第18話 悲嘆のブルーウェイヴ。
「はははははははっ! どうだ、果てしがないだろう! 俺の
王都の遥か上空では、ステラノアが、二人のエルフと対峙している。
劣勢に置かれているのは、ブレイズハートとブルーウェイヴ。
いくらブレイズハートが〝憤怒〟の力で滅しようが、ステラノアたちは、際限がない。パッと見ても、千体以上はいるだろう。
「っぜえなー……月、月、月ってさ。いまはまだ、昼間だろボケ」
ブレイズハートの愚痴は、内心の憤懣からきたものか。
いくら殴り飛ばしても、彼女ではステラノアたちを一掃することは難しい。
そして更なる不利は、ステラノアたちの攻撃手段にもある。
「くそ……飛び道具なんか、使いやがって!」
「引いてください、ハートちゃん! ハートちゃんとは、相性が悪いです!」
ステラノアの剣には、月光がエンチャントされている。
その月の刃は、光を飛ばすことができ、性質的には炎に近い。
月光の刃を浴びると、斬撃と炎上を同時に受ける。
斬り口からは真白い光がのぼり、その傷に治癒効果低減を付与する。
治癒魔法が効きづらい傷をいくつも受ければ、体力と魔力が削がれる。
そこに畳みかけるのは、無数のステラノアたちだ。
長期戦闘は、ステラノアの土俵と言える。
「ふっふっふ、醜いものだな。対して俺は、傷ひとつなく美しい」
「……チッ!」
ブレイズハートが殴り殺しにいくが、そのステラノアも分身だった。
「くっ……っそおおおおおおおおお!!」
ハートが怒り任せに特攻しても、数体の分身を殺せるだけ。
隙を突かれて、幾重もの月の刃がハートの満身を切り刻む。
出血がひどい。身体に力は入らず、魔力も消耗している。
だが、その目に宿る怒りは萎んでいない。
「ハートちゃん! 無暗にいっても、体力を消耗するだけです!」
「分かってるよ! だけど……我慢できないんだ。どうして、あたしは、こんなに弱い……また、あたしは負けるのか? あの日、何も守れなくて……悔しくて、許せなくて……やっと、強くなったはずなのに……あたしは……っ!」
ブレイズハートの脳裏に過るのは、奴隷として捕らえられる前の記憶。
彼女はタオウルの森ではなく、小さな人間の村で暮らしていた。森から逃げ出した生き残りで、父と母とはとっくの昔に生き別れている。
エルフといっても、耳を隠せば、エルフとは分かりづらい。
身寄りのない子供だからと、とある老いぼれが彼女の面倒を見ていた。
三年は、共に暮らしていただろう。ハートは老人に懐き、老人も愛娘のように可愛がった。だが、村に〝エルフの賞金〟の話が回ってくると、事態が一変した。
『前々から思っていたんだけど……あの、子供たちさ……』
『密告したら、一体につき、金貨一枚だよな』
『金貨!? この村じゃあ、一枚でも大金だぞ!?』
『よせ、よせ。もしもエルフじゃなかったら、どうする』
『逆に、エルフだったら、お前たちはどうするんだ?』
『それは……』
『じゃあ、ちょっと確かめてみようぜ。まずは、あの老いぼれの家を』
――ハートと爺には、二人だけの秘密があった。
四六時中、耳を隠せるはずもなく、寝ている時や、洗体を終えた後など、長い耳が現れる時がある。爺は、彼女がエルフであると気付いていた。
だが、それだけだ。
元気いっぱいの、可愛らしい愛娘であることには変わりない。
『スティナちゃん! 待って、速いよ……』
『あははっ! エレオノールは、いつも泣いてばっかりだな! ほら、置いていっちまうぞ!』
彼女には爺以外に、心を許している青髪の少女がいた。
青髪の少女も、森から生き延びた内の一人で、今は婆さんと暮らしている。
赤髪の少女と、青髪の少女は、たまに二人で遊びに出かける。
村人たちが農作に明け暮れている中、誰にも、人目につかない時に。
林の奥へと駆け抜けて、大自然に身を置いている時、二人はとても胸が安らぐ。
エルフだからだろうか?
