第15話 少女モラトリアム
僕は、アリアの記憶を見ていた。
孤児院に押し込まれた彼女が見たのは――少女のような、幼い少年だった。
絶句する僕。少年は虚ろな目をアリアに向ける。
「彼は名前も与えられなかったそうだが……仲良くしてやってくれ」
紹介する精神科医に、彼女は少しだけ頬を引きつらせて。
「おねえ、ちゃん」
にへら、と笑った少年は、よろよろとアリアのほうに向かって。
「……あったかい」
ぽす、と彼女に寄りかかった。
あまりに軽く冷たいその身体に、アリアは息をのんだ。
――わたしが、守ってあげなきゃ。
掻き立てられた庇護欲が、彼女を動かした。
アリアはまず、少年の体を拭き上げた。風呂に入れると傷がしみてしまうから。
そして傷跡こそ残っているもののおおかたきれいになった少年に、服を着せた――のだが。
「……ずぼん、は?」
「ワンピースだから必要ないですよ」
「ん……」
あろうことか、アリアは少年に自分のおさがりの子供服を着せたのだった。
「りんご色のワンピース。かわいいですよ、ナナシくん」
「なな、し?」
「きみの名前です。呼び名がないと、不便でしょう?」
それは、あくまで便宜上の名前。名前がないから「名無し」と呼んだ、それだけのことだった、つもりだった。けれど。
「……ななし。なな、し」
無表情で、しかしどこか困惑と喜びの色をにじませた声で、彼は自身の初めての名前をつぶやいて。
「……ななし、かわいい?」
意味も分からず口にしたのであろう言葉に、アリアは。
「ええ。かわいいです」
そう、教えるように答えた。
少年――ナナシは、固まった表情筋で、少しだけ目を細めた。
「ん……あった、かい。ほわほわ」
「これが、嬉しいって気持ちです」
「…………うれ、しい」
確かめるように、彼は一言呟いて。
「ななし、うれしい」
上目遣いで、少し目を細めて、彼は口にした。
そんな彼が、ひどく愛おしくて。
「もう、かわいいですっ」
アリアは思わず。ナナシをぎゅっと抱きしめた。
日々はつつがなく過ぎた。
アリアの少女趣味に染まってゆくナナシ。二人の幸せな日々は。
ずっと続くわけはなかった。
ある日、ナナシはそっと涙を流した。
「どうしたの、ナナシくん」
このころには、もうしゃべり方のたどたどしさは消えていて、普通の子供のように喋るようになっていた。
けれど、その時の彼は、静かに、ぽつぽつと話した。
「ななし、こんど、たんじょうび、なんだ」
「誕生日! いいじゃないですか!」
「……」
「その日はパーティーを開きましょう! たくさんおめかしして、ケーキも作りましょう! それで、それで――」
嬉しそうなアリアに、愁いを帯びた少年の顔。
「――ナナシくんが、生まれてから今までで一番楽しい日にしちゃいましょうよ!」
彼は、ついに言い出すことができなかった。
非力な平民の少年にとって、誕生日は――。
――誕生日は、処刑の日であることを。
僕は、ナナシとよく似ていた。違うのは、髪や目の色と――身分くらいで。
ナナシは親から見捨てられていた。故に孤児院で暮らしていた。アリアと同じように。
男子は、六歳までに剣が振れて当たり前なのだという。その当たり前が守れない人間は、この世界には不要ということで。
僕は貴族の生まれだから、家に監禁されるだけで済んでいた。一生外に出さずに生かすことができた。
けれど、平民は違う。そんな余裕など、ありはしない。
ナナシは、どれだけ練習しても、剣がまともに振れなかった。剣は彼には重たすぎた。
故に――死ななければならなかった。
「いやです! なんで、なんで彼が殺されなければ――」
「剣もまともに振れない男など人間ではない。家畜未満の畜生を、ゴクツブシの害虫を、どうして生かしておく必要がある」
騎士の男が、少年を捕らえていた。
少年はドレス姿で、一切の抵抗を見せず諦観の微笑みを浮かべていた。
「ごめんね、おねえちゃん」
「なんでですか! 彼は剣以外なら――」
「それでも剣を振れなければ、意味がないのだ」
「どうして!」
「そういうものだからだ。常識だろう」
理由にもなっていなかった。その常識ゆえに簡単に友達が殺されていくのが、彼女にとっては不条理に思えた。
「あああああ――――――!」
彼女は泣き叫んだ。
二人ぼっちが一人になった。
孤児院の大人たちは「仕方ない」の一点張りで。
本人のいない誕生パーティー、ケーキの味はしょっぱかった。
わかってくれるのは、「先生」だけだった。
「せんせい……せんせい――っ」
「なんだい、アリア」
「この世界に、復讐したい、です」
「ああ、ぼくもいま、同じことを考えていたんだ」
*
革命。国家転覆。
わたしが成そうとしていたのは、そんなことだった。
手をかざした。ソーヤくんに、視線を合わせた。これで、魅了魔法が効いた。
そのはずだった。そのはずなのに――。
なんで、彼は、わたしを見据えているのだろう。
光のともった眼で、わたしを見据えて、近づいてくる。
「アリア」
わたしの名前を呼んだ彼。手をかざす。もう一度、目を合わせる。
魅了魔法を、かける。何度も。何度も。でも。
彼は命令していないことをする。動いてとも言ってないはずなのに、わたしに近づいて――。
わたしをぎゅっと抱きしめた。
「きみは、とっても優しいんだね」
ぼろぼろ、涙がこぼれた。
「優しくなんて、ないですよ。……所詮は」
「エゴでもなんでも。――他人のために涙を流せるのは、優しい証拠だ」
「……あなたこそ、優しすぎますよ」
こんな言葉のやり取りに、心が暖まってゆくのを感じた。
そして、直感した。魅了魔法が効かなかったのは、単純な理由。
――わたしはいま、彼に恋をしていた。
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