第20話 エルフの真実、二人の覇者。
「ああ……力が、漲る! 老いが、遠のく! これが、
玉座の間にて、国王カシミールは嗄れた声で張り叫んでいた。
彼がいま手にしているのは、聖霊樹の
大樹をシンボルとしたアクセサリーが、真白く輝いている。
摘まんで持てる程度の大きさであるそれは、神々しく煌めいており、ただの装飾品ではないと分かる。
「
若返りという言葉を受けて、カシミールは歓喜に震えている。
彼の夢としていた、不老不死が現実のものとなったのだ。
(まあ、実態はただのステータス参照だ。若返っているわけでも、不死になるわけでもないのだがな)
真実を知っているのは、聖女ディアナだけだ。
愚かな老骨には、夢だけ見させてやればいい。
「ディアナ殿! 巡礼者たちの統率者を葬った暁には、この
「ああ、その認識で相違ない。だが……」
ディアナは、夕暮れに沈む空へと視線を移す。
暗黒の巡礼者、奴らのリーダーは、ヴィルゴッド・フィルディーンなる、長身白髪の男だったはずだ。
しかし、玉座の間に来たのは、シーグフリード・エルランデルだ。
子供とはいえ、破格の魔力を有していたが、結局、彼は何だったのだろうか。
シーグフリードが変成魔法で、ヴィルゴッドに化けていた?
殺した今となっては分からぬことだが、恐らくその線で合っているはず。
「……死んで、いるな」
人は死ぬと、全ての魔力を解き放つ。例外はない。
そしてシグの死体からは、だくだくと魔力が漏れ出している。
放っておけば、この一室に魔力の結晶体が生成されるほどおぞましい魔力量だ。
「いいでしょう、貴殿を教会の〝第五席〟として迎え入れます」
「ほっ、本当ですかな!」
「ちょうど、空きが出来ましたから。いかに覚醒者とはいえ、女の子相手には、勝ってほしいものでしたが……使えない奴らめ」
第一席から第三席の幹部が、エルフの少女たちによって撃破された。
さらに王都の暗殺部隊は壊滅し、教会の月の刃たちや、精鋭部隊も崩壊。
こんな老体を「同じ道を歩む仲間だ」などとは認めたくないが、深刻な人員不足に陥っている。いかに老いぼれとはいえ、
「それで……どうしてディアナさまは、エルフ狩りを?」
「……そうだな。貴殿には、真実を告げておく必要がある」
ディアナは振り返って、長髪を風に靡かせる。
その瞬間、彼女の特徴的な長耳が露わとなった。
「ディアナさま……なぜ、貴女はエルフなのに、エルフ狩りの指示を……」
「それは、エルフのルーツに起因しています」
代々として王をつとめた、ニクラス家ですら知り得ぬ真実。
カシミールは畏怖に口を噤みながら、ただ彼女の言葉を待った。
「幾重もの生命が誕生した、遥かなる太古の時代――エルフは、聖霊樹より生まれたとされています」
「聖霊樹とは、なんですかな?」
「最東端にある、タオウルの森、その周辺地域に群生している樹のことですね。エルフは森の聖霊であり、森の番人でもありました。緑豊かな地を守り通して、数を増やしていったとされています」
「されている、というのは?」
「私もそこそこ生きていますが、流石に太古の時代は知りません。古いエルフの間で、脈々と受け継がれてきたお話です」
この伝承は、いまは亡き父母から読み聞かせられた。
幼少期に、何度も耳にした童話の話を、ディアナはいまも覚えている。
「エル・フ。直訳すれば、神の子。緑を守る聖霊として、エルフたちは根を下ろしたとされています」
「しかしディアナさま。守護者というのなら、戦闘に秀でているはずでしょう」
「ご存知の通り、エルフは極めて戦闘力に乏しい。淘汰されてもおかしくない、弱小種族でした」
「それでは……矛盾しているのでは……」
皆が皆、聖霊の子であったのなら、エルフはとっくに滅んでいただろう。
だが、エルフたちの中には例外もいた。
