第15話 月輪の正教会、幹部、月の欠片たち。
「どういうことですか、カシミールさま!! なぜ貴方は、国中の税を引き上げて……市民からの反発は、最高潮に達しています!! 王家も、十分な富を手にしていたはずです!! なのに……いったい、何の意味が!!?」
分家であるフォーリン家の頭首、クリストフェルは王城にて国王への直談判に出ている。国王が大規模な税率の改定を決めたのは今朝のことで、王族であるフォーリン家やルンディーン家などには、全く知らされていなかった。
彼らにも、導くべき民草がいる。騎士団や守衛にも、この騒動には、無関係でいられない。市民が暴徒と化し、騒乱が起きれば、血で血を洗う戦いが始まるだろう。清き道を行くクリストフェルには、とても見過ごせない話だった。
「お前如きが、儂に口を利くか、クリストフェル」
「っ……はい、見て見ぬふりはできません!」
「ならば死ね。もう用済みだ」
クリストフェルには、国王が口にした言葉が信じられず、曲がりなりにも、同じ血を持つ間柄であるというのに、その父に「死ね」と告げられたのだ。
背後から迫る刺客にも気付かず、冷たい刃は、遂にクリストフェルの首を捉えた。
「ふーん。王族って、本当に汚い真似をするのね。まあ、何処にでも蛆は湧くか」
刺客の一撃は、少女によって差し止められた。
アイノ・フォーリン。
一二歳に過ぎない少女は、軽々と刺客の剣を弾いて、その雁首を裂いた。
飄々とした声音ながらも、彼女の冷えた剣筋には殺意が籠もり、紫紺の瞳は炯々と国王カシミールを捉えている。
「あ、アイノ! 大人しく自宅で待っていなさいと、あれほど――」
「大人しく待っていたら、お父さまは、ご逝去あそばせているわけだけど?」
「ぐっ……いまは、親子喧嘩をしている場合ではない! 頼む、アイノ。俺は、この命を懸けて直談判に出たのだ! お前まで、巻き込んでしまうわけには!」
いまも殺しの間合いに入っているというのに、呑気なものだ。
暗殺者は、二人の仲睦まじい口論に斟酌するはずもなく、三方向から、同時にフォーリン親子へと飛び掛かる。
「あっは!!」
確実に、仕留めたと思った。月輪の正教会、その刺客による同時攻撃だ。
風が起こるよりもなお速い疾駆で、先手を打って出た彼らは、次の瞬間には、バラバラの肉の成れ果てと化していた。
またしても、アイノによる超常めいた速度の切り払いだった。
「やるわねえ、あんたたち。ちゃんと息を合わせて、三方向から斬り掛かった。騎士団ごときじゃあ、敵わないわね」
「アイノ……お前!」
「だ、け、ど。この私が相手じゃあ、力不足よね。いい? 強さっていうのは、相手によって、基準が変わるもんなの。あんたたちが、一般的に強者ってされていても、わたしには――」
刺客たちが、地を蹴り出した。
今度は八方向から、有無を言わさない完全無欠の同時攻撃だ。
それなのに、またしてもアイノは、刹那の内に八体もの刺客を切り伏せた。
「雑魚。それも、特級の雑魚ね。剣筋も、ジジイのうんこみたいに遅い。無様を超えて、醜悪じゃない?」
ピピっと、刃に濡れる血を払い飛ばすアイノ。
その飛沫は国王カシミールの足元にまで及ぶ。
挑発か、あるいは脅迫か。
いずれにせよ、老体の興味の範疇には至らなかったのだが。
「始末しろ」
「はあ? ボケたジジイの妄執? 誰に、ものを言ってんの?」
「アイノ、上だ!!」
広間の天井――シャンデリラから高みの見物を決めていた男が、目下の少女へと目掛けて降下する。もはや肉眼では捉えられぬ一撃は、アイノですら認識の埒外に置いていかれた。
油断していたわけではない。慢心していたわけでもない。
だが、この緑頭の男は、あまりにも
「面白い……名前を聞いてやるぞ、男」
結果から言うと、アイノが命を落とすことはなかった。
この場に新たに駆けつけたエルフが、彼女の身を守ったのだ。
全身に漆黒のローブを纏い、背中には、翼の生えた天秤十字のシンボルが刻印されている。人ではない、銀髪のエルフだ。しかし相貌は幼く、アイノとさして変わらない少女だ。
