。


「……え?」


 悲しくも、そんな少女の清らかな決意など、悪魔は汲んでくれなかった。


「お、オリヴィエさま!!? え……どうして、違う、私は!!」


 シルヴィアは、己の左腕とオリヴィエを、幾度となく見比べた。

 魔力剣を錬成し、空いた左手で、オリヴィエの腹部を突き刺した。

 勿論殺気もない状態で、握手からの不意打ちだ。

 いかに剣聖たるオリヴィエでも、反応することはできなかった。


『下らん。下らなさすぎるぞ。もういい……戯れの時は、終わりだ!』


 男の声が轟き渡り、シルヴィアや観客たちが、一斉に頭を抑え込む。

 割れそうなほどの頭痛に苛まれ、ひとり、またひとりと意識を失った。

 倒れた者の皮膚は青く染まり、頭髪も、皮膚も、絶望の青に塗り潰された。


「出たな、青い幽鬼だ! エルガード、いますぐ迎撃に――」


 シルバーレインは、この時、初めて地上で死を予感した。

 隣にいた金髪のエルフも、青のエルフへと変貌していた。

 よりにもよって、巡礼者最強の彼女が、敵の手駒に落ちてしまっていた。

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