第17話 冷酷のシルバーレイン。


「少しだけ、昔話をしよう。私は一日で、〝やめて〟と千回以上、口にした過去がある」


 銀髪のエルフ、シルバーレインは、倒れ込んでいる男の周りを闊歩する。

 神速を売りにしている教会の幹部〝第一席〟のアストラム。

 驚くべきことに、速さはエルフの少女が上回っていた。


「目の前で、父と母が拘束されていてな。賊共はわたしに、〝謝ってみろ〟と、告げた。そうか、必死に謝っていたら、助けてもらえる。そう思い、涙を流しながら、喉が潰れるほど、やめてと叫んだ。覚えていないが、千回は叫んだだろう。賊共はしばし笑い転げていたが、最後は白けた顔で、父と母の首を刎ねた。怒りに塗れたわたしも、斬り伏せられた。最後は、奴隷として売り飛ばされた」


 シルバーレインはローブを脱ぎ捨て、背中に受けた一太刀を見せつける。


「うん……うん。本当に……クソ生意気に、調子に乗ってる」


 アストラムが四つん這いになって、顔を上げた瞬間、凄烈な蹴りが飛んできた。

 血反吐をぶちまけるアストラムだが、睨むことしかできないでいる。


 はやい――この銀髪のエルフは、自分よりも僅かに速いのだ。

 僅かであっても、それは明白な実力差だ。


 マグレでもなければ、覆すことはできず、何よりシルバーレインは、戦闘慣れしている。才能だけの小娘ではなく、むしろ剣筋も卓越していた。


「うん、うん。それで……どうなったのかな?」


 アストラムは、彼女の昔話に付き合うことにした。

 時間稼ぎだ。小癪ではあるが、いまはこうするしかない。


「我らが主に、救ってもらった。莫大な魔力も、授かった。奇跡の瞬間だった。あのお方がいなければ、いまの私はあり得ない。何よりも、嬉しかったのは……あの賊共へと、報復を与えられたのだ」


 嬉々として、シルバーレインは、人生で初めての笑みを浮かべた。

 口角だけを僅かに下げた、冷徹で、凶悪的な笑みだった。


「一度、奴隷として連れていかれたからな。場所は分かっていた。任務の合間に、私は奴らのアジトに向かった。全員の腱を切り、こう言った。〝謝ってみろ〟。面白いことに、やつらは喉が潰れるまで叫んだ。飽きるほどのやめてくださいを、聞き届けた。――私は白けた顔で、奴らの首を刎ねた」


 因果応報の、復讐劇だ。

 何もかも間違っていたのは、賊共の方なのかもしれない。


 だがいまのシルバーレインは、かつての〝奴ら〟の側に立っている。

 正義ではない。ましてや、善でもない。

 それでもシルバーレインは、ただひとつの事実を掴んでいた。


「うん……うん。もしかして、正義の裁きとか、そう思っているのかな?」


 シルバーレインは、真顔に戻ってこう言った。


「知っているか? 復讐を果たすと、胸がスッキリする。正義だの、悪だのは、そもそも興味の範疇外だ。そんなものは、ケツを拭く紙にもならんだろう?」


 この時、アストラムは思った。

 ああ……こいつは、きっと素で〝狂って〟いる。


「うん、うん。それで? 僕に、何が言いたい?」


「あの賊共をけしかけていたのは、月輪の正教会だと分かった。そう……お前たちだ。憎むべき怨敵は、まだ残されている」


「やめてください――僕に、そう命乞いしろと?」


「気まぐれという、運命の女神さまが微笑んでくれれば、見逃してやろう。言わねば殺す。いま殺す。選択肢は、お前自身で選べ」


「うん、うん。時間の無駄だね」


「そうか。無駄な命なら、さっさと死ね」


 シルバーレインは、剣先を振るった。

 だが、捉えたのは虚空だけだった。


「っ!!?」

「うん……うん。もうそろそろ・・・・・・、勝てるかな」


 一撃、二撃、三撃と打ち合ったところで、シルバーレインの頬には、冷や汗が流れる。


 私よりも、速い!?


