第16話 はじめての友達


 彼女は、火照った顔で目を潤ませていた。

 彼女は、火照った顔で目を震わせていた。

 彼女は、青ざめた顔で目を震わせていた。


 彼女は、やがて荒い息を吐いて、口角を震わせて、目を震わせて、手を、足を、全身を震わせて、こわばらせて――「だめだな、わたし」

 詰まらせた息で、やがて目を細めて、告げた。


「わたしを――殺してください」


 僕は息を呑んだ。

 ちき、と音がした。

「おうよ。お望み通りィッ!」

 赤い閃光がよぎった。

 ヴィクトリアだ――なんて間の悪いッ!

「あああああ――――――ッ!」

 叫ぶ。僕は、白い閃光になった。


「……どうして奴を庇うんだ?」

 ヴィクトリアは、僕を睨みつけて、糾弾するように告げた。

 魔法で彼女の鋼の刃を弾いた僕を。

 ――僕は――ふー、ふーっと息を吐いて――「僕は」

 言葉を、吐瀉した。


「僕は――ようやくできた、本当の友達を! 失うわけにはいかないっ!」


    *


 ――この世界において、魔法は女性のものだ。


「わっ……すご……」

 目を見開いた。はじめての、「屋敷の中」じゃない世界に。


 ――この世界において、男は武器を振るい、人々を守るイキモノだ。


 僕には剣の才能なんてなかった。

 だから、家から出てはならないと口酸っぱく言われた。

 剣を振るえない男に生きる価値なんて無いから。


 ――男は剣で人々を守り、女は魔法で傷を癒す。古くからの言い伝えだった。


 肌を撫でる風。草の匂い。音が洪水のように溢れ、青々とした空が目に焼き付いた。

「これが……そと、なんだ」

 産まれてから十年間の幽閉に耐えかね、はじめて出た外の世界はあまりに情報量が多すぎて。


 ――はじめて、この世界が歪んでいることを知った。


 広い屋敷。武器の才のない僕は、その隅の物置部屋で幽閉されていた。子供の頃の話だ。

 それに耐えかね、ある日僕は家出を企てた。

 果たして、そのさなかに出会った少女によって――僕は、己の魔法の才を知った。


 使えてしまった魔法。およそ一週間の放浪。森の中、名も知らぬ少女と過ごした。

 七回目の夜とともに、追手が来た。子供の足では無限に思えた広い森も、大人にしてみれば迷うまでもない裏庭でしかなかった。よく七日も逃げおおせたものだ。

「邪魔だから、ついてこないで」

 ――少女を追手から守るために、わざと突き放して、森に火を放った。

 足手まといだとか言ったのを今でも覚えている。……そうでも言わないと、強情な彼女は離れてくれないと知っていたから。

 捕まるのは――殺されるのは僕一人でよかったから。


 一人になってから三日と持たなかった鬼ごっこ。その果てに、僕は捕まった。

 元の物置部屋の中で、僕は父親と母親に交互に説教を喰らった。

 なんて言われたかは覚えていないが。


 ――『武器の振えないガキは、この家にはいらない』

 ――『魔法が使えるのは女だけだからな』


 そんなことを父親に言われたのは覚えている。

 ――『次に同じようなことがあったなら、本当に処分するからな』、とも。

 その晩、夕飯の食卓で、きちんと恵まれて育った弟と、そいつと仲良く話している母親に向かって、魔法で水を発射してやった。

 びしょ濡れになった母親は、面食らったような顔をして。

 ――『男のくせに、魔法が使えるなんて』

 やがて腹黒そうな笑みを浮かべて言い放ったのだ。


 ――『……いまからあなたは娘よ』


 弟はその恵まれた体で僕を殴り、魔法で反撃しようとしたら親に言いつけるぞと叱る。メイドたちはしきりに僕のことをせせら笑い、わざと女物の服を与えて着せた。

 優しくしてくれたのは、一番身分の低い――奴隷同然の扱いをされていたグレイスだけだった。僕にとって彼女は、実の兄弟以上に、本当の仲のいい姉のような存在だった。

 死すらも夢見た。そのさなかでグレイスが、買い出しに行かされた町で受け取った手紙に、僕は希望を見出した。

 その手紙は、魔法学校の生徒募集だった。

 僕が魔法を使えるようになってから半年が過ぎたころのことだった。


「お母さま。――私、もっと魔法を極めたいのですわ」

 女性に擬態するために叩きこまれた言葉遣いで、丁寧に告げた言葉。

 しかしてその笑みは、「僕を娘にした」ときの母親と同じくらい、邪悪に見えたのだと、のちにグレイスから聞いた。


「――だから、魔法学校へ通わせてください。ね?」


 水の槍をその女の喉元につきつけながら、告げた。自由を手にするために。

 その頃にはもう、屋敷の誰よりも魔法を使いこなしていた。

 グレイスよりも。他のメイドたちよりも。この女よりも。誰よりも。

 僕は、強くなっていた。


 誰も信用できなかった。

 ここに来るまでは。

 誰とも関われなかった。

 ここに来るまでは。

 誰と話すこともできなかった。

 ここに来るまでは。


 友達なんてできるはずもなかった。

 ここに来るまでは。


「クリスも。マーキュリーも。――アリアも、僕のかけがえのない、はじめての友達なんだ」


「だから――はじめての友達を――親友を、ここで失うわけにはいかないんだ!」


    *


 白銀と真紅の閃光が、ぶつかり合う。

 轟音。爆発。金切り音。

(ああ、この人たちは――わたしをめぐって、闘ってるんだ)


「――殺してよ」


 ぽつんと言い放った。わたし――アリアは。

「わたしが悪かったから。わたしが、首謀者で、すべての元凶だから。――もう、なにもできないから」

 空虚に告げた言葉の数々はどれも意味をなさない。

 へなへなと膝をついて――やがてわたしは、涙を流した。


 ねえ、カミサマ。いるの? もしもいるなら、なんで――わたしをつくったの?

 なんでわたしだけ、おかしい考えを持たされたの? なんでわたしにだけ、こんなに苦しいことばっかり降りかかるの?

「死にたい」

「死ねば何もかも解決するなら」

「死なせてよ」

「ねえ、ねえ、ねえ――」


 ぽつりぽつりと口にしたバラバラの言葉。

 とめどなくあふれるその声に、答える者はだれ一人――否。


「何を馬鹿なこと言ってんのよ、ばか」


 目の前に、金髪の少女が立っていた。

「クリス、さん」

 彼女の名前を呼ぶと、返事の代わりに彼女は息をついて。

「……ばか」

 そう口にした。

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