第10話 忍び寄る影……の中にいる能天気たち。


「シグ、どこ!? ねえ、シグ!!」


 恐るべきことに、いざ会場に戻ってみると、彼女たちは自力で暗殺部隊を張り倒していた。

 姉のオリヴィエ・エルランデル。

 騎士団長の長女、クラース・ルンディーン、次女のトゥーラ・ルンディーン。

 国王の分家、フォーリン家の長女であるアイノ。

 いずれも一〇歳から一二歳でしかない少女たちと、王国の騎士団によって、完全に鎮圧されていた。

 結界を守っていた教会の手先たちは、ピルグリムたちによって壊滅。

 王城に配置されていた手先も、エルガードが殲滅した。


「お姉ちゃん!」

「良かった……そこにいたのね、シグ!」


 姉は相当心配していたらしく、目尻に涙を湛えている。


「お姉ちゃんのおかげで、無事だったんだ。守ってくれてありがとう、お姉ちゃん」

「ううん、いいのよ。シグは、絶対にわたしが守り通すんだもの」


 仲睦まじい姉弟の元に、三人の少女が歩み寄った。


「まあまあ、冴えた剣筋じゃない? 貴女は、いい感じの剣士になるかもね」


 上から目線でそう姉を評価しているのは、王族であるアイノ・フォーリンだ。

 色艶のある夜空のように深い黒髪、宝石めいた澄み渡る紫紺の瞳、生き生きとした輝きを放つ素肌と、肩書き負けしていない美貌を放っている。

 今年で一二歳のアイノだが、その剣技は騎士団をも凌駕する。


「助力いただき、ありがとうございましたわ! ほら、トゥーラもご挨拶を!」

「えー……なんか、まあ、ありがと」

「なんかって、なんですの!? ほら、もっと、真心を込めて!」

「真心って、お母さんじゃあるまいし……」

「うぎーっ! いちいち、揚げ足を取らなくていいんですの!」

「揚げ足? なんか、カロリー高そう……」

「ぐぎゃーっ! だ、か、ら、そう反抗的な言葉はおやめなさいと!」

「ヒステリックなの、お姉ちゃん? はい、お薬上げる」

「うぐぐぐっ……いいですわ。これ以上付き合ってると、高血圧で倒れてしまいます」

「更年期じゃん」

「あーっ、もうーっ! どうしてトゥーラはそう、余計な言葉をいちいち――」


 ハイテンションなクラース姉と、ローテンションなトゥーラ妹の会話は、漫才のように繰り広げられて、まるで終わる気配がない。

 赤髪の姉は背丈も高く、一二歳にしては発育もいい。反対に、一〇歳の妹は、身長も声音もやる気も低く、目は死んだ魚のように光がない。

 緊張感が抜けた場でも、王国兵は続々と暗殺部隊の手に縄をかけ、連行していく。


「こちらから退出してください! 安全が確保できた道まで、騎士団がご案内いたします!」

「剣舞祭は、一時中止とさせて頂きます! 再会の日程は、追ってご連絡を――」


 残念なことに、五年に一度の剣舞祭は、これにて終了となった。

 姉がどこまで勝ち抜けるのか、その結末を見届けられないことは惜しくはあるものの、シグには莫大な収穫があった。


「あれ? ……シグ?」


 エルランデル家も会場を後にする中、影の覇者は、VIP席の更に頂上で、この騒動を見下ろしていた。彼の傍らには、側近である金髪のエルフの姿も。


「神、そちらは?」


 シグが手に持っている錠剤は、彼が数年と渡って研究してきた成果である。

 ダークファンタジー世界の〝法則〟を、この世界に割り込ませる秘薬だ。

 彼は、前世界の法則を、現世界に代入できないかを検討していた。


 しかし、どんな力であれ、前世の技を使おうとすると、世界は時空間ごと捩じれてしまう。この世界に存在しないモノを持ち込むことで、次元が歪んでしまうのだ。


 原理としては、現世αに予言する力場における最小質量を有する魔粒子の質量が、ダークファンタジー世界βの非可換な場の量子論と矛盾してしまうからだ。


 では――持ち込むのではなく、〝異物のまま〟顕現させたとしたら?