「まさか――暗黒の巡礼者!? 王都で指名手配中の一員が、私と同じ、女の子だっていうの!?」
教会の男は、アイノの言葉も無視して口を開く。
「月輪の正教会、月の欠片〝第一席〟、アストラム」
銀髪のエルフは、満足気に首肯した。
「私は暗黒の巡礼者、シルバーレインだ。どうやら、速さには自信があるとお見受けしたが?」
「うん……うん。速さ
「はっ、笑えない冗談だな。足が遅いと、頭の回転も遅いのか? 婚期も逃していると見える」
「うん……うん。絶滅危惧種のエルフさまは、檻と鉄枷がお似合いだな。奴隷以外を知るから、そんな口の利き方になる」
「かくいう人間さまは、童貞のままか(笑)? おお怖い、元奴隷の私が慰めてやろうか?」
「あー……うん、うん。ダメだな、エルフは。やっぱり、殺しておくに限る」
この隙に、国王カシミールは広間から立ち去っていくが、アイノもクリストフェルも、追い掛けることはできない。
幾尽とせめぎ合う、
眼前で剣気が迸ることもあれば、背後から剣音が打ち鳴ることもある。
両者の秋水は〝剣士〟という枠組みを超えた領域に君臨していて、傍観者には一歩も動くことすら許されない。
「そんな……この私が、弱いっていうの?」
普通、恐怖を懐くところだろうが、アイノは無力な自分に拳を震わせた。
銀髪のエルフと、教会の幹部による、激闘の戦端が開かれた。
♰
「なあ、アレって、何をしているんだ?」
「えっと、その……うーん……何を、しているんでしょうね……」
ブレイズハートとブルーウェイヴは、王都からそそくさと逃げ出す騎士たちを眺めていた。
彼ら王国の騎士団は、王都や王族を守り通す番人だ。
……そのはずが、何故だか王城の裏口から抜け出している。
「あいつらって、騎士団なんだろ?」
「騎士団だと、思いますけど……」
「じゃあ、なんで逃げているんだ?」
「なんで、逃げているんでしょうね……」
「殴ったら、教えてもらえっかな?」
「暴力は厳禁ですよ、ハートちゃん」
「殺人は?」
「もっとダメだと思いますよ、ハートちゃん」
「殺戮は?」
「どうして、罪のスケールが上がるのでしょうか……」
「文句ばっかりだな、ブルーウェイヴは」
はあっと息を吐いて、高壁から騎士団を観察するブレイズハート。
表通りは、すぐそこまで市民たちが押し寄せてきている。彼らの王家に対する不満は、騎士団にも向けられるだろう。このまま逃げおおせるとは思えない。
「お父さま、どうしてですの!? 私たち騎士団が、王都から離れるだなんて!!」
「自分もそう思う。騎士団が、騎士をやめたら、ただの冴えない無職の軍団。盗賊たちと、変わらないよね」
ふと視線を下げてみると、赤髪の姉妹が、父らしき男に詰め寄っている。
相変わらずテンションが違う凸凹姉妹だが、この一件に関しては、同じ不満を懐いているようだ。
「クラース、トゥーラ。今朝の報せを見ただろう。もはやここには、ルンディーン家を含めた、我ら騎士の居場所はない」
「何を、仰いますか!? そもそも、どうして国王さまは、あんな決定を……」
「代々として、王都の騎士団長をつとめてきた、ルンディーン家ですら知らされていない。つまり我らは、切り捨てられたということだ」
「あまりにも、飛躍させすぎだと思う。何が、どう切り捨てられたの?」
娘のトゥーラにそう問われると、父の顔色は青ざめていく。
「やっぱり、何か知っているんだ」
「知らないさ。知らないから、いまも生きていられる」
「じゃあ……ベルントは、どうしてそんな顔を?」
実の父を呼び捨てとは、大した胆力だが、いまはそこを突っ込んでいる場合ではない。
「随分と前から、異変があった。日々、老衰する国王さまは死を恐れて、国中の学者を集めて、不老不死を探究したこともあった」
「不老不死!? そんなもの、あるわけありませんわ!」
「勿論、なかったさ。だが、カシミールさまは、諦めなかった。どれだけ民の血税を浪費しようが、飽くなき探求が進められた。その度に税は上がり、不満が漏れることもあったが……いまほど、極端じゃなかった。要するに」
「国王は、何かに辿り着いた。むしろこの混沌は、国王が望むものだった」
