『スタート』「カクヨムWeb小説短編賞2023」創作フェス 1回目お題参加
だんぞう
「スタート」
「ねっ、
屈託のない笑顔で話しかけてきたのは、クラスカースト一軍序列第三位の
別に仲良くもない皆戸に付き合う義理もないのだが、当たり障りのない二軍な僕に選択肢などない。
だから適当に愛想の良い表情を浮かべ席を立つ。
「いいよ」
僕がそう答えたときにはもう皆戸とその取り巻きは僕に背を向け、教室を出て行くところ。
急いで追いかける。この速度が誠意。
行き先は隣のクラス。
そこで僕はまるで皆戸の所持品であるかのように、隣クラスの一軍連中にご披露される。
「今日は三回くらいはいける?」
勝手に決められた回数だけど、今日の体調ならなんとかなりそう。
「多分」
「みんな聞いた? 今日は三回だよ!」
なぜか皆戸がドヤ顔で宣言し、僕は誰のかは知らない席に座らされる。
すると隣クラスの一軍序列第一位、
皆戸についての隣クラス遠征はもう一週間になるけど、本当のトップがおいでになったのは初めて。
「じゃぁさ、最初は私。いいよね?」
僕も皆戸も当然断らない。
すっごい緊張するのは隣クラスのトップってだけじゃなく、美人・金持ち・現役モデルという三拍子揃った別世界の人だから。
「あの、僕のやり方だと指で触れないとダメなんですけれど、それでも大丈夫なら利き手を出してください」
「え? 手のひら以外にも触りたいの?」
一瞬、答えに詰まったのは、まさか百合ヶ崎さんがそんなことを言うとは思わなかったから。
「手のひらだけです」
「わかってるって!」
周囲がどっと笑う。
まさかこの一週間のあいだに鉄板化したこの導入の戯れ合い儀式を恐れ多くも百合ヶ崎さんがご存知だったとは。
というかこの前置きコント、ちょっとウザいんだよね。
もちろんそんな内心はおくびにも出さず、僕は笑顔を浮かべた。
「何を見ますか?」
「えっとね、野球部の小谷に告られたんだけど……」
小谷は同中だったから知っている。
ステータスを運動能力に全振りしたスポーツ馬鹿なんだけど、うちの高校を地区大会優勝まで導いた左腕がスカウトの目に止まったとか止まってないとかいうのを耳にしたっけ。
百合ヶ崎さんの利き手の恋愛線に意識を集中する――見えてきた。「スタート」が。
この能力を最初に認識したのは中二の夏休み。
自称モテ研究家の悪友、
「まずな、これが生命線でな。これが長いと長生きするらしいぜ」
合法的じゃない方法も考えてたんならお前怖いよ、とか思いながら何気なく覗き込んだ倫彦の手に、それは見えた。
生命線とやらの端っこに「スタート」という文字が。
「マジかよ倫彦。お前なんでスタートとか書いてんだよ」
まさかこのギャグのために手相とか言い出したのか?
でも倫彦は、笑う僕を見つめてポカーンとしている。
「いやいやいや倫彦。何とぼけてんだよ。もうネタは上がってんだぞ?」
「助やんこそ、そういうボケは要らないって」
倫彦はちょっとムッとしている。
「マジで言ってる?」
「大マジ。つーか、どこに書いてるって?」
「ここ」
倫彦の生命線の端、「スタート」と書かれた場所に触れた途端、脳内に映像が流れた。
太ったオッサンが一人、医者に禁止されているにも関わらず甘いものをやめられないでいた――このオッサン、まさか未来の倫彦か?
