俺の学校生活がスタートしない

くれは

 * * * 

 入学したばかりの中学校。その学校生活がスタートしない。

 入学式翌日の登校。それが問題だった。

 俺はその日、着慣れない制服を着て、少し早めに家を出た。その理由は隣の家にある。隣の家に住む同い年のユウカ。俺はユウカと顔を合わせたくなかったからだ。

 小さい頃は仲が良かった。一緒に遊んでいた。でも、小学校の高学年になる頃から、なんだかお互いに話しにくくなってしまった。それは周囲からのちょっとしたからかいとか、目線とか、そういうものを気にしてのことだったと思う。

 示し合わせたわけでもなく、俺たちは同性の友達と遊ぶようになって、お互いにあまり話さなくなった。顔を合わせてもどうして良いかわからないまま、目をそらすだけだ。

 ちょうど良い登校時間に家を出ると、きっとユウカと顔を合わせることになる。学校だって同じだから、道中はきっと気まずい。

 だから俺はその日、早めに家を出たのだ。日差しはすっかり春で、空気は穏やかだった。

 早めに家を出たのだから、学校に着いたのも早めだった。それでももう登校している生徒はいて、まばらな生徒たちと一緒に校門をくぐった。

 その時、急に目の前が真っ暗になった。そして新品のスマホの目覚ましの音に飛び起きた。自宅の、ベッドの上だった。目覚ましを止める。時間は七時。今のそれは夢だったのだろうか、と考えた。

 けれどそうじゃなかった。

 俺は夢の中でやったように、早めに家を出た。やっぱり春の日差しで、穏やかな空気。

 早めに学校に着いて、校門をくぐった。そしてまた目の前が真っ暗になった。目覚ましの音。飛び起きる。自宅のベッドの上。

 わけがわからないまま、三度目の登校をした。早めに家を出て、今度は少し遠回りしてみた。穏やかな空気の春の日差しの中、意味のない遠回り。そして、学校に到着するより前に目の前が真っ暗になった。目覚ましの音で目を覚ます。

 目覚ましを止めて考える。親には気持ち悪いと嘘をついた。「初日から?」と良い顔をされなかったけど、意地でもベッドから出なかった。布団の中で、スマホを見つめる。

 七時五十分を過ぎる。今まで、七時五十分より少し前くらいに家を出ていた。じりじりと時間が進む。そして七時五十八分、目の前が真っ暗になった。そして目覚ましの音で飛び起きる。時間は七時。

 登校しなくても、それは起こった。

 次はいつもの通り、七時五十分より少し前に家を出た。そして適当なところで立ち止まって、スマホを眺める。五十五分を過ぎて、そして五十八分。目の前が真っ暗になった。いつもの目覚ましの音で飛び起きる。七時。

 七時五十八分。その時間になると俺は七時に戻る。わかったところでどうして良いかはわからない。俺はベッドの上で頭を抱えた。

 このままじゃ学校生活がスタートできない。延々と登校するだけだ。

 どうしたら良いのかと考えるうちに、時間は七時五十分を過ぎていた。五十五分。慌てて家を出る。

 ちょうど、ユウカが家を出るところだった。新しいセーラー服姿のユウカは妙に大人っぽく見えた。目が合って、お互いに少し困って、すぐになんでもないように目をそらす。

 俺はユウカの少し後を歩く形になった。なんだか追いかけているみたいで落ち着かない。ユウカは後ろの俺のことを気にしているのか、いないのか。ただ歩いている。

 スマホを見る。五十七分、もうじきだ。

 何事もなく歩いて、交差点に差し掛かる。青信号が点滅して、ユウカは足を止める。穏やかな春の日差し。

 五十八分。ひどいブレーキ音とともに、車が飛び込んでくるのが見えた。ユウカの体が跳ね飛ばされる。目の前が真っ暗になる。

 そしてまた、目覚ましの音。七時。

 ベッドの上で考える。きっとこれがきっかけなのだ、と確信していた。ユウカを救えれば、この訳のわからない状況はきっと終わる。

 覚悟して、俺はベッドから出た。

 ユウカよりも少しだけ先に家を出る。目を合わせないで歩き出す。俺が先に歩いていれば、ユウカはきっと俺を追い越したりはしない。俺がそうだったから、ユウカもきっとそうだ。

 ユウカの前を歩きながら、スマホの時計をちらちらと確認する。もうじきあの交差点だ。青信号が点滅している。俺はさっきユウカが立っていた位置に立つ。ユウカはまだ少し後ろで、ほっとする。

 そして、ひどいブレーキ音とともに車が突っ込んできた。その衝撃。全身を走る痛み。でもユウカは無事だという安堵。後ろで悲鳴が聞こえる。目の前が真っ暗になる。

 スマホの目覚ましの音を止めて時計を見る。七時。飛び起きる。また駄目だった。

 どうやら俺が身代わりになるのじゃ駄目らしい。髪の毛をかき回して溜息をつく。良いアイデアが浮かばないまま七時五十分を過ぎてしまった。玄関先で、隣の家の気配を伺う。五十五分、ドアの開く音が聞こえて俺も家を出る。

