第2話

 最初に沈黙を破ったのはベンジャミンだった。


「それで、凶器は何だ? それらしい物は見当たらないが」


 声につられてあたりを見渡すが、宙に浮いているのは真っ赤な液体だけだった。見るだけで吐き気がする。とっととこの部屋から出たい。それにしても、やけに部屋が暑い。ジャンが寒がりなのは知っていたが、ここまでとは思ってもみなかった。思わず首元を緩める。


「私たちも探したのだけれど、見つからないのよ。そうよね、アリス?」


 ミアの呼びかけに反応はなかった。何もない天井を見つめている。しかし、それも仕方がないのかもしれない。アリスとジャンは付き合っていたのだから。


「なんにせよ凶器は見つかっていない、これが事実だ。そしてもう一つ揺るぎない事実はということだ。そこで、共有スペースはもちろん、個室も含めて凶器の捜索を行う。これは船長命令だ。ミア、アリスの付き添いを頼む。ベンジャミンは私と一緒だ。ダンテはナオキと組んでくれ。一時間後にここで落ち合おう」




 ダンテとナオキとの間には気まずい雰囲気が漂っていた。殺人事件が起きたのだから当然かもしれない。お互いに相手が犯人ではないという事実が救いだった。ナオキはベンジャミンと調査に出かけていたし、ダンテは犯行があった時間に第二ブロックで機械とにらめっこしていた。各ブロックのドアには監視カメラがついているから、ダンテにも犯行が不可能だということはナオキも承知していた。


「なあ、ダンテ。アリスはあんたと一緒に生物保管室の修理をしていたはずだ。ベンジャミンがあんなに怒り狂っていたのに、一人で直せると思っていたのか?」


「まさか。途中までアリスに任せていたよ。なにせ彼女のほうが腕は確かだからね」


「途中まで? 全部やらせればよかったじゃないか」


 ナオキの声はあきれていた。端的に状況を説明すると納得してくれたようだった。


「それは散々だったな。それで、アリスは大丈夫なのか? 体調不良に恋人の死。あの様子じゃあ、立ち直るのに時間がかかりそうだぞ」


「体調のほうは心配ないよ。さっきミア先生に聞いたら、単なる貧血だったらしいから」


「まあ、その程度で済んでよかったな。がんだったら、さすがに我らがミア先生もお手上げだろう。そんなことになっていたらベンジャミンはこう言っただろうよ。『お前たちはロケットで地球に帰れ。私は月に残って調査を続ける』ってね」


 ナオキは肩をすくめる。宇宙でのがんの発症。ありうる話だ。なにせ宇宙にはほとんど大気がない。必然的に高い放射線を浴びることになる。地上よりもがんになる確率はぐんと上がる。数年前、そんな事件があったな。そんなことを考えているといつの間にかナオキの部屋の前だった。


「さて、まずは俺の部屋からだ。まあ、やましいものはないから、勝手に調べてくれ」


「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうよ」


 ナオキの部屋をのぞくと簡潔なベッドの上には無造作に服が脱ぎ捨てられていた。食料保管用の冷凍装置の上には山積みにされた書類の束。いまにも崩れそうで見ているこっちがハラハラする。お世辞にもきれいとは言えない部屋だった。ずぼらなナオキらしさがある。凶器になりそうな物といえば、応急キットの中にあるナイフだが、もちろん血は付着していない。まあ、誰が犯人にせよ血まみれの凶器を持っているほど間抜けではないだろう。


「どうだい、何もないだろう? こんな作業、とっとと終わらせようぜ。次はあんたの部屋だ」




「二人の反応をみるに、凶器はなかったようだな」


「そりゃ、当たり前だ」


 ナオキが応じる。この様子だとマイケル船長のチームも空振りに終わったに違いない。


「こんなことは言いたくないがな、犯人はアリスで決まりだろ。だってジャンはあんなに出血してたんだぜ? 返り血を浴びないわけがない。アリス以外に血まみれの奴はいないぞ」


「ちょっとナオキ、そんな言いぐさないじゃない! アリスは第一発見者よ。かけよったときに付いて当たり前よ!」


「じゃあミアには分かるのか? 血を浴びずに殺人する方法が」


「それは分からないわ。でも、基地内には凶器がなかったんでしょう? そこまで言うなら消えた凶器について説明できるのよね?」


 二人の会話がヒートアップしそうなときだった。マイケル船長が割ってはいる。


「二人とも、そこまでだ。言い争っても犯人の得にしかならないぞ。地球基地には事態を連絡済みだ。凶器が見つからない以上、我々にできることはないのだから、この部屋でおとなしく指示を待つほかないだろう」