「もうひとつ、エルフにはルーツが存在します」
「二つ目の、起源!? まあ……人間も、各地でルーツが異なりますから、おかしなことではありませんな……」
ディアナは空の奥深くに霞む月を、見眺める。
心なしか、あの月を見ると、どこか郷愁を懐いてしまう。
「月です。エルフは、月から降り立ったとされています。聖霊樹より生まれたエルフと、月の使者として降り立ったエルフ。どちらが正しく、あるいはどちらも間違っているのか、どちらもあり得るのかは分かりませんが、エルフの起源には、二つ存在するそうです。月より降り立ったエル・フは、悪魔の子。番人ではなく、戦闘種族として、〝罪〟の権能を有しています」
憤怒、悲嘆、暴食、冷酷、陶酔――。
巡礼者たちが覚醒させた権能のように、エルフにはその真価が宿っている。
あるいは月のエルフが強すぎたために、番人と呼ばれていたのかもしれない。
「権能は〝罪法〟とも呼ばれ、その罪に応じた異能を使役できます。元々、この星には存在しない力でしたから、魔法とは原理も異なります」
「それが……覚醒したエルフの真相。まるで、魔女のようですな」
魔女という醜き評価を、ディアナは首肯して認めた。
「よって、聖霊樹ではなく、月から降り立ったエルフたちには、罪の法が備わっています。特に、大罪の魔女は、破格に強い。魔女ひとりで、人の国など容易く滅亡させられる。しかし、魔法と、魔力に精通していなければ、権能を引き出すことはできない。……カスケーロ大陸に、剣の文化を根付かせるのは、骨が折れました」
歴史の真実を明かされて、カシミールは開いた口が塞がらなかった。
どうして汎用性のある魔法が探究されず、剣ばかりが広まっていったのか。
大昔、人が争いに使った剣の文化が根付いているだけかと思いきや、ディアナが統制していたのだ。現にカシミールも、魔法を研究する学者たちを、幾人と葬ってきた。裏で自分たちを指示していたのは、いつも月輪の正教会だった。
「確かに……それだけ凶悪な力を持っているのなら、エルフという種族ごと、根絶やしにしてしまうに限る! 樹のエルフも、月のエルフも、見た目では、判別つかない!」
「判別がつかないことは合っています。ですが、脅威だからといって、排除しているわけではありません。――月のエルフたちは、力を分け合っているのです」
ディアナはそっと刃を触れさせて、腕の薄皮を切る。
この一滴は、巡礼者の彼女たちも持っている、穢れた血だ。
「月のエルフたちは、力の総量を共有しています。同胞が死ねば、死ぬほど、生き残った個体が強くなる。淘汰の危機に瀕すると、むしろエルフたちは、異次元の強さを発揮していったのです」
ディアナは剣先を空中に向けて、伝承の記憶を投影した。
カスケーロ大陸、数多の生物の淘汰の危機は、およそ一千年前のこと。
大戦だ。
竜、吸血鬼、エルフ、スライム、オーガ、魔人、機兵、勇者、神獣、魔物。
世は動乱の時代にあり、この数年で、いったいどれだけの種族が滅んだのかも分からない。
飽くなき闘争は熾烈を極め、この大戦によって名を馳せた者は、時代を超えて讃えられるほどの英雄となった。
各種族に、最強がいた。種族の頂点を極めた者たちで、血で血を洗った。
カスケーロ大陸を守り通した英雄は、最強のエルフと名高い、二体のイーゲルフェルト。ディアナの、父と母だった。
「この時は、同胞もいまよりずっと少なかったですからね。力は、たった数体のエルフに集中し、歴史上、最も強い個体となった。カスケーロ大陸には、エルフと人間以外、目にすることがないでしょう? 誰も、入ってこようと思わないのですよ。私のお父さまと、お母さまが、幾万の敵勢を殲滅しましたから」
カシミールは、なぜ彼女が、エルフ狩りを行っているかの真相を掴んだ。