 いったいどういうわけか、アストラムの動態は、見違えるほど機敏になった。

 通り過ぎた場所には残像が残り、シルバーレインの白刃は大気を掠める。

 次の瞬間には、背後からの一太刀がやってくる。

 防戦一方だ。一気に、形勢逆転されてしまった。


「チッ――魔道具タリスマンか」


 さらに加速を続けるアストラムの動きを見て、シルバーレインは確信した。


「うん、うん。魔道具タリスマン風精霊の足ヴェロサイファーだね。魔力を込めた時からカウントが開始されて、一定間隔ごとに、使用者の速度が増加される。――その加速に、上限はない」


 一カウントは、一〇秒ちょっとか。

 次の周期が巡った時には、アストラムは更なる速力を手にしている。

 こんな卑劣な能力を持った相手に、どう戦えと……。


「うん、うん。言っておくけど、魔力切れを狙っても無駄だ。風精霊の足ヴェロサイファーの燃費は最悪だけど、魔力が尽きる前に、お前を殺せる」


 アストラムの斬撃によって、シルバーレインは切り刻まれる。

 嬲るように、少しずつ切り傷を付けて、相手の恐怖を誘うかのように。


「戦いにおいて、速度は重要だ。だが……それだけが、全てではない!!」


 シルバーレインは、再度ローブを身に纏った。

 アストラムは口の端に、確信的な笑みを漂わせた。

 彼女の狙いは、分かった。


 あのローブは、相当な耐久力を秘めている。頭がおかしいくらいの魔力が練り込まれて、それひとつで武装兵器の領域に達している。


 だから、意図が透けて見えた。

 シルバーレインは、ローブを盾にする――フリをして、ローブを変わり身とする。致命傷を与えるのなら、必ず相手が力む。その隙を虎視眈々と窺っている。


 ……が、それもひとつの策に過ぎない。

 本命は、肉を切らせて骨を断つ。

 これだけ強固な守りがあるのなら、相打ち覚悟もありだろう。

 肉体に突き刺さった剣を見て、「捕まえた」なんて言葉を吐き、カウンターを狙っているに違いない。


「うん、うん。手の内は、全て読めた。もう、君に面白味はないかな」


 アストラムは、完全にシルバーレインの認識外まで加速した。

 これでもう、反応することさえできない。

 相手の勝機は、肉を切らせて骨を断つの一点張り。

 鉄壁のローブは鬱陶しいが、顔は無防備だ。ひと突きすれば死ぬだろう。

 そう、ひと突きすれば死ぬのだ。

 急所を斬り込まれれば、肉を切らせて骨を断つ作戦は、完全に失敗する。

 心臓など生温い急所は狙わず、一撃で、雁首を落とす。


「「……」」


 銀髪のエルフが、切っ先で床に刃鳴りを響かせた。

 すると一帯に白銀色の領域が生成され、その靄がアストラムを覆う。

 なにかの能力を発動した。――そう警戒させるための、ブラフに過ぎない。

 さっさとこのエルフを殺して、終わりにする。


「――なにぃっ!!?」


 アストラムの一撃は防がれて、どころか彼の剣ごと弾かれてしまう。


 反応速度が、追いつかれた・・・・・・!?


「言ってなかったが、私の罪は〝冷酷〟だ。対象の最も高いステータスを参照して、私のステータスと同一にする。ステータスの差という天秤皿が、〝均等〟になるのだ」


 そしてシルバーレインが参照したアストラムのステータスは、速さ。

 いくら加速が掛かろうが、その分だけシルバーレインも加速する。

 しかし、あくまで速さは同じのはずだ。

 なぜ、アストラムの剣だけが弾かれたのか。

 それこそが、剣士としての〝技量〟である。


「くっ……そ!!」


 アストラムは王城を飛び出して、直道に出た。


 表街道に出て市民街を走破し、そのまま逃走をする――フリをして、時計塔を踏み台に、一層と空高くへと飛翔する。


 この位置、この高さなら、どこから来ても反応できる。

 やつとの速さは、同じなのだから。


「うん、うん……罪の力を行使する、覚醒したエルフか。だが、その異能にも、制限はあるはず! お前が僕のステータスを参照できる、その時間は!? その効果範囲は!?  参照する対象と、近くにいる必要だってあるはずだ!! さあ、生意気な面を見せてみろ!! 今度こそは、〝冷酷〟を発動する前に、首を」


 アストラムは、自分の身体を見た。

 まだ、全身に白銀色の瘴気が纏わり付いている。

 バカな、とっくにあのエルフは、振り切ったはず――。


「私の〝冷酷〟は、一度発動すると、対象が死ぬまで永続付与される」


 アストラムが背後に剣を振ろうとしたが、時すでに遅かった。


「ああ……いつだって悪党を殺すのは、気持ちがいい」


 シルバーレインは白けた顔のままで、落下する第一席の幹部を見下ろしていた。

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