わずかに面影がある未来のデブオッサン倫彦は、糖尿病になり、外出も億劫になり、やがて孤独死という最期を迎える。
ふいに涙が溢れた。
長年の友人を喪った悲しみが心の中いっぱいに広がって。
「お、おい、助やん……なんだよ。すげー演技力かよ」
「信じてもらえないかもしんねーけど、今な、倫彦の未来が見えたんだよ」
「俺のっ? 未来っ?」
「うん。倫彦、甘いものが好きすぎてすげー太ってて、糖尿病になって、自分の部屋に引きこもって孤独死だった」
「ちょ、助やん。冗談にしたってちょっとキツ過ぎねぇ?」
もう一度、倫彦の「スタート」に触れてみる。
同じヴィジョンが見えた。
「もしこれが俺の気のせいじゃないのだとしたら、倫彦は甘いものを控えてくれよ。俺は倫彦にあんな未来が訪れてほしくないんだよ」
その日はそこでお開きになった。
とても気まずい気持ちで夜を過ごし、そして朝。
倫彦から電話がかかってきた。
「助やん……俺さ、実は助やんには内緒だったんだけどさ、いっつも風呂上がりにアイス食ってたんだ。多いときには二つ。それをやめることにした。なんかさ、それとなく親に聞いたら、うちの家系って糖尿病多いんだってよ。それと昨日の助やんに突如目覚めた能力ってやつ、俺、信じるから」
自分でもまだ信じきれないこのヘンな能力を、信じてくれる親友のなんてありがたいことか。
その後、倫彦の家へ行き、もう一度生命線の「スタート」に触れた。
今度見えたのは、倫彦が普通に長生きして老衰する未来。
太ってもなかったし、なんならかっこいいイケ爺だった。
その後二人で色々と検証して、この能力のだいたいのルールを把握した。
一日に「スタート」を見れる手相線の本数は、今のところ二本から五本くらい。
睡眠不足だと回数が減るっぽい。
「スタート」に触れて見える未来は、その手相線にまつわる部分のみ。
例えば、生命線で長生きが見えても、誰と結婚したかとか、子どもがいるかとか、そういうのは一切見えない。
改心前の倫彦が孤独死とわかったのは、突然倒れてけっこう長いこと苦しんでいたのに、誰も助けに来なかったから。
見える未来が壮大に長くとも、現実時間では一瞬っぽい。
あと、画像とか映像とかだと「スタート」が浮かばない。生の手じゃないとダメ。
僕自身の手相線にも現れてくれなかった。
そして一番大事なのは、未来は変えられるってこと。
あくまでも現時点の状態を「スタート」とした未来が見えてるだけっぽい。
「触れます」
百合ヶ崎さんの恋愛線の「スタート」に触れる。
見えてきた未来――百合ヶ崎さんが小谷を引っ叩いてる?
百合ヶ崎さんは今よりずっと大人びていて、ウェディングドレスを着ている。
そして「この浮気者!」とか「何回目なのよもう!」とか「今日が式だってわかってる?」とか怒鳴っている。
未来のヴィジョンが消えて、僕の意識が現実へと戻ってくる。
「そこそこ長く付き合って結婚まで行くんだけど、式の当日に何回目かの小谷の浮気がバレて破局するっぽい」
「ほらー、言ったじゃーん」
百合ヶ崎さんの取り巻きの一人が、隣町で
けっこうショックを受けている風の百合ヶ崎さんへ別の取り巻きが「スカウト来て調子に乗ってんだってば」とも。
見えた内容が恐らく本人の希望通りじゃなかった場合、なんだか申し訳ない気分になる。
逆ギレされるのも怖い。
ドキドキしながら百合ヶ崎さんの様子を見守っていると、大きくため息をついたあと、「ありがと」と小さな声で言ってくれた。
そこから更に二回、手相線から未来を見ると、皆戸の宣言通り、もう誰の手相にも「スタート」が現れなくなってしまった。
ちゃんと回数をこなしたからか、皆戸はじめ周囲の人たちの機嫌は悪くない。
ただ一人、この集団の外側からずっと不機嫌そうにこちらを睨みつけている視線の主を除いて。
初めて見る顔だった。
それならそれで、ものすっごい美人だから、もっと話題になっててもおかしくないんだけど。
実際、タイプは違うけど百合ヶ崎さんに負けていない。
透けるような白い肌、髪と瞳は真っ黒で、唇はやけに紅く感じる。
僕を睨みつけている顔は、恐ろしくもあり、それなのに凄まじく美しい。
まるでこの世のものじゃないみたいな――いや実はそれよりももっと大きなツッコミどころがあった。
その睨み美人の額に大きく「スタート」が見えるんだけど。
ちょっと待って。顔に指紋なんてないよね?
睨み美人の顔には当然シワの一つもない。
「おい、助川っ!」
皆戸が僕の背中を勢いよく叩いた。
「今日はおっつー! サンキューねっ! また明日もよろしくぅ!」
皆戸はさすが序列三位って感じの無邪気な笑顔を浮かべる。
「ああ、うん」
そしてこのわずかな間に、睨み美人の姿が見えなくなった。
廊下に出たのかな?
