第3話 エルフの奴隷、エルガード。

「目立つことは、極力避けたい。世界平和を果たすのなら、黒幕は勘づかれない方がいいのだからな」


 この五年間で、シグには大まかな構想ができていた。

 名実ともにある姉、オリヴィエをデコイとして表舞台に立たせ、シグは暗躍に徹する。自分は〝天才の姉に寄生する無能な弟〟を演じるのだ。


 そもそも世界が平和なら、シグがこんな算段を立てる必要もない。

 だが、シグは転生後三年目にして、この世界の残酷さを目の当たりにした。


『あなた……本当に、いくのね?』

『すまない、エイナル。もしもの場合は、地下室に隠れてくれ。シグ、オリヴィエ、そしてエイナル……君たちのことは、死後もなお愛している』


 それはシグが三歳の時、書斎から聞こえる意味深な会話を、彼は扉の隙間から聞き取っていた。


 父と母は、何を言っているんだろうか?

 興味本位で、無人と化した書斎に入り込むと、その真相が見つかった。


『ほう、盗賊か』


 書斎に広げられていた地図には、賊の襲撃ポイントや侵入経路が描かれていた。この世界は、力イコール正義らしく、力あるものならどんな暴虐も罷り通る。だからこそ、父は愛した人を守るために、剣士として生き、愛娘にも剣技の手ほどきをしているわけだ。


 田舎町、ルンダールには金がない。


 本来なら、都市を守る国の守衛たちが護衛に回るはずなのだが、ルンダールは国への上納金というショバ代が足らず、守衛も撤収させられてしまった。


 いわば、無法地帯だ。賊が殴り込みに来るのも必然で、父たち一部の剣士は、身命を賭して防衛に出向いたわけだ。


『だったら、こんな故郷を捨てればいいのに。……とは、言えないか。俺も千年あまり、王としてひとつの時代を築いてきた。故郷と歴史を捨てるのは、なかなかどうして難しい』


 三歳児のシグは、先駆けて蛮族共の元へと向かった。武器はない。あるのは、寝間着とくまさんのぬいぐるみだけだ。


『おいおいおい、なんですかぁ、こいつはぁ?』

『はぁ~い、ぱぱでちゅよ~』

『おい、誰かガキ殺す趣味持ってるやつはいるかあ?』

『さっさとバラそうぜ。ガキの内臓って、高く売れるらしいぞ』


 賊たちは、まあ何とも見事に絵に描いたような賊っぷりで、短刀を舐めている者もいれば、ひゃっはーと息を巻いている者もいる。


 なるほど、やつらは三歳児の殺害も良しとする悪人らしい。

 シグによる〝査定〟は数秒で終わり、審判の時は訪れた。


『お……おおおおおおぃっ!!? 嘘だろ……ガキが、どうして!?』

『いいから、殺せ!! さっさと、あの悪魔のガキをぶち殺せぇ!!』


 シグはこの三年間で学んだ魔法の基礎を、悪党共という病原菌で試した。


『空間に己の魔力を放ち、それを球として形成、光線を放つ……便利な技だな』


 幾千にも及ぶ魔力球が、蛮族共の脳天や心臓を穿った。

 球から光線が照射されるまで、わずかコンマ数秒。数百にも及ぶ賊が殲滅完了されるまで、たったの三秒。


 なんだ、これでは実験もクソもないではないか。


 悪党共の予想外の弱さにシグは落胆し、手早く彼らの荷物を漁り出した。

 彼らがこれまで略奪してきた、戦利品と思しき木箱の中には……食料、金銭、宝飾品、衣服――そして鉄格子に囚われた、ひとりの少女。


『ひどいな。この世界では、少女を売り渡す風習があるのか?』


 檻の中に収められているのは、一躍の美を誇る少女のエルフだ。肌は白き雪を思わせ、暗闇の中でも煌めいて見える。木箱に敷き詰められた宝石すら霞む黄金の瞳と長髪、ボロボロの衣服と傷だらけの身体でも、エルフの美麗さは露聊かも色褪せていない。


