第17話 ヴィーナスの誕生


 白みだした空。月下、少女と少年がぶつかり合う。

「いいじゃん。友達を守るため、なんてさ。カッコいいぜ」

「アリアは殺させない。……守り切る」

 その直下。

 アリアは、二人の少女と対峙していた。


「クリス、さん」

 金髪をなびかせる彼女の名前を呼ぶと、返事の代わりに彼女は息をついて。

「……ばか」

 そう口にする彼女に、わたしは目を背けた。


「行かせないよ」

「マーキュリーさん」

 銀髪の彼女が掲げた手。集束する魔力。

 それを感じ取ったわたしは、おもわず足を止めた。

「どうするおつもりですか」

「足を凍らせる。クリスちゃんにも手伝ってもらって、無理にでも連れて帰る」

「それで、なにが解決するんですか」

 尋ねると、彼女は黙りこくって。

「わたしは国家を壊そうとしました。いわばテロリスト。その首謀者です。仲間も何人かいますが、わたしの指示がなければ動きません。……わたしが、すべて悪いんです」

「……」

「だから、わたしが死ねば、何もかも解決するんです。そのほうがいい。それしか道はないんです」

「それは違うよ。なにか、他にもあるはず。それが最適解だとしても。次善策なんて、いくらでも」

「じゃあその次善策って何ですか。答えてみてくださいよ。ねえ、いくらでもあるんでしょう!?」

「……それはまだわかんないよ。ばかなわたしじゃ考えられない」

「ほら、答えられない! わたしが死ぬしか――」

「それは違うよ! みんなで方法を探ろう? そうすれば」

「現実を見てくださいよッ! ねえ、わかるでしょう! わたしが死ぬ以外」


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬうるさいんだよバカッ!」


 突然、クリスが怒鳴った。

「何の根拠もなく、『わたしが死ねばいい』って。おかしいわよ! アンタが死んで何が解決するっての!?」

「なにもかも――そう、なにも」

「そんな都合よく物事が片付くわけないでしょ!?」

 その言葉に、わたしは一瞬ひるんだ。

「あんたの仲間たちはどうなるの!? 事後処理は誰がやるのよ! ……私たちの心は、どうなるのよ」

 わたしが死んだだけじゃ、都合よく片付かない? はは、ご冗談を。

 ――ほんとうはそんなこと、わかりきっていたくせに。

 うるさい! もう一人の自分の声を振り払うように首を横に振って。

「それでも死ななきゃいけないんですよッ!」

 叫んだ。

 ――もしかしたら、わたしは「死」という「希望」に縋っていたのかもしれない。

 死ねば、苦しみは終わるから。何もかも終われるから。リタイア。おしまい。そう思っていた。

 だから、この言葉だけで――


「んなわけないでしょ! ――あんたが死んでも、何にも変わらないわよ!」


 ――心は、真っ暗に染まってしまうのだ。

 息ができなくなった。視界が明滅する。

「……へ」

 空虚な笑いとも言えない何かが、伸びきった口角から零れ落ちた。


 キン、と空に舞うその鋼の剣。地面に突き刺さったそれを一瞥して、ソーヤは息も絶え絶えに告げる。

「これでもう、アリアは殺せまい」

「どうかな。ソーヤ・イノセンス」

「……どうして僕のファミリーネームを?」

「調べるツテはいくらでもあるさ。『イノセンス』って言やあ、結構有名な貴族だからな。――その裏側に不自然な動きがあったことも」

「ははっ。初耳だよ」

 乾いた風が駆け抜ける。

 沈黙。沈黙。沈黙。――――揺らぐ、魔力。


 一際、強い風が――膨大なエネルギーが、渦巻いた。


    *


「――っ!?」

 息を呑んだ。

 アリアが、自分の顔を覆っていた。

「――アリアっ!」

 この暴力的なまでの魔力の渦の正体は――彼女だ。

 直感した僕は、彼女のほうへと駆けだす、が。

「進め、ない」

