第3話

 医務室から戻ってきたミアの顔は暗かった。


「で、結果はどうだった?」


 ミアの表情を見れば悪い報告なのは一目瞭然だった。はたして、どんな検査結果だろうか。


 ミアは緊張をほぐすためか深呼吸をした。みんなの視線が彼女に向けられる。


「鮮血はジャンの血。どす黒いほうは……アリスのものだったわ」


 その場が凍りつく。しかし、それも一瞬だった。マイケルが沈黙を破る。


「ちょっと待った。なんでアリスのものだと言い切れる?」


「言ったでしょ、アリスに輸血したって。輸血前に採取したアリスの血と比べてみたのよ。ぴったり一致したわ。さあ、説明してもらおうかしら」


 アリスに視線が注がれる。が、彼女は一向にしゃべろうとしない。


「血……液体……時間の経過……」


 ベンジャミンがぶつぶつ言いながら輪を描くように歩きまわる。見事に蓄えた白髭が波打ち、彼の独り言だけが部屋にこだまする。それもつかの間だった。唐突に歩みを止めると振り向いてこう言った。


「ふむ、状況から考えるに犯人はアリスだろう」


「ちょっと待った! 状況証拠だけで決めつけるつもりか?」


「ダンテ、アリスは貧血だったな? 生理で貧血になったとして、輸血が必要になると思うかい? 答えはノーだ。そんなケースは極めて稀だ」


 生物学者のベンジャミンが言うのなら、そうに違いない。ミアもうなずく。


「貧血に加えて現場に点在したアリスの血。彼女がどこかを怪我しているのは間違いない。そして、ミアにも隠していた。それに彼女の服をよく見てみろ。どこにも血はにじんでないぞ」


 確かに彼女の服についているのはジャンの鮮血だけだった。つまり、傷口に包帯を巻いているか、完璧に血が止まっているということだ。


「さあ、ここで諸君に思い出してもらいたい。ジャンの部屋に入ったとき、何か違和感がなかったかい?」


「違和感? 急に言われても……」


 マイケルは困り果てた顔をしている。きっと自分も同じ表情をしているに違いない。


「じゃあ、教えてあげよう。部屋がやけに暑くなかったかい? ジャンが寒がりだというのを考慮してもだ」


 いわれてみればそうだった。首元を緩めた記憶がある。


「ダンテ、君はミステリーは読むかい?」


「いや、読書は滅多にしないよ」


「でも、これは聞いたことがあるはずだ。水を凍らせて氷の刃物を作る。殺人ののち部屋を暑くしておいて溶かす。あっという間に凶器が消えるわけだ。何も水にこだわる必要はない。液体ならなんでもいい。つまり、血液でも問題ないわけだ」


「つまり、ベンジャミンが言いたいのは……」


「そう、今回の凶器はアリス自身の血でできた刃物によるものだということだ。個室にある食料保管用の冷凍装置を使えば簡単に凍らせることはできるからね。おっとマイケル、氷を使えば誰でもできると言いたそうだね。それはナンセンスだ。氷が溶ければ水になる。ここは宇宙だ。残念ながら地上と違って宙に浮かんだ血と水を混ぜることは至難の業だからね。氷じゃダメなんだ。さあ、アリス。間違いがあれば指摘したまえ」


 アリスが犯人? あの虫も殺せない彼女が?


 アリスを見るとまるで別人のような邪悪な笑みを浮かべていた。


「あら、見事な推理じゃない。反論はないわ」


「アリス、君はジャンと付き合っていたじゃないか。まさか、恋愛関係で問題でもあったのか?」


「いいえ、彼とはいい関係だったわ。なにせ、私が知りたい機密事項をべらべら喋ってくれたんだもの」


「どういう意味だ!」


 マイケルが怒鳴る。


「こう言えば分かりやすいかしら。私はある国のスパイなの。それで私の任務はあなたたちの研究の妨害。一番馬鹿なジャンなら大丈夫だと思ってたのに、まさか私がスパイだと見破るなんてね」


「なるほど、スパイがうろちょろしているとは風の噂で聞いていたが、本当だったとはな。それもうちのクルーにいたとは! どうやら私に人を見る目はないらしい。船長失格だな」


 マイケルはうなだれた。


 次の瞬間、ドアがすごい勢いで開く。アリスの仕業だった。


「おい、マイケル! 何をぼけっとしている! 反省はあとだ! ダンテ、君もだ! 自白したスパイがおとなしくすると思うな。奴め、逃げるつもりだぞ!」


 そうだ、アリスを捕まえてどこまで情報が漏れていたか吐かせなければならない。しかし、逃げるってどこへ? 彼女は技術者としては優秀だが、ロケットの操縦は専門外だ。




 追跡は困難を極めた。通路のあちこちに物が散乱していた。アリスが逃走しながらぶちまけたに違いない。だが、ここまでだ。ついにアリスを追い詰めた。


「あら、バリケードがあったはずなのに随分早い到着ね」


 おかしい。この余裕はなんだ?


 マイケルと顔を見合わせる。

 

「あなたたち、本当に馬鹿なのね。想像力が足りないわ」


 アリスが壁面の赤いボタンを押しながら言う。それはエアロックの開閉ボタンだ! 最初から逃げるつもりはなかったんだ。


 気づいたときには遅かった。厳重なドアがアリスとの間を隔てる。


「それじゃあ、さようなら」


 耳元の通信機から声が聞こえた。




 しばらくしてからだった。宇宙に漂うアリスの姿を発見したのは。

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月面上の殺意 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993

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