「なるほど……つまりこれは、ふるいにかけているわけですな! 大罪の魔女を教会に引き入れ、精鋭部隊を結成する! それにより、カスケーロ大陸の番人を、つとめようと――」
「違います。私以外のエルフを、狩り取るためです。月のエルフが、世界で私ひとりになれば、誰よりも強い魔女になれる。私が、全ての侵略者を葬るのです」
何と、傲慢な理想だろうか。
たったひとりで全てを背負おうとしているディアナは、エルフの身に許された業ではない。その責務は、孤独にして孤高。
だが彼女は、この血に塗れた道を行くのだと、父と母の背中を見て学んだ。
ディアナの父母は、死を賭して故郷を守り切ったのだから。
「大戦が終わって以降、平穏が長く続きました。他の大陸では、竜や悪魔、魔人に勇者、神獣や魔物が、動いているそうです。我々にも、時間がない。増えすぎたエルフを狩り取り、力を集約させる。後れを取れば、数え切れぬ屍と涙と、血と嘆きが、カスケーロ大陸を満たすでしょう。私は、その頃の地獄を知っている。また、繰り返すわけにはいかない」
有象無象では、敵わない。
たったひとつの〝最強〟を求めて、ディアナは同胞狩りに準じていた。
この時、カシミールが懐いた念は、畏怖と憧憬、拝謝と驚嘆。
ディアナが、自分たちを導く聖女に見えて、感涙の涙すら流していた。
「ほう……その身ひとつで、この世全ての罪を背負うと。貴様は、そう豪語しているのか?」
「無論、背負い切るまでです。少数の同胞たちは、犠牲となってしまいますが、数多の命を救い切れる。命の天秤皿は、目に見えて傾いています」
「たわけ! 神の如き〝秤ごと〟など、蒙昧に過ぎるわ! 誰が為に、戦う。何の
「っ……世迷言を。犠牲なき世界など、それこそ、自分を神とでも思い上がった、愚か者が考えることで――」
振り返った時に、ようやくディアナの目が覚めた。
そもそも自分は、誰に諫言されていたのだろうか?
先ほど殺したはずの七歳児が、仁王立ちで待ち構えていた。
「シーグフリード・エルランデル……殺したはずでは」
「魔力操作で、心臓をずらした。死後に見られる魔力の露出も、俺の魔力の一部に過ぎん。あの程度を〝膨大な魔力だ〟と思ったのなら、神の道を
ディアナは三日月刀を抜いて、旋風すら巻き起こる魔力と殺気を纏う。
「死んだふりは、情報を聞き出すためですか」
「その老体が、お仲間となったのだ。滑る口もあるだろう?」
この子供の相手は、私がする。
「獲った!!!」
そう思わせてからの、不意打ち――またしても気配を殺したカシミールが背後を取り、今度こそは首を刎ねんと剣を振るった。
「出張るな、道化」
が、シグの自動感知の魔力剣により、老体はこと切れた。
僅か一秒にも満たない瞬殺だった。
「よいか、エルフの長よ。なにが正義で、何が悪か。命の数を秤に乗せて、どちらを選択するか。そんなものは、〝王道〟ではない」
七歳男児とはいえ、明らかにシグは、子供ではない。
詳細は不明だが、〝何か〟を宿しているのだろう。
そう見て取ったディアナは、この弁舌に付き合うことにした。
カスケーロ大陸を統べる王として、この舌戦から逃げるわけにはいかない。
「知った風な口を。それは、命を背負っていないから言えることだ」
「否、背負ったことなら俺にもある」
「……七歳の、お前に?」
「悪く思うな、仔細は言えぬ。ただ、いまの貴様は、昔の俺を見ているようだ」
シグは、ヴィルゴッド・フィルディーンだった頃の、ダークファンタジー世界を思い出す。
前世では〝生の転換〟という、苛酷な大原則が敷かれていた。
生きていくためには、他者の命を狩り取らなければならない。
薪の火を、奪い合っていると例えたら正確か。
生きていく、異能を使う、装備を整える、大地を作る、生命を作る、子を産む。
ありとあらゆる事象に生命力を消費し、欲しければ殺すが当たり前。
