第6話 篠原夏姫

 やっと汗が止まった。


 汗をかきすぎると、喉がからっからになるのか?

 

 ………もういい。

 言い直すのもめんどくさい。


 やっと涙、止まった。

 

 横に置いた水を一気飲みする。飲み足りないけど、水道まで歩く気力もない。それに飲んだらまた泣きそうで、怖くて動けない。


「なっさけな…………」


 スマホを取り出して、時間を見る。もう夜の九時だ。明日も朝練があるし、月末には期末があるから勉強だってしとかないと。


 立て。

 立つんだよ!


 はい!

 片想い、しゅーりょー!


 ……動かない。

 身体と心が動いてくれない。


 というか、ここからどうやって帰るんだ? 

 スマホで現在位置、調べるか……。




 とんっ。

 ころころころころ。




 ん?

 何か転がってきた。


 ゴムボール?

 何でいきなり……?

 

 拾い上げた瞬間、荒い息深いが聞こえてきた。



 

 はっはっはっはっはっ。




「わうー!」

「犬ぅ?! 待って待って! 俺、無実ぅ?!」


 何故か茶色のミニチュアダックスフンドとゴムボールの奪い合いになって、慌てて手を離す。


 自由になったゴムボールをくわえたワンコ様は尻尾を振りながらお座りをしている。何、この可愛さ。


 でもさ、王子様みたいな君に質問です。首輪にリードついてないよね? 君の飼い主はどこにいんの?


 あ、誰か来た。

 王子様も振り返って、ダッシュで飼い主っぽい人にじゃれついた。


 王子様、めっちゃ可愛いな!

 飼い主は……女の子?


 あれ?

 知り合いにそっくり。


 目力溢れる、切れ長の猫目。

 ひとくくりに束ねた、長い黒髪。

 俺くらいの身長、モデルみたいな体型。


 でも、まさかね。


「カール、これで遊んで待っててね。……そっ。んんっ! そ、そこにいるのは上村うえむら君じゃないですかー」


 何、その棒読み。

 というか!


鬼姫おにひめ! 何でお前がここにいんの?!」

「…………ん? 鬼?」


 ぎゃー!

 瞳孔が収縮してる!


 鬼姫って呼び名、好きじゃなかったもんな。

 中学ん時、こいつを見ただけでべそかいてたヤツいたしな。

 俺だけど。


「マジでごめんなさい。篠原夏姫しのはらなつきさん……どうしてここにいらっしゃるんですか?」

「…………ふう。私をそう呼ぶのは、もう上村君くらいだよ? 敬語は何か嫌だなあ。普通に話してくれる?」


 いや、お前。


 知らないところでめっちゃ呼ばれてるから!

 伝説レベルで語られちゃってるから!


 篠原夏姫。


” 篠原の御令嬢 ”


 超金持ちの家のお嬢様として、有名人だ。


 そして。


 喧嘩上等。

 弱気を助け、オラオラを挫く。


” 五中の鬼姫 ”


 とも呼ばれてた。


 そんで、今。

 俺、ピーンチ。


 よし、帰ろう。

 頑張れ!

 今ここで、気合いを見せろ俺!


「……まだ何か、言いたそうな顔してるね」

「いや、別に何も! お、俺、帰りまっす! ごきげんよ……」

「んん?」

「あはは! へとへとなの忘れてました! 座ってていいですか!」

「もー、変なことばっかり言って。上村君はどうしてここに?」

 

 何で聞く気満々なの……。

 でも、こいつ聞き上手なんだよな。


 仲良くなってからは結構つるんでたし。

 昔のノリで、話してもいっかな……。


 

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