 膨大な魔力が生み出す「圧力」が、僕を、僕らを遠ざけるように、広がっていて。

 やがて、地面に踏ん張ることもできずに。

「うわぁっっ!」

 僕は飛ばされ――誰かに受け止められた。

「……ヴィクトリア、さん」

「一時休戦だ。アレを止めるぞ」

「アリアは!」

「落ち着けよ。いまはのんきに喧嘩してる場合じゃ――来る」

 圧倒的な膂力で以て地面を蹴り飛ばし、宙を駆けるヴィクトリアさん。広い空間の隅――建物のそばに着地。その隣に降ろされる僕。

「ソーヤくん!」

「マーキュリー! クリスも!」

 うつむいたクリスを引っ張るマーキュリー。いつもとは逆の二人の姿に少しだけ面食らいつつも。

「話は後にしよ」

 そんなマーキュリーの真っ直ぐな視線に、僕はいまが非常事態であることを再認識した。


「……なにが起こってるの」

 クリスがぽつりと言った。

 それは、もしかしたらただのひとりごとだったのかもしれない。誰も理解しえない途方もない事象に、あっけに取られていただけなのかもしれない。

 けれど。

「聞いたことがある。いや、授業で聞いた」

 灼髪の彼女は知っていた。

「……曰く、この世界の人間の精神には、『魔力を制御する弁』のような機能が存在するらしい。空気中の非物質的なエネルギー、すなわち魔力を取り込み、排出する機能だ」

「知っているわ。男でも女でも存在する、いわゆる呼吸器みたいなもの。それで、女のひとはそれを意識的に動かすことで、魔法という事象を起こしている」

「大正解だ、パツキンの嬢ちゃん。しかし、その制御弁が壊れるとどうなると思う?」

「……たとえば、無限に魔力を出し入れするようになっちゃって、体が耐え切れなくなっちゃう、とか?」

「ザッツライト、白髪の嬢ちゃん」

「でも、そんなことがありうるんですか」

「滅多にないぜ、イノセンスの坊ちゃん。だが、ないわけじゃない。たとえば――精神崩壊した場合、とかな」

 そう言って、彼女は金髪の少女――クリスを睨んだ。

「心当たり、あんだろ。平民の嬢ちゃん」

 彼女はうつむいたまま目を伏せて。

「私はアイツに『死んでほしくない』って言いたかった。それだけなのよ」

 ただそれだけを告げた。

「……彼女にとっては、死は救いだったのかもしれない。俺のやろうとしたことを正当化するわけじゃねぇが」

 数秒の沈黙が漂う。

 その間もごうごうと風は吹きすさんでいた。背後、魔力は黒い繭のようにアリアを包んでいた。

 まるで、変質の予兆のように。


「お前らは、どうしたい」

 ヴィクトリアさんが、僕らを見据えて問いかけた。

 わずかな思考。逡巡。その末に――僕は答える。


「アリアを、救いたい」

「もしそれが彼女を追い詰めるものだとしても――お前のエゴでしかないとしても、か」


「うん。僕は僕のために、彼女を救い出す。……僕らの日常を、取り戻す」


「気に入ったぜ、ダチ公」

 彼女は――ヴィクトリアは、歯を見せて笑った。


 その直後だ。黒い魔力の繭が「咲き」始めたのは。

 それはまさに、繭が割れるというよりかは、蕾が花開くといったほうが正しく思えるような様子だった。

 神々しい光が、辺り一面を包む。


 中から現れたのは、変わらないはずの白い装束を身に纏った少女。ピンク色の髪は長く腰にまで届いていて、優しげに目を閉じていて。

 美しさを孕んでいるようなそれはまるで――。


女神ヴィーナスの誕生、だ」


 少女はゆっくり目を開いた。その瞳は、黄金色だった。


 マーキュリーの言葉通り。

 ――そこには、女神が降り立っていた。

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オトメマジカル ~女の子しか魔法を使えない世界で天才男の娘が魔法無双する話~ 沼米 さくら @GTOVVVF

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