第14話 aria


 ――わたしは、孤独だった。


「……あなたにだけは、見せたくなかったんですけどね。――こんな汚れた、わたしなんて」


 彼女は呟いた。

「アリア」

 微笑んだ彼女に、僕は手を伸ばす。

「なんで、こんなことをしたの」

 しかし彼女は

「こんなこと?」

 ぱしんと僕の手を振り払い

「わたしが『どんなこと』をしたっていうんですか」

 睨みつけて、尋ねる。

 答えに窮する僕。――きっと、クリスなら迷いもなく糾弾していたのであろうそれを、僕は言えず。


「わたしはね、みんなをすくうの」


 彼女は、目を細め。


「ねえ、この世界はおかしくない?」

 演説を始めた。


「男と女なんて誰が決めたのかなぁ。

 だってさ、おかしくない?

 女の子しか魔法が使えないなんて。

 力の弱い男はいちゃいけないなんて。

 魔法の使えない女はいらないなんて!」


 叫んだ彼女は、ゼエゼエと息を切らし「おかしいよ」とつぶやく。

「オスとメスなんてさ、所詮は遺伝子の一本の違いだよ!?

 たとえば、原生動物にはオスもメスもない。野生の獣にだって、オスとメスの役割の違いこそあれど、私たちみたいに差別されたりなんてない。それなのに、人間だけ。人だけ、人を選別している。差別している。

 必要ない人間がいるなんて、おかしいよ。

 人間はみんな生きるべきなんて言わない。もちろん死んだほうがいいクズなんて山ほどいる。

 でもさ、人より能力が劣ってるだけで! 何かできるはずなのに! いらないなんて!」


「……おかしいよ、絶対」

 俯いた彼女は「――絶対、おかしいから」とつぶやいて。

 あたかも世界の創造主と言われる神をかたどった像のような、いつか見せたあの慈愛に満ちた微笑アルカイックスマイルを浮かべ――。


「だから、この世界を壊すって決めたの」


 涙を一筋、頬に流しながら、告げた。

 ――僕は、そんな危険思想に、少しだけ同調していたのかもしれない。

「だから……」

 他の人なら、真っ先に彼女を止めようとしただろう。論点がずれているとか、矛盾しているとか、そんなことを言うのだろう。

 彼女は、僕に手のひらをかざして。

「……だから――――」

 けど、僕はできなかった。

 優しくささやくように、彼女は告げた。


「――わたしのものになって、ソーヤくん」


 瞬間、遠く遠く、耳鳴りが鳴り響いて。

 耳をふさぐ――頭を抱える。

 目眩。彼女の目を見てはならない、と脳が警鐘を鳴らす。けど。


 ――なんでか、見なきゃ――それを、視なきゃいけないような気がして。


 彼女と視線を合わせた瞬間、目眩と耳鳴りはいっそう強くなり。

 僕はうずくまって、目を閉じた。


 刹那。

『記憶が、流れ込んだ』。


    *


 ――彼女は孤独だった。


「ここ、は」

 気がつくと僕は、馬小屋に居た。

 歩き回ってみる。自分自身で何かを感じることはなく、掴んだはずの牧草は手からすり抜けていた。

 ……なるほど、いま僕は、誰かの記憶を幻視しているだけらしい。

 理解はしたが、それの意味するところは。


「アリアっ!」


 目の前で親に嬲られている少女を救うことができない――それどころか、一切手を出すことすらできない『過去の出来事』であるということであった。


「お前はどうしてッ、何故理解しないッ! お前はァ!」

 父親に体を乱暴に弄ばれ、少女はただ、「ごめんなさい……ごめん、なさい……」と泣くばかり。

 一体彼女が何をやったのか。しかして僕はそれをすぐ知ることになる。


「どうしてお前はッ! 男と女の役割をッ! 理解しようとッ、しないんだッ!」


 ――彼女は何もしていない。ただ、思想が普通ではなかった。それだけの理由で――嬲られていたのだ。


 アリア・スクブス――当時、十一歳。


 場面が変わった。

 狭い白い部屋。その中で、白衣の青年と少女、そして先程の少女の父親が対面して座っていた。

「――だから、男女は平等であって」

「この娘はこんな事を言っております。精神の医者様、こいつの頭をどうにかしてはいただけないでしょうか」

 酷いことを言うものだ、と白衣の男――精神科医に同情した。精神科医も、畑違いの、病気ですらないモノは治せまい。

 けれど、その医者はにこやかな表情で父親を手で制した。


「続けてください、アリアさん」


 その言葉に、彼女がどれほど救われたか。

 彼女は早口で、己の思想を語り始めた。医者も傾聴した。父親は呆れ半分で、そのうち気分を悪くして出ていった。

 二人だけの白い部屋。――はじめて、仲間ができた日。


 ここで終わっていれば、悲劇は始まってすらいなかったであろう。


 場面が変わる。

 病院の中に併設された孤児院だ、という情報が頭の中に流れる。

 白い廊下。件の医者が、子供を連れてきた。


 傷だらけの細い腕。虚ろな片目――右目はつぶれていて、乱暴に包帯で隠されていた。白い肌と真っ黒な長髪。美しく飾り立てれば綺麗にも見えるであろうその華奢な肢体は、しかし痛々しい傷跡がボロ布同然の肌着越しに滲んでいる。

 一言で言うとすれば――少女のような、少年だった。

 僕は息を詰まらせる。なぜなら。


 まるで、かつての僕のようだったからだ。

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