自分の教室に帰る体で廊下へ出てすぐに左右を見渡すが、あの子の姿らしきものはない。
なんだったんだろう。
見間違いなのか、僕の能力がバグったのか、それともあの睨み美人が特別なのか。
つーか、あの子を見つけてどうするってんだよ。
初対面の女子に「おでこ触っていいですか」なんて聞けるほどの厚顔なチャラさは持ち合わせていない。
それに。
自分の手のひらを見つめる。
相変わらず自分のは見えない。ということは、いつこの能力がなくなったとしても自分ではわからないということ。
突然新しい力が出てきたりするならば、今ある力も突然なくなったりするのかな。
能力が急に消えたら、明日とか皆戸に激怒されたりして。
理不尽に三軍堕ちとかさせられたりして。
うわー。考えたくないなー。
そんな風にモヤモヤしたまま眠れぬ夜を過ごした僕は翌朝、教室に入るなり、皆戸に連れ出されてしまった。
人があまり来ない東階段、屋上出口前の踊り場へ。
屋上へのドアは施錠されているから実質袋小路。
そこに追い詰められるように立たされた僕の顔を皆戸が覗き込む。
軽くビビっていた僕の耳に届いたのは意外な言葉だった。
「ねー、助川ぁ。具合悪そうだけど大丈夫?」
てっきり怒られると思っていた僕は少しばかり拍子抜けした。
一軍の皆戸が、二軍の僕のこと気遣ってくれているだと?
いやいや落ち着け。
皆戸にしてみれば、自分の道具が壊れたら対外交渉に支障が出るとかそういう理由かもしれない。
「……ごめん、助川ぁ。最近は毎日お願いし過ぎだったよね? 助川が断らないから……」
断るなんて選択肢ないでしょ?
「私、助川に甘えちゃってたね。本当にごめん」
んん?
皆戸はやけにしおらしいし、なんなら耳もちょっと赤い。
そんな皆戸の申し訳なさそうな表情を見て、ちょっぴりドキっとした。
そういや皆戸、僕のこの能力のこと、すぐに信用してくれたよな。
教室の端っこで倫彦と一緒にこの能力の話題で盛り上がっていたときに突然、皆戸が話に混ざってきたのが最初だったっけ。
私のも見てよって言われて、ちょうど中間テスト前だったこともあって頭脳線でテストの点数はどうなるって聞かれて。
僕が「家で密かに勉強頑張って九十点いく」と答えたら、実際、その通りになって、それで皆戸に気に入られたんだ。
ただ思い返してみると、僕の能力を疑うような言動は一切しなかったんだよな。
皆戸自身が友達に「インチキ信じるの?」ってからかわれたときも、「もし当たったら凄いよね」って前向きなことしか言わなかった。
皆戸って実はいいヤツじゃないか。
一方的にクラスカースト順位でしかものを考えてなかった自分が恥ずかしくなる。
皆戸の顔をもう一度見る。
え?
どういうこと?
今、皆戸の額に「スタート」が現れてるんだけど。
「なんだよ助川ぁ、人の顔ジロジロ見て……ま、まぁ、見とれたくなるほど可愛いって自覚はあるけど?」
皆戸の面白いギャグにうまく反応できない。
「もー。反応悪いなぁ! そんなん具合悪いんなら、保健室連れてってあげるよ」
その直後、皆戸が僕の手をつかむ。
柔らかくて、温かくて、ちょっぴり汗ばんでいて、僕はすごいドキドキした。
今なら額の「スタート」に触れさせてもらえたり――さすがにそれはないか。
「あー! お兄、こんなところにいたーっ!」
「
僕と違って出来がいい、一学年下の妹。
「お兄ったら今日、お弁当持ってくの忘れたでしょ! 重たいのわざわざ私が持ってきてあげたんだからねっ! 今日の帰り、何かおごってよね!」
「あ、うん……」
皆戸につかまれていた手をさりげなく抜いて、弁当包みを受け取る。
「聞いた?
「え、わ、悪いよ……」
妹の後ろに隠れていた柚乃ちゃんがおずおずと出てきた。
柚乃ちゃんはお隣さんで妹の親友。
妹同様、なんでこの高校来たのってくらい頭がいい。
しかも天然癒し系美少女で、俺にまで優しくしてくれる天使みたいな子――なんだけど、絶対に、昨日までは額に「スタート」なんて現れてなかったはず。
皆戸の顔をもう一度見る。「スタート」がある。
柚乃ちゃんの額にもまだある。
おいおい、なんで美知の額にまで「スタート」が出てるんだよ!
今朝まではなかったよな?
いったい何が起きてるんだ?