そんな世界の中でも、ヴィルゴッドは調和を諦めなかった。
国を築き、法を定め、生命力を配給し、民草も暮らしていけるようにした。
最盛期には、彼の国には一〇〇万人が暮らしていた。
栄華だった。安寧だった。
誰も彼もが笑みを浮かべ、争いを知らない時代もあった。
――だが、何事も永遠には続かない。
もっと、もっとと、人は現状に満足してしまうと、どうしても我欲に駆られてしまう。生命力の略奪――殺人、謀反、反乱だ。
彼の莫大なる生命力を求めて、新たなる王になろうとした者たちがいた。
あらぬ噂を立てて、王を悪者にしようと謀った者もいた。
不公平だと、より多くの配給をせびる民草も湧いて出た。
その都度に、〝より多く〟が残る天秤皿を選択し、ヴィルゴッドは、最小の犠牲者を切り捨てた。世界を維持する機械になろうと、彼は自我のない天秤たれをつとめ果たした。
『ああ……終わったのか』
だが、その最期には、なにも残らなかった。
彼に残されたのは、無人に荒れ果てた王城だけだった。
「人には、感情がある」
「エルフにもあるぞ、七歳の王よ」
「〝より多く〟を選択するだけの機械に自我はなく、されば民草は、何の大志も懐きはしない。己の述懐を口にし、遥かなる大義を、己のためだけに謳い上げる。その威容に民草は惹かれ、我も、我もと、その背中に憧憬を見る。王が覇道を示してこそ、皆の歴史が始まるのだ。命を選別するだけの天秤たれ――それでは、誰も付いてこない。待っているのは、破滅だけだ」
幾度、やり直したいと思っただろうか。
王としての信念を見せなかったせいで、彼は、暗殺の対象とされた。
民も、臣下も、恐れていたのだ。
より多くの命を選別するだけの機械が王なら、いつ自分が〝少数〟に含められてしまうか分からない。疑念は決意に、決意は殺意に置き換わり、自我のない王には、日々、暗殺者が向けられた。その度に〝少数〟が切り捨てられ、国は恐怖で支配された。
人の心を持たないヴィルゴッドが、人を識ろうと改心した頃には、既に世界が滅んでいた。
「そんなもの……私は、機械でいい。信念ひとつで守り切れるほど、世界は甘くできていない」
言葉とは相反し、ディアナの語調には覇気がなかった。
「たとえ、その先が終焉だったとしてもか?」
「救い難き結末にはさせない。そのために、戦っているのです」
「否、守るべき者のために戦っているのだ。お前には全体が見えていても、個人がまるで見えていない。だから、手段が目的にすげ変わる」
「個人も守る。全て、守るさ。でなければ――」
「では、貴様の父と母は、同じようにしていたのか? 大戦のためにと、関係のない同胞を、無造作に狩り取っていたのか?」
ディアナに答えなど、導き出せるはずがない。
肯定という虚飾で答えれば、それは愛する父母への裏切りになる。
素直に否定してしまえば、いまの自分が間違っているのだと認めることに。
どちらの解答にも道はなく、されば聖女が取れる行動も限られていた。
「黙れ……お前に、私の覚悟は分からぬ! 誰が、何と言おうと――私は、全ての罪を背負い、この愛おしい大地を守るのだ!」
シグは王として、彼女への罰を見定めた。
「よかろう。なればこれより下すのは、断罪ではなく、蹂躙だ。その愚かな生き様が、どれだけ過っているのかを、完膚なきまでに知るがいい!」
シグが堂々とその場で佇立し、ディアナが異なる世界の王殺しに臨む。
双方から放たれる魔力の束が、王都の大地を底から揺すり上げ、王城には亀裂が走る。一撃、打ち合った衝撃で、王室の天井すら崩壊した。
罪を負うエルフの覇者と、破滅を知った幼き覇者の死闘が、幕を開けた。
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