第36話 悪魔たちの気の向くままに。


「つっまみっ食い、つっまみっ食い!」


 意気揚々と深夜の王都に身を乗り出しているアイノは、この間の死闘で、味を占めてしまった。


 深夜の王都では、思わぬ強敵との巡り合わせがある。

 命を懸けた戦いこそが、アイノの求める生き甲斐であり、剣鬼たる由縁だ。

 ぶっ殺し、ぶっ殺されるギリギリの命の綱渡り状態が、堪らなく楽しい。

 そんな物騒な欲望を懐いていたアイノは、王都の守衛と出くわした。


「アイノさま? なぜ、このような場所に……」


 困惑する守衛を引き連れながら、アイノは上機嫌に鼻を鳴らす。


「つまみ食いをしにきたの」

「お夜食……でしょうか?」

「そうね! この前、なかなかにイケるお夜食があったの!」

「でしたら、お屋敷のメイドに、なにか手配を……」

「ううん、ダメね。アレ・・は、あたしのだから」

「アレ、とは?」


「見たら分かる。さっきから、ぷんぷん匂ってんのよ。獣みたいに、研ぎ澄まされている、殺気と闘気……ヤリたくて仕方ないって、誘われてんのよ」


「は、はあ……」


 裏路地を右に左にと練り歩いた先、それ・・は本当にいた。


「ひっ……な、なんですか、この……青色の、人間?」


 頭髪から足の末端まで、青色に塗り潰された人――いや、鬼?


 皮膚には不自然に脈打っている野太い欠陥が浮き上がり、深青の双眸は瞳孔が開いている。殺人鬼めいた熱のある吐息と、満身から迸る規格外の魔力――。


「あんた……剣舞祭の、出場選手じゃないわよね? まさか、ただの一般人?」

「オ……オ、ォ……」


 やつは、明確に殺意に満ち溢れた眼光でアイノを睨み据えた。

 ふふんと、喜ばし気に剣柄へと手を掛けるアイノ。

 この化け物がなんであれ、殺し合いができるのなら、一切合切がどうでもいい。


「お、お逃げください、アイノさま! こ、こここここは、私が引き受けます!」

「え?」


 アイノの前に立ち塞がった守衛は、まあ、見事な覚悟である。


「う、ううううう、うわぁっ!」


 が、遂に牙を剥いて飛び掛かってきた奴に、守衛はぺたんと尻餅をついた。

 殺される――。

 脳裏に死が過った守衛だったが、彼が肉塊と化してしまうことはなかった。


「はあ? 今度は、何?」


 守衛の前に立っているのは、黒いローブを纏った少女だ。

 奴が振り翳す鋭爪に対して、少女は剣で迎え撃っている。

 おぞましいことに、ただの爪や牙が、魔力で強化された剣をも粉砕している。


「チッ――ミリア、応戦しなさい!」


 彼女が呼び掛けると、どこからともなく、同じ衣装の少女たちが参戦した。

 人数は一〇。

 一人一人が、王都の騎士団精鋭クラスに匹敵する魔力を有している。

 だが、それでも青い幽鬼の前では雑魚も同然だった。


「そんな……魔力で強化しているのに、こんなに容易く……っ!」


 青の幽鬼が長く伸びた爪を払うだけで、彼女たちの剣は、ガラス細工も同然に割れ砕けていく。


「クソ、ダメだ! 私たちじゃ、敵わない!」

「こんな化け物……いったい、どこから」

「応援だ、応援を呼べ!!」

「いや、これだけの強敵なら、巡礼者さまたちをお呼びするしか……」

「しかし、あのお方たちのお手を煩わせるわけには……あ、ぐっ!」


 情報と指示と死闘が飛び交う中で、守衛はひいいいぃと逃げ出し、アイノは呑気に傍観している。


「あいつ……前のもそうだったけど、暗い何かを欲している。暗い魂だから、暗い場所に惹かれてんの? んー……いまいち、よく分かんないんだけど、さ」


 幽鬼が少女たちを吹き飛ばし、さらに前後、左右の通路から、新たな奴らが現れた。計五体にも及ぶ怪物が、少女たちへと襲い掛かる。


「ねえ、剣技って知ってる?」

「っ!!?」


 しかし、鋭利な爪や牙などの脅威を、一瞬のうちにして弾き返したアイノ。

 月光も入り込まぬほどの暗闇の中で、紫紺の瞳を炯々と輝かせている彼女は、奴らよりもよほど〝鬼〟に見える。抑える気もない闘争本能が、沸々と魔力として溢れ出ている。


「かつてそれは、単に剣の腕前を指していたの。まだ、剣技も魔法も発展していない時代だったから。――でも、この六年であたしたちは、飛躍的に技術を向上させた。戦いのための、殺しの技術さ」


 幽鬼たちの爪と牙は粉砕され、地面に転がっている剣を手に取った。

 欠けた刃部には、己の魔力を注ぎ込んで魔力剣として作り替えた。

 そんな怪物らしからぬ知能と技術を見せる奴らに、アイノはまた笑った。


「そう――いまの剣技は、魔力を駆使することが当たり前。ただ動きが速いだけとか、魔力を込めるだけじゃ三流。属性魔法のエンチャントも、古いわよね。自分なりに見出した、剣と魔法の融合……オリジナルを踏まえてこそ、剣技は光り輝くの」