 現実の物体は、二次元界の絵画世界に入り込むことは出来ない。だが、三次元界によって書き換えたり、消したり、覆い隠したりすることは出来る。n次元部分空間の相互作用……いや、多次元時空における完全なゲージ理論だ。


 つまりシグが狙ったのは、これと同じ割り込み処理だ。


 ダークファンタジー世界の自分θを、この世界の自分εに代入することで、一時的にシグは、ヴィルゴッド・フィルディーンとして顕現できる。時空変換の群は可換なため、異なる世界の作用素を同時に対角化したのである。


 この世界に存在しない〝異物〟が、この世界に存在しない法理を扱う。よって何の因果にも干渉せず、矛盾も引き起こされないということだ。


 だが、異物である以上、永続効果はない。


 免疫がウイルスを駆逐するように、世界が〝異物だ〟と認識した時、ヴィルゴッド・フィルディーンは、シーグフリード・エルランデルへと戻される。


 この時に生じる修正力は、一国が吹き飛ぶほど著大だ。

 それでもシグが持つ、法外な魔力にかかれば、修正力を〝代価〟として支払い、無傷で元の姿に戻ることができる。


 かいつまんで言えば、この錠剤は、制限時間つきの〝チート処理〟だ。

 ひとつの次元ごと、丸ごと薬に内包し、それを呑み干すことで、シグは一時的に前世界の自分を顕現できる。


深遠の一端ノクターンとでも、名付けようか。これを口にすることで、俺は、本当の俺を解き放つ。制限時間は、毎回ランダムだ。この世界に認識された瞬間、俺という異物は、排除されてしまうのでな」


 敢えて、自分が何たるかを口にしないシグだが、エルガードは容易く、彼の本懐を汲み取った。


「本当に……あなたは、神だったのですね。この世のことわりとは外れた、尋常の埒外にある存在……」


 興奮のあまり、身震いしているエルガード。

 全幅の信頼を置いている彼女にならまだしも、誰にでもこの真実を告げることは良くないだろう。世界に、どのような影響が及ぶかも想像できない。


見た・・のか? あの俺を」

「いえ、わたしも任務の最中でしたから。しかし、気配で分かりました」

「流石だと言いたいところだが、このことは内密に頼むぞ」

「わが命に代えても、必ず」


 エルガードが彼を知った半面、シグも彼女たちの新たな力を把握していた。

 魔力を応用して生み出した監視者の瞳で、シグはラッセの戦闘と同時に、各地の戦闘を観察していた。


 エルガード、シルバーレイン、ブレイズハート、ブルーウェイヴ、ローズウィスプ。彼ら五人の巡礼者は、エルフの戦士として次のステージに上がり、存分にその神髄を発揮していた。


「――魔法とは、明らかに異なる〝罪〟の法則。お前たちエルフの血には、異なる権能が宿っていると判明したが……きっかけは、ローズウィスプの〝暴食〟だった」


 炎や氷の属性魔法と比較すると、ローズの〝暴食〟は、目に見えて異端だった。

 そこでシグは、属性の魔法種を暴き出し、そもそも魔法とは何なのかの研究も、同時並行して進めていた。この数年間、彼はエルフたちの魔力配列も解析していた。


 その結果、辿り着いたのが、〝罪〟の法則だった。


「お前たちが罪の法を覚醒させたのは、エルフだからか。月輪の正教会が、エルフを狙っている理由でもありそうだ。エルガード、同胞はあとどれくらいいる」


「……多くて一〇〇、いるかどうかでしょうか。エルフは、このカスケーロ大陸の各地に、生息しています。太古の時代、この地域は緑豊かな地だったそうです」


「見かけたエルフは、全て保護し、礼拝者として俺たちの組織に加えている。数は、二一だったな」


「彼女たちも戦闘員として、申し分なく育て上げております。盗賊や、王家の暗殺部隊、騎士団程度なら、後れを取ることはないでしょう」


「ならば、礼拝者たちを各地に送り、エルフを保護しろ。強制的に、組織に加える必要はない。その都度、必ずエルフたちの意思を確認させろ。人員や配置などの委細は、任せたぞ」