『えっと……そこに、おしゃぶりはないと思うけど……』

『俺が、おしゃぶりが必要なように見えるか?』

『うーん……まあ、ギリギリ』

『と思うだろう? おしゃぶりは、一歳くらいには外すそうだ。俺も驚いた』

『じゃあ、おっぱい?』

『はぁっ!!? おっぱっ!!?』


 千年童貞のシグには、いささか過激すぎる言葉である。


『ほら、おっぱい、飲むんじゃないの?』

『確かに、個体によっては四歳まで飲む者もいるらしいな』

『ごめんね。わたし、まだ一〇歳にもなってないから……おっぱい、出ないかも』

『よせ、やめろ!! 俺には、刺激が強すぎる!!』

『じゃあ、いままで君は何を飲んできたの?』

『ふっ……愛と共鳴する命の調べ、純白の滴は、慈母の宝石』

『おっぱいじゃん。君、ぜったい童貞でしょ』

『三歳児なら、童貞で当たり前だろうが!!?』

『いや、まあ……君……ううん、あなたは』


 少女は、淀みなく言葉を口にする三歳児に恐れおののいている。

 彼がいま、数百もの蛮族を虐殺したというのもそうだし、鉄の檻を素手で破壊したことも信じられない。が、これは現実だ。たかが三歳児が、悲愴な命運に置かれた自分を助けたのである。


『文献で見た。色白で耳が長い種族……エルフだったか。お前たちは、売り物になるほど、希少価値が高いのか?』


 意味深な問いには、一層と恐怖が湧いてきたが、誤魔化しても仕方がない。

 生殺与奪の権利は、この三歳児にあるのだ。嘘を付いて殺されるより、素直に語り明かした方がいいだろう。少なくとも、エルフはそう判断した。


『エルフは、長寿で有名だから。エルフの血は研究対象にもなるし、骨や皮が、装飾品になることもあるみたい。だからわたしも、立派な売り物』


 あまりにも醜い話を聞いて、シグは眩暈すら催した。


 こうしてきちんと対話できる相手を、売り物にしたり、研究材料にするという魂胆が理解できない。この世界の人間は、あぶく銭欲しさに、どこまで外道に成り下がるのだろうか?


『いや……俺の世界も、そうだったな。他者の生を我が物にしようと、ありとあらゆる謀略が巡らされた。醜悪こそが、人の世だということか』


 シグは、彼女の両手に掛かっていた鉄鎖も破壊した。

 それでも、エルフの少女は苦笑いを浮かべて頭を振るばかりだった。


『わたしのことは、もういいの。どうせ、助からない命だから』


 彼女が視線を落とした先、エルフの両足はあり得ない方向に捩じれていた。

 エルフを逃がさないようにと、賊共が彼女の両足をへし折ったのだろう。


 か細い少女の両足はぱんぱんに腫れ上がり、全身に付けられた切り傷からは、膿が出ている。おまけに蠅が寄ってたかって、彼女の命の終わりを報せているようだ。


『わたしのためにって、戦ってくれたお父さんも、お母さんも、殺された。生きていたって、希望なんてひとつもない。だから……もう、ここで終わっても』


 そこまで口にした時、少女は自分の胸がやけに震えていることに気付く。

 涙だ。これまで押し殺してきた悔しさと悲しさに苛まれて、少女は泣かずにはいられなかった。


『生きて、ミア! お父さんと、お母さんのためにも……どうか、生き延びて!』


 自分のためにと、死を賭して戦ってくれた両親のことを思えば、死んでもいいなんて思えるはずがない。でも、自分じゃ何もできない。無様に逃げることすらできず、掴まって、殴られて、売り物として檻の中に囚われてしまった。


 そんな自分の無力感と、父母への謝罪と、死を受け入れつつある自分に憤って、エルフの少女はわんわんと泣き崩れた。


 そうだ……まだだ。まだ、死ぬわけにはいかないんだ。たとえ、どれほど無様な醜態を晒して、地を這いつくばったとしても……お父さんと、お母さんのためにも、死ぬわけにはいかない。


『さて。もう一度、聞くが……死にたいのか? 死にたくないのか?』


 少女は、確かな決意をもってシグを見据えた。


『お願い……わたしを、助けて!』


 その瞬間、少女は燦然たる光に包まれて、総身を蝕んでいた膿も、切り傷も、折れた足も完治された。同時に、闇夜を照らし払うほど莫大なる魔力の奔流が、ミアに宿る。


『これは……なにが、起きて』

『俺の生命力、いや、この世界では魔力だったな。俺の力の一部を、分け与えたに過ぎん』


『いや、でも……あり得ない。魔力には、個体差がある! 剣に自分の魔力を移すことはできても、永続的に付与することなんて出来ないように、他者に魔力の譲渡だなんて!』


『では、なぜ魔力が譲渡できないのか。その理論を、知り得ているか?』


 呆然と押し黙るミアには、どうやら知識がないらしい。

 この三年間――なにもシグは、ただ惰眠と母乳と離乳食を貪っていたわけではない。家族の目を掻い潜って、書斎で魔力や世界の知識を身に着けていた。


 魔力には、個体差がある。

 その個体差というのは、何も量だけに限られた話ではない。


『魔力には特有の配列がある。これを俺は、〝魔力配列〟と呼んでいるが、まあ名称などどうでもいい。二者の間で、魔力の受け渡しができないのは、魔力配列が異なるためだ。なら、この複雑怪奇な配列を〝組み替えて〟やればいい。結果として、俺が改造した魔力は、貴様に適応した。どうだ? 十分な魔力を、感じるだろう?』