トゥーラの結論に、ベルントは恐る恐る顎を引いた。
「国王さまが、〝何か〟と結託していることは、知っている。剣舞祭の一件は、貴族たちの間でも噂になった。白と金に編まれたローブ……正教会の者だろう」
「彼らの言いなりになっているか、弱みを握られているか。いずれにせよ、カシミールさまは、王都を切り捨てたと、そう仰るのですか?」
「でなければ、あんな号外は出さないだろう。だから、私は大切な愛娘と共に、騎士団ごと亡命することに決めたのだ。この国は、もう終わりだ。きっと教会の不老不死を……
父の声を掻き消すほどの暴風が唸り、姉妹も悲鳴を上げて石畳みに倒れた。
「お父さま、トゥーラ! お怪我は、ありませんでしたか!?」
姉の心配も意に介さず、トゥーラは空を見上げていた。
「いま……確かに、三人いたような」
戦いは、王城よりもなお遥か遠くの空で始まっていた。
「あははははっ! 悪いやつだ、悪党だ、病原菌だ! ねえ、ねえ、ブルーウェイヴ! こいつは、始末しちゃってもいいんだよね?」
「ううぅ……そう殺気立てないでください、ハートちゃん。怖いですよ……」
男は幾ばくか、〝月光〟を振り翳してみた。
物干し竿のように長く伸びた刀で斬り払うと、刀身に反射した光が魔力により質力を帯びる。それはレーザー光線も同然に、対象を撃ち抜く。
だが、二人のエルフはそれらの〝月光〟を打ち払った。
赤髪のエルフは、素手で。
青髪のエルフは、特大の曲剣で。
「チッ……果てしなく残念だ。ルンディーン家の始末に失敗したか」
男は渦巻く月の仮面を捨てて、素顔を晒した。
右半分は金の頭髪を、左半分は銀の頭髪を、瞳も金銀非対称に煌めいている。
「果てしなく、愚かなことだな。お前たちは、暗黒の巡礼者だろう」
「そうだぜ! あたしは、ブレイズハートっていうんだ! そんで――」
「わっ、わたっ、私は……ブルーウェイヴ、と言います。どうか、いじめないでください……」
「分かったら、とっとと殺し合おうぜ! お前、悪いやつなんだよな!」
男は二人のエルフを見眺めて、がっくりと肩を落とす。
右が弱いか、いや左の方が弱いか。
残念なことに、どちらも〝弱〟の分類にはぶち込まれない。
どちらも単体で、王都の騎士団全てに匹敵する魔力量を保有している。
いったいどうやったら、この年でこんな化け物に育つのか……。
「〝覚醒したエルフ〟……果てしなく、面倒だな。やはり、あのお方が懸念していたことが現実となった。だが、案ずるな。お前たちを、果てしのない結末に、いや、果ての、果ての、さらなる果てへと、連れていってや――」
バゴォン!!! と盛大な破壊音は、ブレイズハートの打撃によるもの。
赤髪少女の拳によって、男は王城の塔を粉砕する勢いで吹き飛んでいった。
「弱い自分を、恨むんだな。弱いやつは、死に方すら選べねえ」
ふんっと鼻息を立てていたブレイズハートは、咄嗟に拳を構えて、迫り来る〝月光〟を打ち払った。
「果てしなく、マナーのなっていないクソガキだな。俺は、幹部だぞ? 名乗るくらいの、時間は寄こせ」
もっともなことを言っている男は、加速度的に〝数を増やしている〟。
五体、七〇体、一八〇体、五六〇体と、空には金銀男が増殖していく。
しかも、王城の塔を粉砕したように、分身たちには質量がある。
ただの分身ではない――攻撃されれば、ダメージを負うだろう。
詳細はまだ分からないが、光を応用した魔法だろうか。
「月輪の正教会、月の欠片〝第二席〟、ステラノア。果たしのない〝月光〟を、浴びてみるか?」
「月光、月光って――いまはどう見ても、真っ昼間じゃねーかぁ!!!」
「ハートちゃん!!!」
ステラノアの挑発には、ブレイズハートが正面切って殴りかかった。
そんな彼女を諫めながら、曲剣を振り払う虚弱なエルフ。
それでもステラノアたちは、減るどころか増えていく。
赤青と金銀。
王都の空は、異なる気勢の色彩で満たされていった。
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