第9話 月輪の正教会。


 シグはオリヴィエを始末しに来た幾人の剣士たちの首を、目に見えないほど細く紡がれた生気の糸で飛ばした。


「分かっていたさ。貴様たちが、この日に仕掛けてくることくらい」


 都度、五回にも及ぶ盗賊たちの襲撃を退け、一年前の襲撃でも、王都が擁する猟犬ハウンドドッグの部隊が壊滅的被害を受けた。


 奴らからすると、エルランデル家は敵である。

 ならば、敵地であるルンダールで決戦を迎えるのは悪手だ。


 狙い目は、今日この日――五年に一度の剣舞祭でエルランデル家を王都に招き、抹殺する。にっくきエルランデル家をぶち殺すのなら、この日まで我慢した方が合理的だ。……という敵の目論見まで、シグは予測し切っていたのだ。


「もっとも、俺は・・エルランデル家ではないのだがな」


 ひとり満足気に嘯くシグの傍ら、姉の対戦相手である騎士団長の娘、クラース・ルンディーンは、声を荒げて剣を振り上げている。


「何を……いったい誰が、このような狼藉を!? 今日が五年に一度の、剣舞祭であると知っての蛮行ですか!!?」


 クラースが怒号を上げると、彼女たちの近衛騎士たちも参戦した。


「空気が読めない人は嫌いだ。自分も加勢する」


 妹のトゥーラもやってきて、ルンディーン家は暗殺部隊と鎬を削る。

 ……演技には見えない。

 ということは、代々として王都の騎士団長をつとめてきたルンディーン家には、エルランデル家の抹殺任務を知らされていない? でなければ、彼ら王家サイドが、暗殺対象の姉を助ける道理がない。真の敵は、王家ではないのか?


「俺たちと同じか。影から、世界を変えようとする者。或いは、既に従えている者。王都ニクラスに潜む根は、国の中枢にまで及んでいるようだな」


 この場は彼女たちに任せるとして、やはり臭いのは、いまもVIP席で高みの見物を決めている王族たち。

 だが、シグが地を蹴り上げようとした刹那、ルンディーン姉妹は悲鳴を上げて、騎士たちもバタバタと倒れ始めた。


「ご報告申し上げます! 王都全域に、魔力を奪う結界が展開されました!」


 茶髪のエルフは、エルガードが寄こした礼拝者のひとりだろう。

 シグは、疑問も持たずに会話を取り持った。


「観客たちが、気絶していっているようだな」

「恐らく、魔力が尽きた者は、体力が奪われているのだと、エルガードさまが推察を立てておりました」

「節操がないな。そこまでして、エルランデル家の長女を仕留めたいか。一年も掛けただけあって、用意周到ではある」


 シグは瞳を閉じて、広範囲に掛けて魔力の鼓動を感じ取る。

 東西南北に、巡礼者たちの魔力が感じ取れた。

 結界というからには、必ず結界を維持している〝中心点〟が存在する。


 彼女たちは、結界を破壊するポイントを突き止め、敵の上位勢力と戦っているのだろう。耳をすませば、シルバーレインの神速たる斬撃が、ブレイズハートの怒声と敵の断末魔が、ブルーウェイヴの怯えながらも容赦のない惨殺が、ローズウィスプの暴食による絶叫が聞こえてくる。


 エルガードは……王城を探っているようだ。

 この騒ぎに乗じて、守りの薄い本丸を調査するとは、いい判断だ。


「だが、長引けば形勢が悪化する。早急に対処する必要があると見えるが……。この結界も、魔法に分類されるのか?」


「大変、申し訳ございません。わたしでは、原理までは分かりかね……ぐっ!」


 魔力が尽きたのか、礼拝者のエルフは、そこで意識を失ってしまった。

 姉のオリヴィエや、ルンディーン姉妹も、徐々に呼吸が弱くなっている。


「……少女ひとりを殺すためなら、無差別攻撃も厭わないと。……全く、愚かな真似をしたな、下郎。卑劣を武器とするのなら、掛ける情けも必要あるまい!」


 雲を割き、天上の彼方より降り注いだ黄金の柱が、王都全域を包み込む。


「え、っと……あれ? わたしは……」


 意識を失っていた配下は目を覚まし、観客たちも続々と息を吹き返していく。

 どころか、彼らの魔力は最大限にまで満たされ、体力も癒えている。


「主さま、これは」


循環の光リ・ノヴァ――全生命体に俺の生命力を分け与える、ダークファンタジー世界の秘術だ。予想通り、結界は重ね掛け可能なようだな。一方の結界で、状態異常を掛けられたのなら、その効力を無に帰す結界を張ればいい」