 ミアにはシグの言っていることのほとんどが理解出来ていないが、自分が規格外の魔力を受け取っていることは、感じられる。


 しかし……魔力配列を改造し、譲渡できるこの三歳児は、いったい。


『さあ、行け! いまの光を見て、大人たちが駆けつけて来る! 見ての通り、俺はこの有様でな。お前を匿ってやれる余裕はない』


 ミアは立ち上がって、颯爽と駆け出した。だが一瞬だけ足を止めて、背中に向かって声を残す。


『ありがとう……あなたの、名前は?』


『シグ。シーグフリード・エルランデルだ。お前は……いや、いい。名がなければ、エルガードと名乗るがいい。意味は、神の護り手。いつの日か、また相まみえた時、それを俺たちの合言葉としよう』


 シグの言葉を最後に、エルガードは今度こそ立ち止まらずに走り出した。

 深い緑に満たされた森を抜けて、自分の弱音ごと蹴散らすように地を蹴り上げて、生き延びるために走り続ける。


『お、親分!! 助けてください、俺たちの部隊が……クソガキ一匹に!』


 偶然か必然か、エルガードは森の奥深くで、二人の盗賊と出会った。


 一体は、あの場からたまたま逃げおおせたであろう雑魚。そしてもう一体は、エルガードの父と母を殺した、盗賊たちの頭首――。


『あぁ? 分けわかんねえこと言ってんじゃねえぞ……って、なんだぁ? よりにもよって、売り物が脱走してんじゃねえかよ。てめぇら、俺の言いつけを破りやがったな?』


『すっ、すみません、親分! でもこれには、ちゃんとした理由が――』


 言葉と共に、下っ端の首はカッと断たれた。

 頭首の男が振り払った一閃、鉈が描いた放物線は、音が遅れてやってくるほどの高速を誇っていた。


『はっ……はははははっ! 俺の子分共が、全滅したってえ!? だったら、分け前を独占できんじゃねえかよぉ! ったく、雑魚共の子守りもこれで終わりだ! あの日、エルフの親をぶっ殺した時と同じだ! アホみてえな大金が、転がり込んでくるぜぇ!』