ヤバい。混乱してきた。
僕は適当にごまかして、その場から脱出した。
「ってことがあったわけよ。どう思う?」
「どうって……助やん、それどう考えても恋愛フラグじゃね?」
「恋愛って一軍の皆戸が? 百歩譲って幼馴染の柚乃ちゃんなら、小さい頃の思い出補正とかであり得るかもしれないけど、美知なんて妹だぞ?」
「実は血がつながってない、とかだったりして」
「やめてくれよー。毎日顔を合わせるんだぞ? 気まずいったらありゃしない」
「助やんが気付いてないだけで、実はモテモテなんじゃないのか?」
少し声が上ずった倫彦は、ほのかに上気して、しかもその額に「スタート」が出現。
お前もか?
ちょっと待て。
倫彦も、その――考えたくないけどそのフラグなのか?
「そ、そういや俺の恋愛線、まだ見てもらったことなかったよな?」
倫彦のテンションが明らかにおかしい。
これはこのままじゃ何かイケナイ気がする。
僕は突然用事を思い出したことにして倫彦の家を出た。
結局、倫彦の額に一度出た「スタート」は、倫彦の家を出るまで消えなかったな。
まさか触れてみるまでずっと出っ放しなのか?
すると帰宅したらまた妹の額に見ることになるのか?
手相線の「スタート」を見える本数は、一日の上限を超えるとそれ以上は現れなくなる。
明らかに今までとは違う展開だ。
それにしても恋愛フラグって――倫彦の言葉に再びモヤモヤがぶり返していたからかもしれない。すぐ目の前に人が居ることに気づかず、ぶつかりそうになってしまったのは。
慌てて体をひねって無理な体勢で避けた――けど絶対に今、僕の手が相手の人の手にぶつかったはず――なんだけど、すり抜けた?
「アナタ、見えるヒトなんだ。ウレシイ!」
背筋が凍りつきながら、相手の人を見た。
蒼白い顔の美人、だけど首には大きな切り傷があり、真っ白いワンピースの右側を紅く染めている。
それなのに裾から滴り落ちる血は、地面に跡を残さない。
「ネェ、いまさら見えてナイフリしてもムダよ」
さらに言うならば透けている。
ワンピースが濡れて、とかじゃなく、もう全体が。
明らかにこの世のモノじゃない――その上に、額には「スタート」。
考えるよりも早く駆け出していた。
全力で、走って走って走って逃げた。
脇腹が痛くなっても、立ち止まったら命の保証はなさそうだから。
肺の音が口の中でこだまするくらいゼーハーしながらひた走った。
途中、警察手帳片手に聞き込みをしてきた女刑事さんと、時代劇から飛び出してきたみたいな騎馬武者と、電柱の影から震えながらこちらを見ている家政婦さんと、どう見てもエルフにしか見えない耳長お姉さんと、デスゲームの主催者みたいなベネチアンマスクと黒マントな人と、王冠かぶってやけにメルヘンな衣装を着た二足歩行のカエルと、ワンオペ子育てママさんと、銀色の円盤みたいなのから出てきた宇宙人と、人面犬と、ボロい柔道着にハチマキな筋肉お兄さんと、ドエロイ革のボンテージ着たナイスバディの女王様と、サッカーボールを小脇に抱えた少年と、サックスを吹きながら走る女子中学生と、爪で電柱を切り裂く赤鬼と、コートの下には全裸なおじさんとに遭遇して、その人たち全員の額に「スタート」があったけれど無視してぶっちぎった。
何が起きているのか全くわけがわからない。
けれどあれらの「スタート」に触れてしまったら、何か取り返しのつかないことが起きそうで、とにかく何もかもから逃げ続けた。
でも今思えば、あのうちのどれかの「スタート」をさっさと押しちゃえば良かったのかも、とも。
あくまでも今思えば、だけど。
だってまさかこんな場所に迷い込むなんて思ってもみなかったから。
薄暗いのになぜか高い高い天井までもがしっかり見える。
何かに例えるなら、ギリシャの古い遺跡みたいな神殿。
ただし人間ではなく巨人サイズの。
全体的に緑色なのは、この鼻の奥がひりつく磯臭さと関係しているのだろうか。
僕の足は勝手に奥へと進んでゆく。
ナニカに呼ばれているような、それについて考えてはいけないと脳が思考を拒否しているみたいに、この先のナニカへ意識を向けるのが怖い。
この心身の芯から滲み出す原初的な恐怖に比べれば、あの血まみれお姉さんなんて可愛いもんだった。
未だに何にも出会わない。
当然「スタート」も見えない。
なのに、もう、取り返しのつかない何かが始まってしまっている気がして止まない。
<終>
『スタート』「カクヨムWeb小説短編賞2023」創作フェス 1回目お題参加 だんぞう @panda_bancho
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