「全生命体に……しかし、それでは主さまに代償が!」


「代償など、あってないようなものだ。俺の生命力は、俺が認識できる数を、遥かに超えている」


 次に目を開けた時、シグの瞳には命の美しさを体現する、金色こんじきが宿っていた。


 生命の化身――魔眼ならぬ神眼を発動させたシグには、〝命〟だけを見通せる。

 建物も地面も貫通して、何が、何処に潜んでいるのかを看破可能だ。

 小さな生き物は、極小の点となって可視化され、人間やエルフなどの生命体は、燃ゆる炎のように映し出される。


 影の者は、決して表世界には出てこない。

 この混沌を、自分には被害が及ばぬ位置で観測している。

 本命が潜んでいる場所は……観客席でも、VIP席でも、王城でもない。

 たったひとり、時計塔の頂上で、いまも視線を向けている――。


「いつまで、見ている側・・・・・のつもりだ?」

「っ!!?」


 シグはローブを纏った男の首根っこを掴み、力の限りぶん投げた。

 男は幾重もの建物を貫通しながら吹き飛び、トドメに蹴り込まれたシグの爪先によって、地盤を割って王都の地下まで叩き落とされる。


「安心しろ、結界を張ってある。お前の傷は瞬時に癒え、死ぬことなく、嬲られ続けるのだ。愚昧ぐまいな男には、相応しい末路だろう?」


 それからシグは男の胸部に右足を乗せて、何度か粉砕と再生を繰り返した。

 べきっとか、ぶちゅっとか、聞くに堪えない凄惨な破壊音が鳴り続けて、それでもシグの循環の光リ・ノヴァが効いている限り、失神することすらできない。本当の意味での、生き地獄だ。


「い、言う!! なにもかも、教える!! だから、どうか見逃してくれ!!」


 男がそう白状するまで、拷問開始から一分と持たなかった。

 白と金に彩られた目見麗しいローブ、右目の下には、渦巻く月の印が刻まれている。明らかに、王都の猟犬ハウンドドッグでもなければ、盗賊や、荒くれものでもない。


「我が名は、ヴィルゴッド・フィルディーン。さあ、今度は、貴様が吐く番だ。その醜悪な口から、懺悔以外の言葉を紡ぐことを許す」


 シグが爪先に力を入れると、男はぶるぶるとみっともなく震えながら口を開く。


「お、おれ、俺は、教会の手先だ!! 月輪の正教会、その任務を果たすために、俺は――」


 男の耳たぶにある月の刻印が煌めき、何者かの気配が立ち込める。


『我らを裏切ったな、ラッセ』

「いえ、違います、マスター!! これは、事情があって……」

『言い訳は要らぬ。そのまま失せろ』


 パチンッと指を鳴らす音が聞こえた途端に、ラッセと呼ばれた男は爆散した・・・・

 あらかじめ、男の身体に何か仕掛けていたのだろう。

 教会のマスターは、ラッセを裏切りの罪で抹殺したということだ。


『ラッセ、哀れな男だ。しかし……ヴィルゴッド・フィルディーン。そして、各地に現れた、エルフの少女たち。何者だ? いったい、奴らは……』


 王都から遠く離れた正教会の西塔で、彼女は王都の方角を見据える。


 片田舎の長女如き、これで片付けられるかと思っていたが、新手が潜んでいた。いや、はなから怪しいとは睨んでいたのだ。たかだか木っ端の貴族如きが、あれだけの軍勢を一蹴できるはずがない。この日に、エルランデル家のバックを洗い出すつもりではあったが、とんでもない怪物が出てきてしまった。


循環の光リ・ノヴァ……そんな魔法、いや魔道具か? いずれにせよ、聞いたことのない技だ……あの男についても、調査する必要があるな』


 女は先手を取ったとばかりに、笑みを浮かべているが、果たして彼女は、知り得ているだろうか。


 いまもラッセは、遙か遠くの地で、生き永らえているということを。


「お、おれっ、俺……な、なななななにゃ、なんで、生きて……」


 幾度となく、自分の手足を確認するラッセには、シグの溜め息が漏れた。


「いったい、誰の結界だと思っている。俺の循環の光リ・ノヴァがある限り、どう足掻いても死にようがない。たとえ塵芥と爆散しようが、次の瞬間には再生している。それより――」


 シグが右足を上げて見せると、ラッセは「ひいいぃっ!」と怯え出す。


「月輪の正教会は、このカスケーロ大陸の各地に、拠点を持っている! 俺も、王都の正教会から派遣されたひとりだ! だが、俺の任務は、エルランデル家のバックを暴き出すこと! それ以外は、何も知らねえ!」


 さっきの爆散のおかげか、ラッセの耳たぶにあった、傍聴の刻印は消えている。

 いまのラッセは、教会の手から離れたと見ていい。


「月輪の正教会……敵は、王都でも王族でもなかったわけか。しかし、これまで差し向けてきた暗殺部隊は、王家の勢力だろう。月輪の正教会は、実質的にこの国を支配しているわけか?」