 アイノは弄ぶように、幽鬼たちの剣を粉砕していく。

 蹴り飛ばし、殴り飛ばし、また魔力剣を生成して立ち向かってくるこのいまを心地よさそうにたのしみながら。


「六年前、あたしは何もできなかった。シルバー……何とかと、月光の……何とかが戦っているところを、見ていることしかできなかった。いや、目で捉えることすらできなかった。悔しくて、死ぬほど努力して、あたしなりに磨き上げた、〝到達点〟」


 アイノは、自身の肉体と剣にエンチャントを施した。

 それがどんな原理で、どんな魔法で、何を目論んでいるのかは知る由もない。

 幽鬼たちはこの戦いに終止符を打たんと、一斉に駆け出した。


「レベル【C】、線形反発式誘導魔力剣」


 ヒュウと、慎ましい微風が裏路地に吹き抜けた。

 特に、幽鬼たちに変化はない。無傷のままだ。

 これを下らぬ威嚇だと見て取った奴らは、脇目もふらずに飛び掛かっていく。

 あとほんの僅かな時間さえあれば、アイノに手が届く。その瞬間だった。


「え? 気付いてないんだ? ……もう、とっくに死んでるのに・・・・・・・・・・


 幽鬼たちは、小間切れ肉のようにバラバラになった。

 あまりにも瞬殺過ぎて、死ぬ方が遅れたのだ・・・・・・・・・

 そんな惨めな死にざまを見届けて、笑いをかみ殺しているアイノ。

 なかなか、いまのは濡れた・・・

 この命を懸けた闘争こそが、自分の生き甲斐であると確信しながら。


「遅かったか……」


 決着がついた後、建物の屋上には、少女たちを統べる王が君臨した。


「すみません。巡礼者さまを、お呼びしようとしたのですが」


 エルフの少女ミリアが、申し訳なさそうに目を伏せる。


「問題ない。結果として、俺が到着する方が早かったようだ。もう少し、早く来れる予定だったが、姉を振り切るのに手間取った」


「その……えっと、物的証拠はないのですが、さっき、確かにあの男たちと戦っていたのです。青い肌で、青い瞳で、私たちよりも遥かに上回る魔力を持っていて……」


「青い幽鬼、か……」


 俄かに信じ難いのは、死体は既に、青くはないということ。

 四散した肉片には、人らしい部位が見られて、魔力量も普通だ。

 生物は死後、体内に残っている魔力を全て放出する特性がある。例外はない。


 それに照らし合わせると、死体から漏れ出している魔力は、お世辞にも強いとは言えない。ろくに鍛錬もしてこなかった、平民のそれだ。


「傀儡、いや、憑依……未知の魔法か? それはともかくとして、彼女が、犯人だったとはな……」


 アイノ・フォーリン。

 次期王位継承者の彼女が、こんな街中で辻切とは。冗談にしても笑えない。


「いえ、アイノさまは、私たちを助けてくれたのです」

「……青い幽鬼か」

「すみません。本当に、さっきまでは、いたのですが……」

「疑っているつもりはない。俺は、お前たちを信頼している」

「っ! もったいないお言葉です、主さま」

「急いで分析を進めろ。死体たちの中に、共通する点があるはずだ」

「はい、直ちに」


 深夜で起きた戦いとは別に、シグには予想外な事柄があった。


「見当が外れていた。よもや、ここまで成長しているとはな」


 以前も既に剣豪級ではあったが、アイノはこの六年で破格に強くなった。


 線形反発式誘導魔力剣――彼女と剣の間には、複雑に織り交ぜられた機構の魔力回路パスが通っている。


 魔力の粒α、これを複素多様体とすると、全ての回路上に存在するモルフォ類は、αの複素部分多様体のシーラ類の有理数係数の線形結合となる。これに相反する魔力の粒βを流し込み、断続的に魔力同士を反発させる。


 要は、無限加速装置だ。


 アイノは剣を加速装置とすることで、常人では認識できない領域の、斬撃や疾駆を可能とさせた。魔力の消耗は激しいが、理論上では無限に加速可能。青い幽鬼たちも、あれにやられた。


