いちについて、よーい……

磧沙木 希信

いちについて、よーい……

「これ、今回の分です」


「ああ、ご苦労様」


 大通りから一本入ってさらに一本入った場所にある、こじんまりとしたビルの一角。


 私が小説を書いている出版社はそんな場所の三階にある。


 本屋に並ぶ時には端の端、もしかしたら取り寄せが必要になるぐらいの小さな出版社である。



「それじゃあ、次の企画なんだが……」


 タバコに火を点け、大きく吸い込み「ふぅー」と深く煙を出する担当者。それだけで部屋の中は煙でいっぱいになる。奥に居た従業員のおばちゃんが「ゴホゴホ」と咳をしながら窓を開けるのが見えた。出版社にはこの二人しかいない。



「わかりました」


「それじゃ、よろしくね。締め切りは……」


 打ち合わせを終え出版社を出て階段を下りる。古すぎてエレベーターが無いこのビルは、外壁には所狭しとヒビが入ってる。


 大通りに出ると人が多くなり賑やかになっていく。人混みを縫うように歩き、駅に向かう。


 駅に入り電車に乗る。乗り換えをするたびに車両が短くなり、田んぼが広がっていく。


 電車から降りて十分ぐらい歩いてやっと家に着く。真昼間という事もあり、この間にすれ違った人はいなく、野良猫を二・三匹見たので、「もしかしたら人より猫の方が多いんじゃないか」なんて考えながら帰った。


 築三十年は経っているであろう古いアパート。二階建てで全八部屋。その二階の左端が私の家だ。


 階段を上がるたびに「カンカンカン」と音がする。


 部屋の前に立ち鍵を差し込みドアを開ける。建付けが良くないのか「ギギギ」と鳴き声をあげる。


 和室の八畳と小さな台所とユニットバス。一人暮らしには十分な広さだ。


 コタツに足を入れ、座椅子に背中を預け天井を見る。


「なかなか書きたいのを書かせてもらえないなぁ」


 あの小さな出版社で仕事を貰って数年。なかなか思い通りにはいかない。


「はぁ~」


 気が重くなり、大きなため息をついてコタツに突っ伏す。


 コタツが暖かくなってきて睡魔が襲ってくる。


 そのままウトウトしていると。


 パァン


 遠くで何かが破裂した音がした。


 パァン


 もう一度。


 パァン


(時々聞こえてくるけどなんの音だろう?)


 気になったので眠気覚ましをかねて散歩に出てみる事にした。


 パァン


 だんだんと音に近づいてきた。


(こっちには来た事がなかったなぁ。ん? )


 学校が見えてきた。近くに行ってみると○○高校と書いてあった。


(こんな所に学校なんてあったんだ)


 パァン


 どうやらこの学校から聞こえてくるみたいだ。学校に沿ってグルっと回ってみる。


 校庭が見えてきた。陸上の練習でピストルを鳴らしていたみたいだ。


「いちについて、よーい……」


 パァン


 ピストルの音に合わせ選手たちが一斉に走り出す。


 その姿をボーっと眺めていると学生時代を思い出した。



 友達がいなかった学生時代。休み時間には冒険物の小説を読んでいた過ごしていた。


 そのうち自分でも書いてみたくなり、趣味で書き始めた。


 今度は誰かに読んでもらいたくなった。


 家族に見せるのは恥ずかしかったので、適当な賞に出してみた。


 何作か出すと佳作を取った。すごくうれしかった。


 しかし一つミスをしていた。


 本名で出してしまっていたのだ。


 次の日から私の日常が一変した。


 話した事もなかったクラスメイトから話しかけられ、みんなの前で担任の先生に褒められた。


 浮かれていた。プロになれるよ、と無責任にもてはやされて、その気になっていた。


 両親の反対を押し切って大学には行かず上京した。


 しかし、田舎の娘にはコネなどありもせず小説の仕事なんて無かった。


 やっとの思いで貰った今の仕事も、本来書きたかったワクワクする小説とは遠い物だった。


 それでも何もしないよりはマシ。


 そう言い聞かせて数年経ってしまった。



 パァン


 ピストルの音で今に戻される。


 数人の選手たちが一斉に走り出す。


 またそれをボーっと眺めている。


 しばらくするとある事に気づく。


 いつも最下位の選手は同じだった。


 何回やっても最下位。


 遠目ながら悔しさが伝わってくる。


 そうなると応援したくなってくる。


(頑張れ、負けるな)


 名前も知らない、顔も良く分からない。えんもゆかりも無い。


 そんな選手を応援している。


 パァン


 もう一度走り出した。


(行け! 行け! )


 爪の痕が付くほど拳を握りしめる。


(おっ! )


 前半はまた最下位だったがゴール手前で見事抜き返した。


 今までの悔しそうな表情とは一変して満面の笑み。


 その笑顔に勇気を貰った気がした。


 勝手に応援して、勝手に勇気を貰う。


 でも心が軽くなった気がした。

 

 パァン


 ピストルの音が響く。


 今度は私の番のような気がした。


 私は走り出す。


 運動不足がたたって直ぐに脇腹が痛くなった。


 でも足を止める事はしなかった。


 家に着く。


 机替わりのコタツに座りペンを持つ。


「いちについて、よーい……」  


 パァン


 私のペンが走り出す。最下位から抜け出すように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いちについて、よーい…… 磧沙木 希信 @sekisakikisin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