「し、知らねえよ!! 俺みたいな斥候役の下っ端に、深い理由なんざ教えるわけねえ!」


 嘘ではなく、本当に知らないんだろう。必死過ぎて、ラッセは失禁している。


「……まあいい。教会は、こちらを掴んだとでも思っているのだろうが、掴んでいるのは俺たちだ。月輪の正教会――高みの見物の終わりは、近いぞ」


 巡礼者たちも任務を終え、一帯を支配していた深紅の結界は破壊された。

 シグに残された時間は少なく、これにてお開きとしたかったのだが……。


「たっ、頼む、兄貴!! 俺を、あんたの組織に加えてくれ!!」

「……は?」


 突拍子もないラッセの土下座は、シグの足を三秒ほど止めるに値した。


      ♰


「王城は、全て調べ切ったはず。それでも、何も出ないなんて……」


 シグの右腕であるエルガードは、珍しく眉根に焦燥を刻んでいた。

 かれこれ三〇分は調べているのに、王城で〝エルランデル家〟絡みの証拠が出てこない。証拠がなければ、誰を抹殺すればいいのかも判別つかない。


 王家は、本当に、何も知らないのか?

 いやしかし、あの暗殺部隊は、確かに王家の……。


「随分と、遅れたご到着ですね。カップに紅茶を入れておきましたが、既に冷めているかもしれません」


 エルガードが王城を出ようとした時、真白いローブに身を包んだ男が、大広間にて姿を見せた。数は、三人。エルガードの皮肉を受けても、顔色ひとつ変えていない。


「女……いや、子供か。抵抗するな、せめて楽に殺してやる」


 男の宣告は、果たしてエルガードの失笑を買うだけだった。


「男、いや、三下ですか。情けない悲鳴を漏らす前に、自決することを進言いたします」


 男は、仲間たちに一瞥を向けた。

 容赦はいらない。殺せ。

 明確な殺意が滲み出た視線を合図に、男たちは三方向から飛び掛かった。


 右手に携えた直剣には光が宿り、光は触れただけで、絨毯も石像も難なく切り裂いてしまう。何かしらの属性が、エンチャントされている……。


「死ねぇ、女!!」


 威を示して男が剣を振り上げたその瞬間、彼らの得物は塵屑も同然に破砕した。


「ちょっ、はあっ!!?」


 そして矢継ぎ早に襲い掛かる、蹴り払いでの一閃。

 エルガードに蹴り飛ばされて、男たちは「ぶげらっ!」と無様な声を漏らす。


「なにか、しましたか?」

「チッ……クソ。舐めるなよ、女!!」


 男が魔力を練り上げて、魔力剣を生成するが、そんな些事では到底敵わぬ相手なのだと、彼らは本能的に理解させられた。


「この一年間――わたしは、考えていたのです。わたしには、何があるのかと」


 魔力の奔流、いや、爆発?


 魔力の総量が桁違い過ぎて、男たちは自分たちが生きていることさえ忘却した。

 地面から王城の天井まで、全空間を覆い尽くす濃密な魔力は、なお際限を知ることなく王城の外へと溢れ出していく。


「シルバーレインには、影すら置き去りにする冷酷があります。ブレイズハートには、全てを無意味に帰す憤怒があります。ブルーウェイヴには、血も涙も洗い流す悲嘆があります。ローズウィスプには、罪も罰も喰らう、暴食があります。しかし……彼らを統率するわたしには、何もない。何でも出来ると言えば、聞こえはいいですが、特徴のないリーダーに、部下は付いてこない。……わたしにも、確たる〝何か〟が必要でした」


 教会の男たちには、エルガードが何を言っているか理解できない。だが、立ち向かおうとも思えない。


 エルガードの背後に佇む〝何か〟――鶴髪かつ長身の男は、ただの幻覚に過ぎなくて、実際にそこに居るわけではない。エルガードが、無意識のうちに呼び起こしたシグの幻影だ。


「しかし、わたしはこう思ったのです。リーダーに、自我は必要ない。わたしは、ただわたしたちの神のために、遂行する。神に倣い、神につとめる者――ピルグリムたちを治めるわたしは、あのお方の幻影であれば、それでいい」


 その心模様を、敢えて形容するのなら、〝陶酔〟か。

 何であれ、常軌を逸した少女の狂言は、男たちに我を取り戻させるには、十分過ぎた。


『くそがああああああああああああああああっ!!!』


 男たちは、脇目もふらずに飛び出した。ここで任務を失敗すれば、自分たちは教会のマスターに始末される。なればせめて、このエルフと相打ちを――。


「さようなら。名前も知らない、三下さんたち」


 エルガードが下した魔法は、一年前にシグが見せた、暴食の応用魔法だ。

 虚空より出でた魔力の球体が敵影を捕捉し、柔らかな人間の頭蓋を噛み砕く。


 またしても、真似事だ。四年前に出会った時から、エルガードはシグが行使した魔法だけを再演している。


 エルガードのポテンシャルをもってすれば、自分だけの魔法を開発することも出来るのだろう。だが、自分はこれでいい。自分は、神に導かれ、神につとめる、真摯な巡礼者なのだから――。


「どうかこれからも、我らに叡智をお授けください、神」


 結局、男たちには一瞥もくれないまま、エルガードは王城を跡にした。

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