第2話 真の強者は、爪を隠す。


 いくら身体が赤ちゃんでも、シグのポテンシャルをもってすれば、癇癪ひとつであらゆる強者をも撃破できるかもしれない。


 だが、流石に身体が赤ちゃんでは、旅立つ以前に、そもそも二足歩行すらままならない。結局シグは、エルランデル家の長男として、生まれ育つことを受け入れた。我が子に愛を注ぐ父母のこともある。自分勝手に世界を練り歩くなどは、当分、先のことにした。


「シグ! ほら、お姉ちゃんだよ、お姉ちゃん!」

「あう、あうあうあうー(クソ、声帯が未成熟で、名前すら呼べやしない)」


 シグには三歳上の姉がいて、彼女もまた弟を心底可愛がった。

 オリヴィエ・エルランデル。


 黄金の糸のように繊細かつ美麗な金髪と、深い海を思わせる青い瞳、きめ細かな白い肌を持った少女は、幼くして美しさの何たるかを体現していた。母、エイナルに似たと言える。


 反対に、弟のシグは父レイフに似た。黒髪に黒の瞳、温かさを感じさせない冷徹な眼差しを持っていて、まだ一歳だというのにシグはどこか達観している風韻を漂わせていた。勿論、それは彼がダークファンタジー世界の覇王だったこともあるのだが、家族の前ではただの赤ちゃんのフリをつとめた。


「あう……あうあ、うあうあうー(にしても暇だな、少しはこの世界について勉強しよう)」


 エルランデル家は、貴族というほど豪奢な肩書きを持っているわけではない。だが、片田舎の、多少は名の知れた一派程度の名声はあり、シグが住まう邸宅もそれなりに豪壮だった。


 二階建ての本館と、剣技を鍛えるために拵えた別館、そして魔法を極めるための地下室が構えられている。


 時折、父と母が口にする「剣技、魔法」といったフレーズから、シグは前世と異なる技術がこの世界に存在するのだと確信し、ではその一端を垣間見ようではないかとはいはい歩きで何度も赤ちゃん部屋を脱走しようとしたのだが、ほぼ毎回姉のオリヴィエに捕まってしまい、結局は惰眠と母乳を貪るだけの毎日を送った。


 ――そして、三歳になった。


 シグはひとりで歩けるようになり、拙くも会話できる程度にはなった。

 まだまだ家族からの監視の目は強いものの、それなりにひとりで行動できる。


「ほらね、シグ。剣は、こうやって振るんだよ? 魔力を込めて、どーんっ! って叩き込むんだ!」


 どうやらこの世界には、〝魔力〟なるものがあるらしい。


 書庫で読んだ限り、魔力とは人間やエルフなど、一部の生命体に宿っている、神秘的なエネルギー物質だ。魔力には個体差があり、日々の生活や、鍛錬によって、少しずつ上限を拡張することが出来る。


「お姉ちゃん、すごい」

「ふふん、でしょ、でしょ? お姉ちゃんは、天才だもん!」


 姉のオリヴィエは天才かつ努力家で、六歳にして大人顔負けの魔力を保有していた。エルランデル家は〝剣〟に拘りがあるらしく、何でもエルランデル流というひとつの流派を確立しているそうだ。


「オリヴィエ、今日も稽古を始めようか」

「はい、お父さま。お手合わせお願いします」


 姉は日々、父と鍛錬を積み重ねていた。二人の稽古をよく見ておくようにと、シグは道場に連行され、退屈な毎日を過ごした。


(……やっぱり、止まって見えるなあ)


 父と姉、二人が交わす剣戟は高速の域に達していて、一刹那の間に一〇を超える斬撃が交差することもあった。だが、いずれの剣筋もシグの目にはスローモーションで再生されている。


 たとえば、父と姉が剣を衝突させる寸前で、シグはその刃圏に首を突っ込み、ギロチンごっこを楽しんだ挙句、次の瞬間には元の場所に何食わぬ顔で戻ることすらできる。いや、できた。実際にそういう遊びで暇を潰して、シグは鋭利な刃よりも魔力で強化した三歳児の指先の方が固いことも確認した。


