6等星の初日の出

瘴気領域@漫画化してます

6等星の初日の出

「ミスズちゃーん、こんな夜中に何してんのー?」


 満天の星空の下、屋上で天体望遠鏡の調整をしていると、背中からサクラ先輩の声が聞こえた。


「見ての通り、初日の出に備えてるんですよ」


 バズーカみたいな望遠鏡をぴったり狙った方向に向けるのは案外難しい。

 手元ではミリ単位の修正でも見かけの距離は何センチもズレるし、宇宙の果てではそれこそ何十光年、何千光年という膨大な誤差になるのだ。


「電動雲台にすればいいのに」サクラ先輩の無邪気な言葉に、

「風情がないじゃないですか」とレンズを覗きながら応じる。


 位置はオッケー。レンズ中央でばっちり捉えられるはずだ。

 幸いにして西側の空は雲ひとつない。観測衛星からの情報では風も弱く、大気も澄んでいる。水平線から顔を出す太陽がばっちり収められるだろう。望遠鏡がズレないように、慎重にデジタルカメラを接続する。


「それは風情があるの?」とサクラ先輩。

「これは撮影用です。本命はこっち」と私は望遠鏡から離れて振り返り、首にぶら下げた双眼鏡を見せる。


「先輩は何も使わないんですか?」と尋ねれば、

「ほら、あたし両眼2.0だから」と長いまつげを瞬かせてにやっと笑う。


 先輩は高校時代からずっと視力が良い。長い長い時間を経ても変わっていない。

 一方の私はずっと昔からド近視だ。いまは手術やアイデバイスでの矯正も簡単らしいが、眼球に直接何かするというのはどうにも恐ろしくて、昔ながらの眼鏡を愛用している。


「それにしても星が綺麗だね」サクラ先輩が空を見上げる。

「東京じゃ1等星くらいしか見えなかったですもんね」


 つられて見上げると、濃紺の布地にガラスの粉を散らしたような景色。それを横切るのは白くかすみがかった一筋の流れ。天の川とか、ミルキーウェイとか、そういう命名をした昔の人は詩人だと思う。


 遠くからうおーんわおーんと何かの遠吠えが聞こえる。きっと、東に広がる山中に住んでいる生き物の声なんだろう。

 首筋が痛くなってきたので、視線を西の水平線に戻した。


「勝手に屋上上がって怒られないの。部長、こういうのうるさいじゃん」

「私はちゃんと許可もらってますから。ところで先輩は?」

「いやー、トイレに起きたら迷っちゃってさあ。気がついたらここに」

「言い訳下手ですか」思わず苦笑いする。


 屋上に出るゲートには個別のセキュリティがかかっていて、認証されたカードキーがなきゃ出入りできない。ちょろまかしたか、キーを改造したんだろう。


「高校のときもそうでしたよね? 先輩が普通に出入りしてるから、許可をもらってるんだってみんな勘違いして――」

「許可をもらったなんて一言も言ってないしねー。私は嘘はついていない」

「まあ、確かに嘘はついてないですね」


 合鍵を勝手に作った先輩に連座させられて、天文学部は一同反省文の提出となった。そんな無邪気さも、子供っぽい笑顔も、遠い過去になったというのにまるで変わってない。


「でさでさ、初日の出ってどこから昇るの?」形勢不利とみるや、話題を変えるクセも変わっていない。


「うーんと、あの赤い1等星と、紫の1等星を直線で結ぶじゃないですか。それを線分で結んで、赤寄りに3分の1くらいところから垂線を引いた先です」星空を指さしながら場所を示してあげる。


「おおー、助かる。こういうとき、星座がないのは不便だよねえ」

「特定の神話をなぞるってわけにもいかないですからね」


 このコミュニティには、百カ国以上の出身者がいる。日本神話にせよ、ギリシャ神話にせよ、あるいは他の神話にせよ……命名に選ばれなかった文化に属する人たちは、ちょっとした不満をおぼえるだろう。ほんの些細なことでも、降り積もれば不和のタネになる。慎重に避けなければいけない。


「んじゃあさ、私たちだけで通じる星座作っちゃおうよ。ええっと、あっちの3つと、こっちの3つを繋いでハンバーガー座とか。あれはカツ丼座で、その隣のは生ビール座」

「ぜんぶ食べ物じゃないですか」

「飲み物もまざってますー」


 まったく、ああ言えばこう言う人だ。本当に変わらない。

 まあ、合成食料ばかりの毎日だし、本音を言えば私だって食べたいけど。


 ピピッとアラームが鳴る。おっと、3分前だ。ビデオ録画を開始し、双眼鏡を構える。引き続き視界は良好。これならばっちり初日の出が捉えられるだろう。


 ここに至ってはさすがの先輩も黙って水平線を見つめている。独特な香りの潮風が先輩の前髪をさらさらとなびかせる。


 水平線に視線を戻す。比較対象があると星空が動いているのがよくわかる。ゆっくり、ゆっくりと。なめらかに昇っていく。


 ピピッとアラーム。残り10秒、9秒、8秒……3、2、1……


 目を凝らしてようやく見えるおぼろげな小さな点が水平線から姿を表した。


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「明けましておめでとう。この惑星ほしでもよろしくね」


 ここは太陽系第3惑星地球から遠く離れた惑星だ。

 数百年にわたるコールドスリープから目覚めて、はじめての新年。あくまでも地球の日本時間準拠だけど。


 この惑星は重力も、公転周期も、自転の向きも、何もかもが地球とはちょっと違うけど、カツ丼と生ビールが気兼ねなく飲み食いできるまで発展させていきたいな、と6等星の太陽に誓った。

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