 汚らしい哄笑を轟かせた後、暴君の狂気的な視線は、少女へと向けられた。


『じゃ、んなわけだ。この俺さま、アンドレ・イゲマニョンの糧として――今すぐ、ぶっ殺されてくれや!!』


 アンドレが飛び掛かってくる中でも、エルガードの呼吸は落ち着いていた。

 忘れもしない、七日前のあの日。

 父と母が無残にも殺され、バラバラに解体されていく中で、自分は恐怖に怯えることしか出来ないでいた。


 でも、いまはちがう。


 破格の魔力によって強化された身体能力と動体視力に掛かれば、時が止まっているかのように遅く見える。暗がりに包まれていた世界が、明るく見える。


 後悔も、恐怖も、既にない。

 あるのは、ひとえに彼への感謝だけ――。


『本当に、ありがとうございます、シグ。あなたは、わたしにとっての神そのものです。このご恩は……いつの日か、必ず』


 空間に、幾千もの魔力球を生成し、光線を掛け放ったエルガード。

 あの時に見たシグの技を覚え、即座に再演できた素質は、エルフの由縁か。

 いずれにせよ、アンドレは惨めにもただの肉塊と化す他なかった。

 呆けた面で天を仰ぎ見る蛮族は、自分の死に様すらも理解出来ていなかった。


      ♰


『なっ……なんですかな、これは!?』

『大量虐殺のように見えるが、しかし……』

『死体は全て、盗賊たちと思われます。念のため、村人たちが被害に遭ってないか、すぐに確認を取りますが……でも、いったい誰が、こんな芸当を』


 深夜にも関わらず、ルンダールの森での喧騒はいや増すばかりだ。七六〇人にも及ぶ盗賊の全滅、そして頭首のアンドレの死体も、近くの森で発見された。


 父たちが駆けつけてくる前に、シグは邸宅に帰還していたわけであり、いまは窓辺から高みの見物を決めている。


 遠く離れたこの場所からでも、彼らの騒ぎが聞こえてくる。

 それでも、誰もシグを疑う者はいないようだ。

 無事に、任務を遂行できたということである。


『しまった。父の顔を立てるためにも、エルランデル家の徽章でも、落としてくれば良かったか? そうすれば、父が片付けたのだと思われよう』


 などとシグは呟いており、割と本気でもある。

 そもそも彼は、この世界の異物である以上、表に出ない方が賢明だ。

 今回の騒動で、一切の〝異能〟を行使しなかったのにも、理由わけがある。


〝とても、興味深い結末だった。だが、前世界の力を行使しないとは、どういう了見だ? 貴様なら、もっと手早くやれただろう〟


 シグの脳裏に直接語りかけてきた声は、次元を超越する大いなる意思だ。

 彼を異世界に転生させた意思たちは、何やら不服があるらしい。


『どういう了見も何も、俺の異能はこの世界にとって、明らかな異物だ。下手に乱用して、世界に支障を招いても困る。対処できるのなら、この世界の法則で戦うまでだ』


 大いなる意思は一転して、ふふっと晴れやかな微笑を漏らした。


〝流石、我らが見込んだだけはある。貴様の言う通り、下手に異能を見せびらかせば、それは世界の捩じれや矛盾を引き起こす〟


『俺を、試していたのか?』


〝無論、我らは貴様の人格面も含めて、評価した。でなければ、転生したとしても、ただ力に溺れる破壊者となってしまうだろう。そして……〟


『俺が元いた世界の法則――生命力は、全て魔力へと変換された。世界ごとに、異なるエネルギーがあるとは知らなかった。だが、無事に適応されたようだな』


 以前の世界では、秘儀を行使するには生命力を消費していたが、この世界では魔力が必要とされる。よってLv999のシグのステータス、生命力は魔力へと変換された。


 そこそに頭が切れ、平和主義かつ、身の程を弁えた良物件は、なかなか見つかるものではない。シーグフリードは、使命を果たしていると言える。


〝だが、分からんものだな。貴様の目標は、みんなが笑顔でいられる世界……だろ? 今日の戦いで、数百もの人間が死んでしまった。みんなを笑顔にするのではなかったのか?〟


 またしても、試すような問答だ。

 これにもシグは、顔色ひとつ変えずに答えてみせる。


『何を言っている? 〝病原菌〟を、みんなには含めないだろう? お前は、そこに生えているカビを、〝みんな〟と思うのか?』


 世界にとって害だと判断した相手には、徹底して容赦のない無慈悲ぶり。

 これも、大いなる意思がシグを評価する一面だった。


〝ふふふっ……期待しているぞ。この実験が上手くいけば、他の世界でも流用できるかもしれん。ゆめゆめ、出過ぎた真似はしないようにな〟


 大いなる意思の気配が消えると、シグはまた窓の向こうに視線を戻した。


 種を撒いたのは、大いなる意思だけではない。シグも今宵の騒動にて、ひとつ手を打ってある。


 やがてそう遠くない内に、シグの目論見は当たるだろう。


 暗黒の巡礼者ダークピルグリム――シグが創設する裏の組織、今日はその第一歩とも言える記念日となるのだ。


『シグ? どうしたの?』


 近い未来に思いを馳せていると、オリヴィエが弟の肩を叩いた。


『お姉ちゃん……ぼく、こわいよ』


 もしも傍観者がいたのなら、青ざめてしまいそうな切り替わりの速さだが、オリヴィエは弟を抱擁するのみだ。窓の向こうから聞こえてくる騒ぎを、弟が怖がっているのだと信じて。


『大丈夫……お姉ちゃんが、守るからね』


 そうして盗賊たちがルンダールに襲撃してくることは何度かあり、シグがその全てを撃破していった。


 月日は流れ、シグは五歳、オリヴィエは八歳を迎えて湖の場面に戻る。

 一段と剣技の鍛錬に励む姉を、切に応援しながら、シグは二年後の剣舞祭けんぶさいを楽しみに待った。暇つぶしに、世界の病原菌を駆除しながら。


「シグー、おっぱいの時間よー」

「いや……ぼく、もう、五歳だから……」

「あら、そうだったわね。つい、習慣になっちゃってて」

「お母さま。わたしも、母乳は出るでしょうか」

「うーん……オリヴィエちゃんじゃ、流石に……」

「待っててね、シグ。お姉ちゃん、絶対に健やかに育つから」

「いや……あの、ぼくは、べつに……」


 近頃、ブラコンぶりが半端ない姉のことは、シグの懸念となりつつあった。

 勿論、童帝的な意味でである。

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