 僥倖にも、父と娘の手合わせによって、シグは人間の強度や、武器の脅威を、おおまかに確認できた。


「見ておくのだ、オリヴィエ、シグ。剣技を極めた者にかかれば、剣ひとつで、湖を割ることもできる」


 オリヴィエは八歳、シグは五歳を迎えた。

 もう一歩踏み込んだ指導が必要だろうと、父は渾身の魔力を込めて剣を振る。すると水面には斬撃が駆けたような跡が残り、遅れて衝撃が全面に渡って伝播していく。


「湖を割るっていうには、大袈裟じゃないか?」


 幸いにも、シグの呟きはいまの一撃による騒音でかき消された。

 父はまんざらでもない顔のまま、オリヴィエへと首を巡らせる。


「さあ、やってみせろ。オリヴィエなら、出来るはずだ」


 突然の無茶ぶりではあるが、姉は鷹揚と剣を構えた。


「はい。分かりました、お父さま」


 オリヴィエは疾強風すら巻き起こる魔力の束を纏い放ちながら、その力を全て己が剣へと注ぎ込む。自分の手から接触物へと魔力を移す、完璧な魔力操作だ。


「……っ」


 だが、オリヴィエの魔力の総量は、父と比べるとまだ小さい。

 父のように湖全体を震わすことはできず、慎ましい斬撃を水面に刻み込むのが関の山だ。


 きっとオリヴィエは、これを悔しく思ったのだろう。

 オリヴィエは歯茎を剥き出しにして、怒りに拳を震わせていたのだが、


「おおっ、流石は私の娘だ! 見事なものだな、オリヴィエ!」


 一拍間をおいて、湖は盛大に飛沫を上げた。


 湖の水が全て、天に舞い上がるほどの凄烈な一撃。父は興奮に息を荒げている傍らで、オリヴィエは口を開けたまま唖然としている。


「いえ……お父さま、いまの所業は、わたしのものでは」

「すごい、お姉ちゃん! ぼくのお姉ちゃんは、最強だね!」


 この一件の犯人は、言わずもがなシグである。オリヴィエが剣を振った瞬間、これでは湖を割るに足りないと危惧した五歳児が、即座に剣を抜刀し、オリヴィエの斬撃に合わせた。結果、法外なまでのシグの斬撃が湖を割った。


 しかしシグの抜刀は、常人が目で捉えられる領域を遥かに凌駕している。

 オリヴィエが動揺のあまり、周囲に首を向けてみるも、五歳の弟が主犯などとは思いもしない。よって、自分がこの天変地異を巻き起こしたのだと錯覚した。


「この調子で、鍛錬を怠らぬようにな。一〇歳になったら、剣舞祭けんぶさいに出場する。エルランデル家の威容を、しかと大衆に見せつけるのだ」


「はい、お父さま。必ずや、栄光を持ち帰ります」


 星影の剣舞祭けんぶさい


 五年に一度開催される、剣士たちのトーナメント戦があると父は言っていた。それが今度は二年後にあるらしく、シグは姉の活躍を心待ちにした。


 オリヴィエが湖を割ったという伝説は、彼らが住まうこの街、ルンダール中に知れ渡り、天才の剣士としてもてはやされた。


 稀代の剣聖――オリヴィエ・エルランデル。


 なんて気取った二つ名で、姉は周りから呼ばれるようになった。


「大丈夫よ、シグちゃん。シグちゃんは、まだ五歳なんだから」

「ああ……きっと、オリヴィエに似たいい剣士になる。まだまだ、これからだ」


 一方で、シグは父と母から同情の言葉を掛けられている。姉が剣を振っていた五歳と比較して、まだ満足に剣も持てないシグを哀れんでいるのか。


 実態は、シグが〝才能なし〟を装っているだけなのだが。


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