 六年前、シルバーレインと教会の幹部の激戦を前に、彼女は悟ったのだろう。

 まずは、速さ。速さがないことには、舞台に立つことすらできないと。


「主よ、なにか面倒が起きたようだな」


 シルバーレインに続き、ブレイズハート、ブルーウェイヴ、ローズウィスプも到着した。


「既に片付いたが、深層は闇の中だ」

「じゃあ、その闇ごとぶっ潰しちまおうぜ!」

「ダメだよ、ハートちゃん。ちゃんと、ひとつずつ進めないと……」

「えーっ! だって、そっちの方が面倒くせえじゃん!」

「ハートは、いつになっても変わらないね」

「そういうローズだって! いや……変わってたな、クソ……」

「ハートちゃんも、もうちょっと大人になろうよう……」

「うるせえ、ブルーウェイヴ! あたしは、あたしのままでいいんだ!」


 彼女たちの能天気さよりも、シグはこの場に欠けているひとりが、珍しく姿を見せないことに気がいった。


「エルガードは、どうした?」

「ふむ……そうだな。普通、こういう時こそ、真っ先に駆けつけるだろう」


 シルバーレインも解せないように眉を顰めた。


「いや、いいんだ。エルガードが引き受けている任務は、あまりにも多い。疲労が溜まっているのかもしれん」

「ぐっすり眠れているといいな」

「あたしは、いつもぐっすりだぜ!」

「ハートちゃん、自己主張が激しいよう……」

「いんや! ブルーウェイヴも、このくらい強気でいるべきだね!」

「――それで、今後はどうしますか」


 ローズが会話を軌道修正した。


「二週間前に、同様な事件があった。その時の犯人も、アイノだろう。だが、問題はそこではない。この王都で、何が起きているのか。おかしな魔力反応は、感じ取れない。俺たちの知らない、新たなる脅威だろう」


「じゃあ、あたしらの出番ってことだな!」


 ブレイズハートの進言は、シグの首を縦に振らせた。


「そろそろ、何者かが動き出す頃合いだろう。シルバーレイン、ブレイズハート、ブルーウェイヴ、ローズウィスプ。俺たちの脅威となる者は、なんであれ排除しろ」


 巡礼者たちがシグに忠誠を誓う中で、遠い冬の大地では、異なる決意が表明されていた。


「そろそろだな。明日は、剣舞祭の第二部。今日よりも、更なる動員が見込めるはずだ。そこを逆手に取り、愚かな民衆どもを含め、人間もエルフも虐殺する」


 ――冬と闇の大陸、ホワイトコール、深層、都市アイスヴェイル。


 静かな声量ながら、青髪男の語調は浮ついている。

 人々の破滅を待ちきれない邪悪さが、口の端にも滲み出ている。


「逸るな、フィーム。確実に、最も被害が大きくなる時合いを待て。狙うのなら、第一部ではないか?」


 銀髪の男が、感情のこもっていない声音で言った。


「しかしアビゲイルよ。例のアレは? 六年前に、傲慢の魔女、ディアナ・イーゲルフェルトを下した男だ」


 赤髪の男も淡々とした語調で、視線は円卓の資料に向いている。


「リザリオン。それは、少年ではなかったか」

「どっちでもいい。あの領域になると、変成魔法でいくらでも化けれる」

「それもそうだな」

「アビゲイルは、どっちなんだ? 明日か、明後日か?」

「明後日の第一部だと言ったであろう」

「けっ、それじゃあまた様子見かよ」


「そう拗ねるな、フィーム。この間にも、手駒は増えていっている。思わぬほど、至高の駒が手に入ってしまったが……今宵は、五体が撃破された。また明日にでも、補充するとしよう」


 青髪のフィームは、円卓の上で足を組んでいる。不貞腐れた子供のそれだ。


「はぁーあ。つっまんねえの。第一、そこまで警戒する相手なのか? 人間とエルフの大陸、カスケーロ……つったか。もうよぅ、聞くからに弱そうなんだが」


「人間は雑魚だな。見るに値しない。そう思っていたのだが……」


 銀髪の悪魔アビゲイルは、円卓の中央に映し出された、黒差しの少女を睨む。


「また、この女だ。今回は、五対一でも勝てなかった」


 赤髪の悪魔リザリオンも、感心したように顎に手をやる。


「人間……知能が高く、成長速度が売りだそうだな」


「ああ。奴らは長くても、一〇〇年以内には死ぬ。早い個体なら六〇年ほど。だから三〇歳前後には子供を作り、その子供も三〇歳前後に子供を作る」


「げっ! ゴキブリみてえじゃねーか! 気色悪い!」


「そうだな。我々悪魔は、千年は優に生きる。生殖機能を持ってはいるが、そこまで子供に興味はない」


「なあアビゲイル。たった数十年で死ぬゴミが、どうやって成長すんだよ」

「さあな。意思の強さやら、鍛錬のどうとかで、一気に強くなるらしい」

「馬鹿馬鹿しい。よし決めた、そんな下等種族は、この俺が淘汰させる」


「そう簡単にいけばいいがな。見ろ、フィーム。この……アイノ・フォーリンと言ったか。剣舞祭、第一部に出場する女だ」


「……ほんとだな。下位の悪魔とはいえ、五対一でこの余裕か」


「おそらく、雑魚なら束になっても勝てんだろう。いい剣と魔法を持っている。独自に開発した、オリジナルか」


「だったら、なおさら待った方がいい。二部を見届けることで、人間共の戦力も知れる。若い戦士の総戦力で、全体の戦力も推し量れよう」


「ああ、そのつもりだリザリオン」


 月が沈んでいく中で、悪しき者たちの魔の手が、王都全域に伸びる。

 その時が来るまで、あと少しだろう。

 三体の悪魔たちは、人間たちの嘆きを思い浮かべながら、ただ座して待った。

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