「我らが神の、仰る通りに」


 さて、そろそろ姉が心配性を発動させる頃合いだ。


 シグが再び、トイレから戻ってきた七歳男児を演じようと思ったところで、四人の巡礼者たちが合流する。シルバーレイン、ブレイズハート、ブルーウェイヴ、ローズウィスプだ。


「ああ、そうだ。任務を達成した褒美として、望みを叶えてやろう。一人につき、ひとつだ。決まり次第、俺に報せ――」


「お嫁さんごっこで、お願いします」

「……え?」


 エルガードは金色の長髪をなびかせながら、至極真顔のままそう言った。


「姉のオリヴィエさまと興じていた、お嫁さんごっこ。是非、わたしともその児戯に耽っていただきたく――」


「エルガード! 抜け駆けは禁止だと、言ったはずだろう!?」


 声を荒げて割って入ってきたのは、銀髪エルフさんのシルバーレイン。


「そうだ、そうだ! 第一、お嫁さんっていうには、あたしらはまだ子供じゃないか!」

「分かっていないですね、ブレイズハート。エルフを見かけで判断するのは、ナンセンスです」

「え、ええっと……じゃあ、エルガードさまは、おいくつなんですか?」

「ブルーウェイヴ。女性に年齢を聞くのは、失礼だと知りなさい」

「失礼ってなに? 食べれるの?」

「そうね、ローズウィスプ。お菓子を上げるから、黙ってなさい」

「あたしは九才だけど、エルガードさまは?」

「……」

「は、ハートちゃん! エルガードさまから、殺気が!」

「言っておくのだけれど、わたしは全然、若いですよ。ただ、若ければ若いほどいいだろうなんて、子供じみたマウントを取られるのが不快なだけです。よって――」

「おばさんなの?」

「よろしい、ならば戦争です」

「きゃーっ! ハートちゃん、謝って! いますぐに謝って!」


 ぎゃあぎゃあと、何やら醜い争いが始まったので、シグはそそくさと退散。

 そもそも童帝のシグは、彼女たちに好意を持たれていることすら気付かない。


「……まいったな。女の考えていることは、めっきり分からん」


 いま隣で、べったりくっついている姉の笑顔も、シグには無理解のそれだった。



「――それで、あの白髪の男は?」



 王城の玉座の間。

 国王カシミール・ニクラスは、落ち窪んだ眼窩で訊ねている。顔にも声にも、覇気がなく、萎びた皮膚は老樹のように生気がない。


 いつぽっくり逝ってもおかしくない状態で、国王はワイングラスに注がれたエルフの生き血を口に運ぶ。長寿の源、なんて噂があるエルフの生き血だが、それを呑み干したところで、カシミールの顔はやっぱり老人のままだった。


「現在、調査を推し進めております。依然として、男の素性は不明となっており」

「早急に、真相を掴むのだ。あの男を屠った者には、次期後継者の栄誉を与える。急ぐのだぞ、ローベルト、ハルステン」

「「はっ! 存じております、父上」」


 無人となった玉座の間で、国王は、渦巻く月のペンダントを懐から取り出す。


「エルランデル家についているバックを暴き、あの男を始末すれば……わたしも〝教会〟の末席に加えていただける。老いぼれた身体は、かつての生気に満ち溢れ、定命の死すら回避できる。その時は近いぞ……ヴィルゴッド・フィルディーン!」


 妄執に満ちた老体の哄笑が、夜の王城に轟いていった。

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