第33話 忍び寄る青い影。
「よう、兄貴! 随分と、久しぶりじゃねえか!」
ラッセ・オールソン。26歳。
恐らく彼は、シグの配下の中でも超がつくほどの、ザ・凡夫・オブ・凡夫なのだが、むしろこの冴えない青年は、シグにとって馴染みやすかった。
「なんだ? お疲れモードなのかよ?」
いつもの冴えない青年に姿を変えているシグ。彼は、目の前の凡夫を見据えながら、はあっと肩を落とした。
「実は、目が疲れていてな」
「はあっ? 視力検査でもしていたのかよ」
「ある意味そうかもしれないな。如何せん、俺の周りには美人が多すぎる。その分、お前は優しいぞ、ラッセ。お前くらいの容姿が、いまはちょうどいい」
「ふふふっ! このラッセ・オールソンも、特大のイケメンだからな! 美人を見慣れた兄貴にとっちゃあ、俺もよく映えるだろう?」
「ああ、そうだな」
シグは彼の顔面偏差値が中の下……いや、下の上くらいであることに安心していたのだが、あえてそんな無粋は言わないことにした。
いやはや、本当に美人しかいない生活というのも、困ったものだ。常に目がチカチカするし、童帝のシグにはなお気疲れする。この一〇年で、慣れたと言えばまあ慣れたのだが、たまにはこういう凡夫を挟むと、とても心が落ち着く。そうして、またエルガードやオリヴィエや仲間たちの面を拝むのだ。
「そっちで、何か怪しい動きは?」
「いんや、特に掴めてないね。むしろ、不気味なくらい平穏そのもの」
「だと、いいがな」
六年前に、教会からシグたちに鞍替えしたラッセは、裏方役として務めを果たしている。王都で起きたあらゆる事件は、守衛たちよりもまず彼ら〝参列者〟に連絡がいき、大陸外の使者による犯行ではないかどうかを精査される。
問題なければ、一般事件として処理される。いまのところ、未知の敵による、謎の事件などは確認されていない。その他、監視者たちの資料作成等も、彼ら参列者が行っている。かいつまんで言えば、雑務処理係だ。
「まったく、旧国王さまが死んで、いいことばっかだぜ。治安は良くなったし、面のいいエルフは増えるし、飯も断然、上手くなった」
「こうして、屋台で飲み食いできる程度にはな」
「あーあ、もっと早くあのジジイが死んでくれればな。俺に彼女が出来なかったのも、俺のちんこがちいせえのも、母ちゃんの飯がマズかったのも、全部あのジジイのせいだ」
「そうだな、とは言い難いな」
「だが、近いうちに俺の恋は成就する! ほら、王都の表街道四番通りで、毎朝、お花を売っているエルフちゃんがいるだろ? 通りかかると、いらっしゃませって、これがけなげで可愛いんだ! ふふっ……プロポーズは、二週間後かな」
「……」
そのエルフには覚えがあり、シグの下部組織、礼拝者たるエルフのひとりだ。
表はお花屋さん、裏は治安維持の必殺仕事人であるわけだが、シグはこの凡夫が、必殺されてしまわないか、少しだけ心配である。
「勝算はあるのか? ないのなら、やめておいたほうが利口だぞ」
「チッチッチ、甘いな兄貴。俺には、この
ラッセは、右腕に着けている青いブレスレットを見せつけた。
ここ数年で、王都を中心に、人々のファッションセンスも上がってきた。
かつて男はチュニック(長いトップス)とホーゼン(ズボン)が主流だったが、いまはスーツにパンツ、ジャケットのモダンなスタイルが広まっている。
女性は芋臭いサーコート(ロングドレス)ではなく、最近では膝丈のルネサンス様式も広まっている。胸や肩を露出するようなドレスも少なくない。
「そして、今度はアクセサリーときたか。民草が身なりを気にするようになったのは、暮らしの改善の結果ともいえよう」
「まあ、チャームは単なるオシャレじゃねえんだがな」
「どういうことだ?」
「言っただろ、後利益があるって。このチャームで俺は、ミリアちゃんと結ばれるんだ!」
「……どこの世界も、パワーストーンなるものは信じているのだな。俺の世界でも、そういう信仰は流行っていた」
「ん? 兄貴の世界って?」
「気にするな。大した話ではない」
シグはテーブルに十分な額の硬貨を預けて、ひとり先に席を立った。
「いくらか肩が軽くなった。また、その呑気な面を見せてもらうぞ」
「おうよ! 次は、ミリアちゃんも同伴でお願いするぜ! で、できれば、すげえ豪華なレストランとかでさ!」
「お前に恋人が出来た暁には、幾らでももてなしやろう。出来たら、の話だがな」
それからラッセは屋台の店主と、男の大事な部分の毛を剃っておくかどうか、ヒゲは整えておくかそのままにしておくか、下らない話で盛り上がっていた。
あの呑気な笑顔に、明日は失恋の涙が滴っているかと思えば、それはそれで、面白くもある。シグは彼の結末を、後の楽しみとして取っておくことにした。
♰
「剣舞祭が近いんだけど……なーんか、やる気がでないわよねー」
国王クリストフェルの愛娘、アイノ・フォーリンは深夜の王都を徘徊していた。
剣舞祭まで二週間を切ったというのに、いまいちモチベーションが上がらない。
王都随一の〝剣聖〟なんていきった誉れを預かっている少女、オリヴィエ・エルランデルは、第二部から出場する。二部では、彼女が無双して終わるだろう。見るべきところもない。
「あたしも、満一八歳のはずなんだけど、どうして二部で出れないんだか。あーあー……あたしも、二部で出たかったなあ……」
アイノ・フォーリンは、王都魔剣学園の高等部三年生だ。