「ふん、殺人者と一緒に仲良くしろってか! 悪いが俺には我慢できないね」


 そう言うが早いか、ナオキは自室に去っていく。壁を蹴る音だけがむなしく響く。呼び止める者は誰もいなかった。




「うちの若いのが迷惑をかけたな。だが、奴の言うことはもっともだろう? アリス以外に犯行が可能なのは同じ第一ブロックにいたマイケル船長とミア先生だ。他の者は第一ブロックに出入りしてないからな。船長は指令室にいたんだろう?」


 ベンジャミンの問いかけにマイケルがうなずく。


「当然、ミア先生は医務室にいたわけだ。おい、ダンテ。アリスはなんで第一ブロックにいたんだ? 君と一緒に第二ブロックで機械の修理をしていたはずだが」


 経緯を説明したが、ベンジャミンの口からでた言葉には耳を疑った。


「なるほど、そういうことか。で、機械は直ったのかい?」


 首を振って答える。


「そうか」


 彼が自分の研究にしか興味がないのは知っていたが、まさかここまでとは。もはや病的だ。


「そういえば、君たちは気づいたかい? ジャンの部屋の異常に」


 異常?


「返事がないということは誰もひっかからなかったわけだ。あの部屋の血液だが、赤黒いものが混じっていたな? あれは出血してから時間が経っていることを意味している」


「それってつまり、実際の犯行時間はもっと前だったってことかい?」


「あくまで可能性の話さ」


 生物学者のベンジャミンらしい着眼点だった。ささいな違いを見逃さないのも普段の研究姿勢の賜物たまものだろう。


「ゴホン。あー、非常に言いにくいのだが……」


 マイケル船長が咳をして注意を引く。髪を神経質になでつけている。しばらく躊躇ちゅうちょしていたが、意を決したのか力のない声でしゃべりだした。


「こうは考えられないだろうか。実際の犯行時間はかなり前で、犯人が医務室にあった輸血パックから血をばらまいた。犯行から時間が経ってないように見せかけるために。つまり……」


「つまり、私が犯人だと言いたいのね。医務室にこもりっきりの私だって。でも、残念。輸血パックの血って、静脈から採取したものなの。当然、二酸化炭素と結合しているから、赤黒いわ。なんなら、輸血パックの数を備品リストと突き合せればいいわ。貧血だったアリスに輸血したから、一つ空っぽだけど。そうよね、アリス?」


「ええ、ミアの言うとおりよ」


 仮にミアが輸血パックから血をまき散らしたとしたら、やはり服に血がついてないのはおかしい。


「それに私に何かあったケースを考えて、医療関係にも詳しいアリスを採用したはずよ。アリスだって医務室のカギを持っているんだから、犯行が可能なのは私一人じゃないわ。ところで、マイケルは指令室で何をしていたわけ? あなたの行動を聞かないのはフェアじゃないと思うけれど」


 水を向けられたマイケルの顔には何とも言えないうしろめたさがあった。ミアがジリジリと詰め寄る。


「……地球基地と通信していた。それだけだ」


「船長は嘘をつくのが下手ね。すぐに顔に出るんだもの」


 手すりに座ったアリスが追撃する。マイケルはダンテとベンジャミンに助けを求めるように目くばせする。もちろん、助ける道理はない。観念したのか、床を見つめながらぼそぼそとしゃべりだした。


「殺人犯扱いされるよりはマシかもしれないな。正直に言おう。地球基地のアマンダと通信していた」


 アマンダ? 彼女は技術スタッフで、通信担当ではないはずだ。


「ちょっと、どういうこと?」


「それは、つまりだな……アマンダとは愛人関係にあるということだ」


 マイケル船長が不倫をしていた! この間みんなでバーベキューしたとき、あんなに奥さんと仲良さそうだったのに。


「不倫! 男って、一人の女性を愛することができないのかしら。信じられないわ」


 ミアは軽蔑けいべつした目でマイケルを見る。彼女の言葉には重みがあった。なにせ、彼女自身、夫の不倫で離婚しているのだから。


「くだらんことで時間を浪費するつもりか? とっとと血を調べれば済む話だ。ミア、鮮血とどす黒い血の検査をしてくれ。それでケリがつく」


「ベンジャミンの言うとおりね。ちょっと待っててちょうだい」

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