 ユウカと目が合う。いつもならさりげなくそらす視線を、そらすことができない。春の日差しの中、新品のセーラー服をまとったユウカ。幼馴染で一緒に遊んだユウカとは、まるで別人みたいだった。

 俺がじっと見てるから、ユウカは戸惑う様子を見せた。それでも、ユウカは困ったように目を伏せて、何事もなかったかのように歩き出す。俺はそれを追いかける。

 ユウカは今は俺を気にしてるらしく早足だった。このまま進めば人通りの多い道に出て、そしてあの交差点。ユウカが跳ね飛ばされるあの光景、自分が跳ね飛ばされた時の衝撃、それらを思い出して俺は小走りにユウカに追いつくと、その腕を掴んだ。

「え、何……?」

 ユウカは少し怯えた顔をして振り向いた。その表情に、少しだけ傷つく。怯えさせたい訳じゃなかった。俺は手の力を緩めたけど、まだ手放すことはできなかった。それで仕方なく口を開く。

「いや、あの……少し、話したくて」

「今? 学校遅れない?」

「そんなに長い話じゃなくて、でも、今。大事なことで」

 意味のない言葉を口にしながら、どうしよう、と思う。何も考えてなかった。止めなくちゃ、という気持ちだけで動いていた。

 俺が顔を伏せると、ユウカは小さく溜息をついた。

「とにかく、逃げたりはしないから、手は放して」

「あ、ああ……悪い……」

 手を放すと、ユウカはほっとしたように体の力を抜いた。その様子を見て、いつの間に、こんなに距離ができてしまったんだろうって思う。小さい頃は、距離なんかなかったのに。

「それで、話って何?」

「あの、その……こうやって話すの、久しぶりだよな」

 ユウカは気まずそうに目を伏せた。

「それは……そう、だね」

「なんていうかさ……」

 そのとき俺は、ずっとユウカに言いたかったことに気づいた。こんな時に。いや、こんな時だからこそ、かもしれない。

「なんていうかさ、ユウカと、また普通に話したいって思ってたんだ、ずっと」

 ユウカが目を見開いて俺を見る。俺もユウカを見る。少しして、ユウカの唇が小さく動いた。

「なんで……?」

「なんでって、だって……」

 どうしてだろう、と自分で考える。この馬鹿みたいな繰り返しを終わらせたい。そのためにはユウカも俺も、あの時間にあの交差点にいてはいけない。だから呼び止めた。

 でも、ずっとこうやってユウカと話したいと思っていたことは、本当だ。

 なんとなく疎遠になってしまったけど、本当はずっとユウカのことを気にしていた。また一緒に遊んだりできればって思っていた。前みたいに仲良くできたらって思っていた。

 どうしてかって、それは……。

「ああ、そっか。俺、ユウカのこと好きなんだ、多分」

「は、はああ!?」

 ユウカは変な声をあげた。顔が赤い。耳まで赤い。それで唇をわなわなとさせて、閉じて、また開いてわなわなとさせて、ようやく言葉を発した。

「それ、今言うことなの……?」

「だって、今気づいたから」

「それに多分って何」

「自分でもよくわからないんだよ。でも、きっとそういうことなんだ。今わかったんだよ」

 そう。きっと俺の学校生活がスタートしなかったのは、ユウカのせいだ。ユウカが事故に逢うから、それだけじゃなくて、俺が俺の気持ちに気づかないまま、離れ離れになるのが嫌だったからだ。

 だから俺はユウカを助けなくちゃいけなかった。俺も無事じゃなくちゃいけなかった。そして、俺は俺の気持ちに気づかなくちゃいけなかった。

 スッキリした気持ちでユウカを見る。ユウカは赤い顔をしたまま、視線をうろうろさせて、それから唇を尖らせて俺を見た。

「その……また話したいっていうのは、わかった。わたしも本当は、話したいって思ってたから。……でも、その、好きとかそういうのは、ちょっと……考えさせて」

 話せるようになっただけでも良い。小学校の頃を考えたら、随分と進歩した。俺はほっと胸をなでおろす。

 スマホを見る。七時五十八分。大丈夫。ほっと脱力してその時刻表示を見る。

 まだ顔の赤いユウカが、俺に声をかけてくる。

「とにかく、学校に行こう。もたもたしてると遅れちゃう」

 春の日差し、穏やかな空気の中でユウカは歩き出す。俺が隣に並んでも何も言わなかった。一緒に登校しても良いらしい。

 途中の交差点は事故現場になっていた。交差点を少し迂回して、それでも学校には間に合った。

 そして入学したばかりの中学校、その学校生活はスタートしたのだった。

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