彼女は全ての講義を〝出席免除〟されており、単位も全て付与されている。
王女だからといって、忖度されているわけではない。
むしろ、彼女は人間として、あまりにも〝強すぎた〟わけだ。
王都はアイノ・フォーリンの比類なき剣技を危惧して、第二部ではなく、第一部として剣舞祭に出場させることを決定した。そうでなければ、一方的な虐殺になりかねないからだ。
「二部には、オリヴィエもいるし、クラースもいる。でも、一部に強い剣士なんているの? この六年間、世界各地を走り回って、ご当地の自称強者と戦ってきたけど、どいつもこいつも、カス以下の雑魚ばっかだ」
アイノがなびかせる黒髪には月光が反射し、色白な肌にも絹のような艶が浮かび上がる。この六年でアイノの顔容はいっそうと美を増し、かつてはオリヴィエやエルガードのように、美少女の代名詞として扱われることもあった。
が、アイノは口が悪すぎる。ほとんど学園に姿を見せないこともあって、学園の何大美少女には、含まれなくなったのである。
「これが、第一部出場選手のリストだって?」
アイノは王女特権で入手した、出場選手がまとめられた資料を、一瞥しては捨てていく。
「カス、カス、カス……カス! こいつも……カス! こっちは、あたしがこの前、しばいたやつじゃん! たしか、全裸になって許してくれって、土下座してきたんだっけ? ダメだな、ちんこがちっせえと、剣技もちいせえ。次は……」
王女とは思えない罵詈雑言の嵐だが、その邪悪な口はぴたりと止まった。
「ザッシュ・クズカ? ……無名の貴族、クズカ家に生まれて、今回、初出場。クズカ家とは絶縁状態にあり、いままで各地を遊び回っていた。こんな雑魚が、どうしてエントリーできているわけ?」
まともな研鑽を積んでいないのであれば、それはつまり天才だということ。
実態はシグだからなのだが、これに興が乗ったアイノは、足の向きを変える。
「ちょっと、近くだし寄ってみよっか! つまみ食い……じゃなくて、下調べくらいは、してもいいでしょ!」
近道しようと、下町の裏路地へと入っていったアイノ。
「ちっ……ち、ちち、ち、力……力、力、力、力……力を、もっと……」
「……はあ?」
頭からつま先まで、青一色に染まった男が、ふらふらと夢遊病めいた足取りで彷徨っている。腰には剣を佩いていて、胸には特徴的な徽章をつけている。
「ちょっ、あんた、ダニエル男爵家のディック? あたしがこの間、しばいたやつじゃん! なに? ちんこ小さいとか言われて、怒ってんの?」
ディックはぐるりと首を巡らせて、剣を抜いた。
「……ちょっと、それさ、冗談だったら笑えないわよ」
アイノの忠告も無視して、ディックは剣を深く持ち構えた。
そうして獣じみた吐息を漏らしながら、猪突猛進に地を蹴り上げる。
「力を――寄こせェッ!!!」
ディックが繰り出した疾駆と斬撃は、それだけで大気を唸らせるものだった。
旋風が巻き上がり、確かな殺意を帯びた白刃が、幾重にも振り下ろされる。
火花と刃鳴りが熾烈に交差し、剣戟は高速のあまり残像を映し出している。
「へええ……なに? この前のは、本気じゃなかったわけ?」
だが、それらを正確無比に打ち払うアイノ。
濛々と魔力が立ち込めるディックの猛攻を、冷や汗ひとつ流さずに受け切っている。その口角には余裕すら滲み、目尻には愉悦の微笑を湛えている。
「力を……力、おおおおおおおおおおおおおおぉォッ!!!」
ディックがなお釈然とした魔力で切り払い、強引にアイノとの距離を開ける。
「分かってるぜ……その後に一閃、だろ?」
距離を開けたと見せかけての、速攻。
これをも予測していたアイノは、ディックの横一文字を容易く受け切る。
ディックはアイノを通り過ぎ、反対の裏路地まで走破した。
「いいねえ、なかなかの
油断と言うべきか、いや予想の範疇外と言うべきか。
突如として、地面から青い炎が爆裂的に上がった。
ディックが地面に剣先を走らせていたのは、このためだろう。地表に己の魔力を仕込んで、時間差で爆裂させたのだ。さらに、
「寄こせえええええええええええええええええェッ!!!」
この隙に、頭上を取っていたディック。
彼はアイノの真上から降り掛かり、その首を刎ねんと剣を振るう。
「ガ――ッ!!?」
しかし、結局のところ、それらの策も〝剣鬼〟には通じなかったわけだ。
「撤回するよ。ちんこが小さくても、強い男はいるってわけか」
アイノは、一刀でディックを両断した。
相手が命を獲りに来ているのなら、それはもう、死闘の領域だ。
情けをかける必要もなく、むしろこれは彼への栄誉なのだと、アイノは死をもってこの男を撃破した。
「しっかし、この前はクソ雑魚だったのになぁー。剣舞祭のために、手の内を、隠していたのか……って、なんだ、こいつ?」
ディックの死体は、普通の人間に戻っていた。
肌も青くなければ、頭髪や瞳も、真っ青に染まっていない。
「……なんだ、こいつ?」
よく観察してみると、ディックは右腕に青いブレスレットを着けている。
チャームだ。
それはディックの死と共に、ピシッと亀裂が入り、壊れてしまった。
「んー……よく分かんねえけど、まあ、いいか。意外と、第一部にも強いやつがいるじゃねーか!」
はははっと磊落に笑いながら、剣鬼は満足して帰っていった。
幸か不幸か。
彼女たちの戦いは、誰にも観測されていなかった。
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