何でもいいし、どうでもいい。
ただ、この平穏に幸せを感じて、二人で将来の夢を語り合う時もあった。
爺さんのために、おばあちゃんのために、恩返しがしたいんだ。
二人の目標は同じところにあって、この村を支えていこうと誓った。
少女らしく、純朴で、清廉な夢だった。
『えっ? ……爺さん?』
だが、村に戻った時、その夢は炎に焼かれて消えた。
『そんな……おばあちゃん! いやです……おばあちゃん、おばあちゃん!』
二人が暮らしていた家は、燃やされていた。
白と金のローブを纏い、渦巻く月の仮面をつけている男たちに。
「負けたくないんだ……負けられないんだ。あたしとブルーウェイヴは、あいつらに全てを奪われた! 爺さんと、婆さんを殺されて、家も燃やされて、わたしたちは、奴隷にされた! だから、教会の手先は、全員ぶち殺して――」
いったい、どんな因果だろうか。
ハートが赤裸々に明かした過去は、ステラノアに覚えがあった。
「ふっ……ふ、ふはっ、ふはははっ……ふははははははは!! ――お前、
ステラノアが爆笑を轟かせる一方で、ハートの面貌には鬼めいた青筋が浮かび上がる。
「お前……まさか、あたしたちの家を焼いた……」
「いかにも!! この俺こそが、ジジババを殺したステラノアさまだ!! まったく、ダメだろう? エルフを匿うなんて。そんな果てしのない悪党は、果ての、果ての、更なる果ての、果て果てた裁きを下されて、当然! いや、良かったな、殺されたのはこの俺にだ。今頃ジジババも、ありがとうと冥府で感謝しているに違いない――」
ブレイズハートの理性は、そこで完全にぷつんと切れた。
「お前……お前、お前がああああああああああああああァッ!!!」
「ははははははははっ!!! 足掻け、藻掻けェ!!! 舞い散る閃光のように、その果てしのない死にざまを見せつけろ!!」
だが、いくらハートが暴れまわっても、ステラノアと相性が悪すぎる。
一対一に秀でたハートでは、この数千ものステラノアを殲滅することは不可。
周囲一帯を灰燼に帰す、
実際に、試してみたが無理だった。
「く、そ……」
ハートは幾重もの月の刃を浴びて、遂に戦闘不能に追いやられた。
空を落ちていく彼女を、ブルーウェイヴが両腕で受け止める。
そんな二人を、ステラノアは嬉々として眺め入っている。
「どうだ? 絶望したか、女?」
ブルーウェイヴは涙ぐんで、ただ打ち震えた。
「はい……怖いです、恐ろしいです。また、わたしたちは、酷い目に遭っちゃうんですね……」
「ほう、物分かりがいいな、青髪。そうだ! お前たちは、また悲惨な目に遭うのだ! それも、この果てしのないステラノアさまにな!」
「ううっ……嫌です、怖いです。どうか、許してください……」
「またそれか。ふはっ……変わらない、惨めな女だ」
ステラノアは、この泣くことしかできない青髪のエルフを知っている。
婆を殺して、彼女の家を焼いた時も、青髪のエルフはこんな顔をしていた。
もうどうしようもないんだと、全てに嘆き悲しんだ、絶望の
いやはや、どうして少女の泣き顔はこうも美しいのか。
また奴隷として売り飛ばそうか、大量の金貨が舞い込んでくるぞ。
そんなろくでもない打算をつけていたステラノアは、妙に冷えることに気付く。
「はっ? 雨……いや、水? ……風?」
空は、晴れている。
なのに、どこからともなく風が吹き、水滴の群が渦を巻いている。
「うううっ……怖いです。ハートちゃん、ハートちゃん……」
「ええい、鬱陶しい!! その泣き声も、不快だ! 黙らぬのなら、果ての結末へと、導いてや――」
はたと、ステラノアは首を巡らせて周りを見た。
何千といた分身たちが、全て消滅している。
「えん、えん……辛い思いをするのは、もう嫌です。誰か、助けてくださいっ!」
「……お前」
青髪のエルフを中心として、碧色の瘴気が溢れ出ている。
この水と風に覆われた、未知なる領域を生み出しているのも、彼女だろう。
「何をした!? まさか……こいつも、覚醒者か? 赤髪の女は、〝憤怒〟だった。なら、青髪の女は……何を、司っている!? こいつの〝罪〟は……」
「悲嘆。ブルーウェイヴの涙は、血も、涙も、どんな異能も洗い流す。……残念だったな。ブルーウェイヴを泣かせちまったら、終わりだぜ」
青髪の少女の腕に抱かれたまま、ブレイズハートがそう言った。
「ばっ、馬鹿な――能力の無効化!? それが〝悲嘆〟の権能だと……」
試しにステラノアは魔力を練ってみるが、魔法も、剣技も発動できない。
剣にエンチャントされていた〝月光〟ごと消え失せている。
こうなったら、剣も、
「だが、果てしなく無駄なことだ!! 能力の無効化――それは、お前にもデメリットがある!! 魔力が使えない大の大人と、年端もいかぬ少女! 白兵戦になって、勝てる道理はこちらにあ――」
ジャキンッと、ブルーウェイヴは背中から曲剣を取り出した。
彼女の背丈の倍以上は優にある、特大の凶器だ。
刃層が厚すぎて、もはや剣というより、鉄の鈍器である。
「えんっ、えんっ……わたしも、戦わなきゃ、いけないのですね?」
「……っ!!」
ぞっと、ステラノアの背筋に寒さが駆け抜けた。
死を予感させた、生存本能からくる怖気だった。
「いや……待て、落ち着け。相手は女で、子供だぞ? たとえ
男が瞬きをした次の瞬間には、青い戦鬼が迫っていた。
えん、えんと……泣いて、喚いて、身体を震わせながら。
男の死すらも悲しむような目で、剣を振るった。
「どうなって、いる――この女の、膂力――」
一撃、剣と剣が打ち合った。
青髪の斬撃は、剣ごとステラノアの満身を真っ二つに引き裂いた。
「ははっ……ブルーウェイヴは、あたしらの中で、一番、怪力なんだぜ」
右腕で少女を抱き、左腕で特大剣を振るう。
ブルーウェイヴの別れの涙は、忌敵にも等しく降り注いだ。
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